南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

知識・言語と情報社会(ライフプランニングと投資)

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 今学期受講している科目の中で、唯一滅びないで聞いていられる講義として、上記の科目がある。これは、野村證券がすべての講義を担当する冠講座で、同社新入社員が是非聞きたいと思うほど、各専門部課の精鋭担当者が熱弁を振るってくださる。筆者としては、卒業単位にとって余剰にしか値しないものであるが、例の株式投資を勉強し始めて以来、幾分経済学に倦怠感をもたなくなってきているので、同社関与の講義とは知らずに登録したものだったが、冠講座と聞いて俄然やる気が出た。
 株式のみならず、就職後あるいは定年退職後の我々の人生を設計してゆく案内人を普段しているだけに、大変口上が優れておられる。常に現在・将来の日本および世界の経済状況を前提し、新聞経済面の注目箇所や親しみやすい内容で投資について説明する。多少面倒な計算も出てくるが、それは数理情報系学部の受講生が多いことや、筆者の大学の学生が学力の高いことを前提としているので、例外の様な筆者がついて行けなくとも仕方がない。この講義は期末試験ではなく、随時のレポートで評価される為、無理はしないことだ。
 あらためて講義概要を読んでみる。「証券アナリストやファイナンシャル・プランナーを目指す学生のために、資本市場や証券投資の基本的な概要や分析手法を解説する。特に、個人の生涯に亘る財務的なライフプランニングの重要性について日本の年金制度も含めて説明する。(中略)さらに、投資教育によって知識の向上を図り、経済や市場に関心を持ち、自己責任によるライフプランニング能力を高めることを目指している。」前半は比較的専門的な目的を示しているが、経済学に初心者である筆者にとっては後半のほうが馴染みやすい。元々の目的が専門的なのは、野村證券への将来の就職を密かに前提しているのかもしれない。無論、一部その傾向があってもいいと思う。やや不安げな日本経済に果敢に立ち向かう夢を形成するのに、この講座は貢献するのであるから。後半にある「自己責任」の言葉は、現在巷で批判の対象となっている。また自己責任とはサバイバルで人間性を欠いたものだとされる。だが、人間は始めから成功者たりえない。ホリエモンも同様、誰もが失敗の可能性に溢れているからこそ、平等で人間味のある競争社会が存在しうるのではないか、と考える。
結:それでは本講義のレポート稿にご期待を。【2005/05/29/PM】