南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

渥美チャリン行 1

一昨年北勢チャリン行を実施して俄然自信がつき、積年の夢だった関ヶ原越えを実現しようと企む。昨年はコロナ禍で直前に断念したが、今年こそはと計画を詰めていた。しかし変異株の猛威は今年のGWをも圧迫し始めた。いっぽうでチャリン行企画は関ヶ原越え以外にもいくつか並行で編んでおり、同じ2泊3日で佐久島を目指す「西三チャリン行」や休暇でない土日にも実施できる1泊の「東農チャリン行」などがあった。コロナの動向を鑑み、県境を(2度も)越える「関ヶ原」や、意図せずウイルスを離島へ持ち込む恐れのある「西三」を回避し、代替案に浮上していた本企画が実行に移された。
自転車旅であるからには、比較的平坦かつ公共交通の充実していない地域を選ぶべきである。そういう意味では廃線跡を行程に含む北勢*1、西三(名鉄三河線)、東農(東鉄駄知線)の各企画は趣旨に即している。今回のメインは、渥美半島だ。豊橋鉄道渥美線が半島の中ほどまで通っているが、その先伊良湖岬まではバス交通しかない。単純に渥美線乗り鉄しても伊良湖への往来は不便で、うまく一日で満たせないような気がしていた。そこで全行程を自転車で走破しようと企図したわけだ。もともとこの案は西三との複合で往路は東海道、復路は三河湾岸を走り蒲郡の温泉にも寄る4泊5日の長編だったのだが、さすがに不慣れなので解体。また、脚力に自信あるとはいえ、最近長距離乗ってないしママチャリで毎日100㎞走るのは厳しいと考え、ちょっとズルして渥美線サイクルトレインを利用することに。半島の半分弱、約20㎞を往復こがずに済むのは助かる。サイクルトレイン利用も人生初と思われ楽しみ。
豊橋までの往復は旧東海道を辿る。「北勢」では四日市過ぎまでを東海道関ヶ原越えでは中山道を中心に走る計画で、もともと歩くのが好きな旧街道筋は使える。豊橋まで行くのだからそのまま足延ばして二川宿、さらにせっかく静岡県境が目前という貴重な機会なのでもうひと踏ん張りして白須賀宿湖西市)を目指す。時勢を考えれば越境回避を心がけたいが、自転車で静岡入りという箔以外にも訳がある。旧東海道筋は名古屋から二川までJR東海道線名鉄名古屋本線に沿っているが、白須賀宿で初めて沿線をはずれる。つまり今後鉄道で訪れようと思っても最寄りの新所原駅からバスなどを使わないと行けないのだ。チャリン行が真価を発揮する場所といえる。名古屋~豊橋間に豊橋~白須賀の往復分を加えると初日から結構な距離だけれども、企画のテーマでもあるノリと根性で奮起したい。
東海道往復や豊橋での滞在を考え、北勢や西三の傾向でゆくと「東三(東三河)」がシリーズタイトルに相応しいようだけれど、あくまでも目的は渥美半島サイクリングと伊良湖なので「渥美」にした。未だに関ヶ原越えのシリーズタイトルは決め切れていない。走ってみないと分からない。
日程は天候を見極めて決めた。GWの週間予報が出るギリギリまで待ち、ちょうど5月2日からの3日間だけ好転すると判断した。万一雨天となっても豊橋泊なら天浜線などの乗り遊びで代替でき、ホテルはキャンセルの必要がない。初日は前日の雨を引きずり優れない空模様で、昼頃どこかで1時間ほど降られる見通し。

東海道上り(鳴海宿~白須賀宿

07:15出発。まずは東海道へ入るため笠寺観音裏の赤坪町交差点を目指す。名古屋高速下の国道41号線を南下するのが早道にも思われたが、長距離走るためには坂道を極力回避すべきで中心部の台地をいかに緩やかに登るかを優先した結果、東区内を抜けるもクネクネしてなかなか調子が出ない。環状線に並行する、走り慣れた塩付街道へ出てやっと気分が乗ってきた。結局赤坪町まで1時間半要した。古い建物がなくても街道筋を走るとなんとなく和む。散策者のチラホラみられる有松の町並みを登りきって小休止。中京競馬場の先は緩い下りだが、道幅が広いのは国道1号線がバイパスになる前の渋滞緩和に対する(気休め)拡幅の名残か。この有松で1号線と初めて接触するが、旧東海道筋は国道と絡み合うように続いているため先々頻繁に合流する。というか、「北勢」のとき以上に国道による寸断や重なりが激しく走りづらい。とくに知立~岡崎間は地図アプリで何度も道筋を探し、確認しながら進むので結構ストレス溜まる。車の轟音激しい1号線歩道を走るときは段差によるタイヤへの負担も気になる。「東海道」の表示も三重県よりずっと乏しく、整備されてない。岡崎までの道のりは細かなアップダウンが連続し体力も消耗する。おまけに池鯉鮒宿は全然町並みとか残ってなくて正直ガッカリ。まぁ優等生の有松を見慣れているからね、相応を期待してしまうのも事実。大あんまき目当てに頑張ったことがある知立だけれど、帰りは国道をひたすら走り旧道は全然意識してなかった。道筋と実態が掴めたのは収穫。

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富士松の松並木

ちょっと辟易した行程にもこんな風景があるとホッとするね。安城市熊野神社で小休止、順調に進んでいることを確認。

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蜂須賀小六豊臣秀吉)出合之像

岡崎市街の入口、矢作橋のたもとに立つ出合之像。野武士集団の頭だった蜂須賀正勝(小六)の無礼に怒り才覚を認めさせた若き秀吉の運命的出会いが語られている。

岡崎宿

目標時間よりやや早めの昼前に岡崎入城。岡崎市街の東海道は複雑に曲がりくねり、正確に辿るのは煩わしいので適当に中心部へ。驚いたのは岡崎城天守閣)が南に見えたこと。名鉄名古屋本線に並行してきたので、当然東岡崎駅と城の間に出るものと思い込んでいたのだ。あと、この辺りは名古屋みたく少し台地になっている。池鯉鮒宿同様宿場の面影は見当たらない。朝早かったので空腹が迫ってくる。子供向けイベント開催中の籠田公園で休憩ののち、ひと踏ん張りして1号線に再合流し、かつや岡崎IC店で昼飯。せっかく八丁味噌の岡崎来たんだから味噌カツ丼食いたいと思ったらメインメニューにない。別紙になかったら相当がっかりだったろうな。午後のスタミナ増強に珍しく(竹)を注文。満腹で眠くならないといいが。
かつやの近くに大平一里塚というのがある。今回の道中は随所に一里塚が現存している。ときには道の両側に塚が残っているのも。遭遇すると感動はするものの、つい素通りして一枚も撮らなかった。
乙川の堤防沿いには不気味なぐらいリアルな案山子が並んでドキッとする。そしてこの先、本日一番の難所へさしかかる。何峠というのか知らないが、岡崎市豊川市の境付近を頂とする勾配のある谷ともいえる。今までは軽い丘をいくつか越えてくる感じだったが、じわりじわりと平地が狭まり大きな山肌が迫ってくる。

藤川宿

峠の西端に位置する宿場。松並木に迎えられ、やっと有松以来の保存状態良好な町並みに会える。

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藤川の松並木と、歌川豊廣歌碑

また藤川の由来ともいえる藤色の麦、むらさき麦が沿道に再現栽培されている。ちょうど色づく季節で淡い紫色の穂が確認できる。

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むらさき麦

松尾芭蕉の句にも「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」と詠まれているそうな。

藤川から山中までは1号線回避に田んぼ道を使う。名電山中駅あたりの登りは本格的にきつかった。本宿を過ぎるとついに旧道筋は途絶え、国道に完全一致。しかも左側の歩道さえカットされ、やむなく右側通行。国道1号線名鉄名古屋本線、そして東名高速道路と、この峠を越えるすべての交通が狭隘に集約され並走する。新箱根入口交差点*2を境に下りはじめ、なんと豊橋市街に近づくまで延々と緩やかに下り続けることに。この地理には全く驚かされると同時に、これを登ってくることになる復路に不安を覚える。とりあえず今日は帰りのことは考えないようにする。

赤坂・御油

午前中は1号線との度重なる離合に辟易したが、峠を越した関川交差点で旧道に入ると豊橋までほとんど絶たれない。上述のとおり下り続けるので(後日の不安は募るものの)楽だし、ポツポツと街道らしい古民家などが点在して風情よし。ただ、西側に比して狭い道での往来は多く、車への注意は必要。ちょっと気をひく町並みに遭遇しても、不用意な停止・横断・転回、そして撮影は西側より難しい。

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赤坂宿よらまい館と、御油の松並木

あんなに有名な御油ノ松並木だけれど、この車ゼロの瞬間を得るのに暫し時間を要す。車同士の擦れ違いさえ難しく、歩行者は肩身が狭い。池鯉鮒、岡崎と素通りしてきたので、少し余裕が出たこの辺を見物していこうと思ったが、今日しか行けない二川・白須賀両宿への配分を考え通過。昔この辺りから登ったことのある宮路山の登山口を見つけて懐かしむ。ちなみに赤坂宿と御油宿は独立した宿場ながら2㎞と離れておらず、ほとんど連続しているように錯覚する。鳴海~岡崎には池鯉鮒1つしかないのに、岡崎~吉田(豊橋)には3つも宿場があるという偏り。
ここまで終始曇天に晴れ間がのぞくようなコンディションだったが、とうとう雨雲に追いつかれた。俄雨程度で数分待てばやむが、つかの間の軒を求むのに苦労。国府郵便局と豊橋魚市場ではうまく凌げたものの、小坂井の飯田線踏切では少し濡れ鼠。この小坂井では平坂街道というのが交差し、要衝らしい雰囲気がある。雨はしかし遅延にはつながらず、15時前、予定より一息早めの豊橋到達。

吉田宿

俄雨以上にヤバかったのが、感慨深いはずの豊橋中心部入りとなる豊川渡河、とよはしだ。橋上で物凄い強風に煽られ、前カゴに荷物を積んだ二輪車は怖くてしょうがない。身の危険を察し降りて通行した。さして川幅ないとはいえ、昔の東海道は命がけの渡船だったことを思えばまぁ頷ける。
岡崎と同じく豊橋の吉田宿も面影ない。区画整理された街路に「東海道」の標示が多少導いてくれるが、ふとすると見失う。宿泊候補に挙がったプラザインは沿道だったよな、と探しているうちにまた俄雨が襲い、アーケードのない街を右往左往する。長居は無用、と道を急ぐことに。
石巻湯近くで街道を見失い、さっさと国道1号線に合流。このあたりは地形の起伏が激しく車の往来と合わせて辟易。とにかく早く離脱したくて迂回路を調べ適当に外れる。岩屋緑地の北側を通るかたちで交通量は減ったが緩やかな坂道はかわらず。あとで道筋をチェックしたら東海道旧道だったんでビックリ、研ぎ澄まされてくると自然と正しい道を選ぶものなんだね。火打坂を下って二川。

二川宿

二川駅前で一雨過ごし、宿場町に入って漸く休憩。名古屋豊橋往復きっぷで訪れようと思いつつ後回しになってた二川宿。まさかチャリで来てしまうとはね。有松に匹敵するぐらいまとまった軒数の町屋が連ねている。交通規制はないのであまり落ち着かないが、町自体は見ごたえある。

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二川宿の町並み

宿場の中心に位置する、二川宿本陣資料館を見学。二川宿本陣は、東海道筋で2ヵ所しか現存しない本陣の一つ。ここで一つ勉強になったのは、宿場は本陣や旅籠の集まる宿駅と、旅籠をもたず商いなどで宿場の運営を援ける加宿で構成されるということだ。二川宿に隣接する大岩町は加宿にあたる。そう考えると、鳴海宿における有松は加宿に相当するのではないかと。有松絞の民芸品店が並び華やかな東町に対し、有松駅以西は旅籠らしい閑静な町並みがつづく。
jaike.hatenablog.jp

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二川宿本陣

白須賀宿

宿のはずれから再び1号線バイパスに戻り、追い風に煽られながら殺風景な道を突き進む。一里山で離脱すると遂に!静岡県湖西市入り! これで東海4県をマイチャリで走行したことに。県境に立ち止まらず進むと、白須賀宿加宿境宿の標示が出迎える。

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白須賀宿入口

ここから白須賀交番に近い問屋跡まで頑張ったものの、豊橋に帰る体力を考えて打ち切り。鉄道から離れ比較的保存状態がよい町ときいてきたが、期待ほどの雰囲気は味わえなかった。尤も資料館「おんやど白須賀」もあるという、この先は分からないけれど。ちなみに遠江の旅で歩いた新居宿はこの次なので、東海道として一駅分空きを残すのも勿体ない感じ。

慣れない行軍と午後の天候不順で消耗したらしく、空腹を覚えながらの折り返し。とくに1号線バイパスの向かい風がハンパなかった。防風林的な沿道の林が途切れたとたん強烈な横風でバランスを崩しそうになり、隙間のたびに緊迫する。早く二川に着いてくれと祈ったものだ。宿を抜け火打坂で進路変更、アップダウンのある1号線には戻りたくなく、鉄道線に沿っていけば勾配は少ないんじゃないかと考え東海道線・新幹線を伝う。発想は甘く、線路だけが平面あるいは高架に敷かれ、道路は勾配だらけでバテてしまう。幸公園で休憩をはさみ、豊橋市街に到達。明日の柳生橋駅付近を下見。路面電車のレールを踏むとハンドルを取られそうな不安定感がある。

豊橋

今旅の拠点をおく豊橋。在住県内に泊まるのって、遠出じゃないのに日帰りしないっていう不思議な感じがする。吉田城ぐらいは訪れたことあるが、基本的に乗継駅である豊橋は街歩きしないので良い機会だ。

豊橋ビジネスホテル

マップを参照せず勘を頼りに探したので広小路とかグルグルした。寺院に隣接し比較的閑静な場所にある。駐車場に駐輪スペースが設けられてないので、場内最奥のツーリングらしきオートバイに倣って施錠駐輪。ちなみにホテル界隈での食事などの行動は徒歩とする。
チェックインではウェルカムドリンクを頂け、アルコールも選べそうだったが今旅ではお茶ペットボトルのほうが重宝する。連泊では翌日帰館時にも頂けて有難い。部屋は、おそらく元々客室でなかったのを改造したと思われる、どこか不自然な造り。窓は東向きで自然な目覚めに好都合。ミニ冷蔵庫はコンセント差してもなかなか正常稼働せず心もとない。ウェルカムドリンクのお茶はこれで一晩冷やすし、外出中は缶ビールを保冷しときたい。

豊橋カレーうどん

豊橋で予てより食べたいと思ってたご当地グルメカレーうどんというと単純に若鯱家とかを思い浮かべてしまうが、豊橋カレーうどんには独特のこだわりがある。特長と食べ方を一応予習しておく。
由来・こだわり|豊橋カレーうどん|ええじゃないか豊橋|豊橋の観光とお土産ガイド
出発前にホテルから近い提供店をピックアップし、コロナ禍での営業時間短縮により20時または20時半となっていることを各店舗押さえておく。食後の予定も考慮し、選んだのは勢川新吉店。この勢川豊橋市内随所に展開する老舗のうどん屋さん。ホテルからは本店のほうが近いけど、営業時間が短め。新吉店は電車通りを東に越えて小さな商店の集まる地区の中にある。
ちょうど店内にほとんど客はおらず、静かに味わえてタイムリー。さっそくカレーうどん(770円)を所望すると、初めてでしたら一読ください、とホームページで見た食べ方指南書を提示される。

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豊橋カレーうどん

豊橋カレーうどんは二層構造になっていて、上は普通のカレーうどん、食べ進めていくと下からとろろご飯が現れる。うどんを粗方啜ったあと、カレーととろろご飯を混ぜ合わせて2度楽しめる。うどんがメインでご飯は思ったほど入ってない。あと万人向けのわりにカレーは辛めなほう。隣の静岡でも遠州駿河は山芋やとろろ飯のイメージがあるので、それを融合させてくる辺りが三河国らしい。とても美味しかった。

銭湯 人蔘湯

一日運動して汗かいた身体にホテルのシャワーは物足りず、湯船にどっぷり浸かって癒したい。有難いことに豊橋市内には銭湯が健在。その一つ、人蔘湯を食後に訪れる。人蔘湯は昨年一度閉店したが、有志の方々などにより今年4月復活を遂げたばかりだという。スーパー銭湯から老舗銭湯までこよなく愛する者として喜ばしく、応援の意も込めて利用する。地元名古屋の銭湯もいくつか訪れてるが、最も小さな浴場だと思う。湯船はともかく、ホントに背中が触れ合ってしまいそうな洗い場にビックリ。名古屋の銭湯では単一の蛇口ひねれば適温の湯が出て調節要らないのに慣れており、ここではそういうのが一個しかなくて戸惑った。3人も入ればいっぱいの湯船ではジャグジーが一番落ち着く。手狭なわりに入浴者がテンポよく入れ替わっていくので、あまり密に感じない。フロントスペースでは留まらずに外で涼む。

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人蔘湯

明日はリピートしようか、東海道沿いの石巻湯にしようか悩む。夜風と余韻に浸りながらコンビニで缶ビールを2本買い、部屋に帰る。1本飲んで就寝。

渥美チャリン行 2へつづく)

5月2日実質走行距離:109.86㎞(距離測定マップにてルートを正確に測定)

*1:中日で安濃鉄道廃線跡を走る予定だった

*2:箱根と称するあたりも東海道の難所と認識されてる証しだな