7時過ぎに出発。朝飯は切符を確保してから乗車前に取れば良いと思い、まずは駅へ。
沪宁高铁
高铁専用駅の上海虹桥站なら地下鉄2号线1本で行ける。しかし、『地球の歩き方』最新版にて苏州北站は未だ市内への交通が不便とあり、高铁で苏州站に停まる確率は上海虹桥站発よりは上海站発のほうが高い*1。観光の効率を優先してお馴染みの上海站へ。切符は「高铁、苏州」の2語とパスポートさえあれば簡単に入手できる。高铁の切符は記名式と聞いていたが、他の種別と同様に身分証番号のみ。それと、新たに候车室番号が記載されている。尤も开封のようなホールが一つしかない駅では不要だが。〔列車情報:G7042次、上海08:25発-苏州08:58着、二等座39.5元〕
乗車時刻間近のため、朝飯を苏州到着後に延ばして入場。いつもの检票がなくなったと思ったら、ホームに下りる階段の直前に自動改札機が。前の人が通過しOKランプが点灯した後進入できるというタイミングや要領がつかめず、躓く人民が大勢いた。
和谐号の連結部分も撮ってみたが即廃棄。列車は定刻通り発し、暫く新幹線的徐行。上海西站を通過すると専用線に入り300km/h級へ加速。と同時に天候も著しく悪化し、江苏域内?から雨が吹きつけ始めた。どんより曇って湿った、真新しい工場や輸送基地の点在する田園地帯をひた走る。乗客はビジネスマンが圧倒的多数。
使用済み切符は、出站口の改札機を通すと(たぶん)回収されるが、左端の駅員のとこを通ると一瞥のみで獲得できる。乗車時間33分は最短記録を10分余り更新し、ハイスピードで終わった。因みに帰りのは32分で更に1分短縮した形だが、実際の運行で誤差もあろうからあまり構わない。
苏州観光
改札を出ると朱雀大路のようなコンコースが南北に貫き、地図売り婆がウロウロしている。しかし、これを買わず下調べのイメージだけで行動したため、拙政园へ入場するまで小一時間を要した。まず、南广场へ上がると土砂降りの雨。その地上にあるバスターミナルの路線に拙政园行きはない。再びコンコースへ戻ると、その南端突き当たりに地下道を東西に走る道路およびバス停があるのを発見。拙政园を通る游2路を見つけたものの乗り場は西方面のみ。連絡通路を抜けて漸く乗れた。因みにここから高铁苏州北站と結ぶ快8号线にも乗れる。
拙政园
苏州博物馆停で降り、茶色の案内板に従って少し戻ると東方向に観光歩道が伸びている。容姿がとても日本人のような女性も降り道連れかと思われたが、いつの間にか消えてしまった。こんな雨天でもさすが世界遺産、土産物店や食堂はまずまず盛況。
1509年に造られた中国を代表する庭園の一つ。1997年、世界遺産に登録される。入園料70元。「拙政」というと下手くそな政治を連想してしまうが、これは造営を命じた高官が賄賂にまみれていたため為政者への皮肉が命名に込められているそうな。風景美を一つ一つ言葉で語っても及ばないので、上海豫园に倣い、印象的な画像を並べることとする。尚、拙政园では天空陰々とし又降雨も激しく、そのほとんどを曇天モードで撮影したため全体に赤みがかっている。たしかに苏州では「水のある風景」を望んだが、これはやりすぎだww。
全体として池の存在が大きい。天気がよければ水面に映える楼亭などもイケるのじゃないかと。西奥には盆栽庭園もあり、精巧な造形に見飽きた眼を休ませてくれる。
傘差しての散策と朝食抜きの胃袋に疲れが生じてきたので、园林博物馆へ入って締める。ここは拙政园造営の歴史や修復工程、他の名園などを紹介する展示コーナー。じっくり過ごして1時間半強。ちょうどお昼前。
狮子林
世界遺産級の観光地での昼飯というと思い出してしまうのが、西安兵马俑のボッタクリ被害だ。中国人をハナから疑いたくはないのだが、経験上不安を抱きながら獅子林入り口まで南下してきた。まだ客が一人もいない食堂の店頭で誘われ、入る。傘を預かられ*2、「盖浇饭(丼飯)がいい」といえばメニューをくれる。鸡蛋炒饭を頼み、書かれた値段を記憶する。何かあったら傘が人質か、と内心怯えながら待つ。「鸡蛋炒饭って蛋炒饭のこと?」と俺に確認に来て、拍子抜けした。普通に卵炒飯が出てきて、汁も飲料もなく些か難儀しつつ勢いよく頬張った。勘定も菜单どおり8元。終始疑ってしまい全く申し訳なく思う。料理を運ぶだけの女性が奥で何やら独学で勉強している姿が印象に残る。
食後はゆっくり獅子林を鑑賞。獅子林も世界文化遺産に登録された、苏州四大名園の一つ。名僧惟則の弟子が師のために資金を集め築造、またその名は惟則の師である中峰が浙江天目山の獅子岩を集め配置したこと等に由来する。獅子に見えるかは分からぬが、奇妙な形をした巨石が点在する面白い庭園だ。
岩肌露な路面は雨に濡れて滑りやすく、また順路を無視しロッククライミングと化した箇所もあり危険極まりない。幸いこの時間は小康気味でほとんど傘差さずに済んだ。拙政园よりは奇石群のほうが楽しめるかな。
平江路
苏州を代表するクリーク、临河に沿った小道。平江(または平江路)は苏州の古称。起点は拙政园付近だが、獅子林から住宅街を抜けて临河へ。
水路と生活が密着している様子が窺える。こんな風景、名古屋城外堀にもあるぞ。ふだん水はないけども*3。
茶館やカフェ・旅社など観光客向けの店舗も構える*4が、大半は生活臭零れる普通の家々。上海周辺の水乡古镇に見られるような、派手な古風建築を並べて中身はみんなブティックやら写真屋やらっていうよりは、ずっと素朴で未だ観光化の風雨に晒されてないなと。
临河は独立した水路ではなく、幾つもの支流?が交差している。これだけ入り組んでいれば、交通や荷役に貢献するわけだ。帰ってから地図見て思い返してみれば、苏州博物馆バス停から拙政园前、干将东路沿いなど至る所で河や水路が巡っていたことに気づく。暗渠化してしまい橋のつく地名が各所に残るだけの开封も、宋都時代のまま現在に至っていたらこんな感じだったのかな、と。
遊覧もできるらしいが、天候のせいか寂しげだ。
入口と出口の両表示がある。ゲートも何もないところにこのマークがあると不思議な感じがする。临河はここで干将东路に並行する干将河に注ぐ。
苏州の交通を視察
ここで観光を打ち切り、趣味の交通見学へ。こういう傘差し歩きに厭きる日には適当な配分だ。
苏州地铁
干将东路を少し西進すると苏州地铁临顿路站(出入口)が現れる。時間帯のせいか、物凄く静かな駅構内。券売機の使い方は上海のと同じで、广济南路までは2元。改札前のセキュリティチェックはなく、安静且つスムーズ。
ホームが異様に短いと思ったら、編成は僅かに4両。都市交通の動脈として発展させるには些か小規模な設計ではないか。また、6~8両が一般的な上海地下鉄と直通した際はどうするのだろう。
中心部の乐桥以外乗降は芳しくない。苏州地铁の社章をつけた保線士らしいのが2,3人乗っていた。
地上に出ると、苏州轨道交通有限公司本社ビルが建っている。偶然ながら面白い締めだなと。
苏州公交
地下鉄の降車駅として广济南路を選んだのは、建設中の地下鉄3号線が苏州火车站から南下して交差する駅だから、現時点でも火车站への公交路線は豊富であろうと推測したためだ。ところが、火车站への系統は一つもなく、暫く歩いて探す羽目に。地下鉄工事のため大きく歪曲中の广济路。結局1-2km北東の爱河桥より522路に乗車。この系統は運賃1元。苏州公交は停留所の系統案内板に運賃を表示しており、大抵は1元とある。しかし、実際にはエアコン付など2元で運行しているものも多い。これを判別する苏州公交ならでは?のシステムが、乗車口正面、運転士の頭上にある電光掲示板だ。赤く光る「毎人?元」の表示を頼りに並びながら小銭を用意すれば良い。これはなかなか目立つ手法を開発したもんだ。游2路のときはこれを知らず、1元投じて通過したところを司机に怒鳴られてしまったが。
さて、522路は火车站北广场に着く。こちら側は汽车站に近接しており南口より盛況、ツアー会社や弁当屋がいた。れいの朱雀大路を突っ切って再び南側へ。
降雨と拙政园アクセスに気をとられ、正面玄関を撮るのを忘れていた。
ところで、苏州火车站は全てが非常に真新しい。园林博物馆?で旧い駅舎の写真を見たが、もっと低く鄙びた形をしていた。高速鉄道整備に伴った建て替えだろうか。
京沪高铁苏州北站
公交快8号线の存在を知るや、苏州北站から帰れば苏州2駅の利用記録がとれる、と欲が出た。快8は2元、北へ北へ結構距離ある*5。ところが、遥々着いて售票处で時刻表を眺めると、当駅に発着する高铁は皆南京より遠方を終点とする列車ばかりだ。なるほど!!、南京までの上海圏内を走行する高铁は苏州、北京をはじめ全国各地が終着点の長距離型高铁は苏州北をそれぞれ停車駅とするよう棲み分けがなされているのか。それじゃ設置目的に反するような近距離利用は慎むべきだな、と納得・理解を示し苏州站へ戻る。
帰国後調べると、苏州站は沪宁高铁、苏州北站は京沪高铁に属し、帰属する路線そのものが全く違う。各線の性質も異なり、前者は上海圏の都市間高速鉄道であり、後者は北京と上海を結ぶ高速鉄道上に設けられた途中駅に過ぎない。その状況を一駅の中から見ると上述の結果になる。
要するに、高铁苏州北站とは苏州站の分身やコピーではなく、常に西方に向かって門戸を開いた駅(であるべき)だということ。
上海へ帰館
空いた時間帯なのか、南口の售票处では並んでいた窓口を閉められたり盥回しされたりした。隣の列に欧米系の一家族がいて、お父さんがかなりしっかりした中国語で家族分の切符を請求していた。あのレベルは留学等の学習経験があるとみえる。「子どものは半票だよ」と何度も念を押していた。
〔列車情報:G7073次、苏州18:19発-上海18:51着、二等座39.5元〕
苏州の候车厅は1Fと2Fに階が分かれているほかは、フロアに仕切りがなく広々としている。行きと同様あまり余裕はなかったが、キヨスクでアッサムミルクティーを買った。
隣席の農民ぽい老婆が携帯で大声で話し、昆山南で降りていった。こんな人でも気軽に高铁を使える時代になったのだなと。
晩飯は上海站近くの食堂で水饺を啜った。ここ数年、河南方面へ向かう夜行列車の切符を確保してから食う店だ*6。プラスチック製の軟そうな使い捨てレンゲが出てきて、台湾の軽食屋を思い出した。だいぶ簡素化が進んでいる。
上海では雨の記憶はほとんどない。駅周辺を見回るとローソンや「はなまるうどん」があったものの、広場側は相変わらず薄暗い。軸足が北口に傾いだかな。
帰国準備は明日にまわして休息。
つづく