南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

郑州文庙&地铁2号线(郑州2017年号)

今回の郑州散策は前日の开封と同じく、旅游集掲載画像収集がメインで再訪スポットばかりの予定だった。ルート設計も、BRTと地下鉄を効率よく乗るために不自然な迂回をしている。文庙は、たまたま商代遺跡の隣にあったので立ち寄った。決して开封文庙との対を意識したわけではない。

郑开城铁

一昨日の感激を噛みしめつつ、开封に別れを告げる。〔列車情報:C2807次、宋城路12:17発-郑州东12:51着、二等座18.0元〕

実は开封名菓の花生糕を買うタイミングをギリギリまで引き延ばしていて、宋城路站の売店にもあるだろうと踏んでいた。しかし、飴で固めたような理想型*1のはどこにも見当たらない。結局郑州まで持ち越す羽目に。理由の一つに、オーソドックスな花生糕の場合、度重なる手荷物検査などの振動で崩れる恐れがあり、セキュリティチェックの回数を可能な限り減らしておきたい意図があった。
郑州东站コンコースのコンビニもすべて覗き回って、軽食を挟みながら目当ての花生糕を探した。黒ゴマ(芝麻)を板状に固めたのがプラスチック缶入りで売っていたり、もっと食べやすそうなクッキー風のお菓子に惹かれたりと、変に目移りして時間の無駄だった。

地铁とBRT

地铁1号线

 郑州东地铁站

構内の自販機に、キリン「Fire」のボトルバージョンが入っている。缶ならともかく、ボトルはコンビニですら見かけない。
BRTが走る未来路との交点に近い燕庄まで乗る。結構中心部からは離れているイメージがあるのだが、なんと2号线との接続駅紫荆山はすぐ次である。中国の地下鉄は駅間隔が長いのか、市街地が急激に拡大する郑州にとってはもはや「周辺」ではないのか。

BRT

BRT(Bus Rapid Transit、快捷公交)。2009年に開業、同年に試乗している。

変革と発展の著しい中国において、8年前と全く同じシステムと車両の公共交通に再び乗れるのは非常に稀なことである。市バスも路線変更だけでなく新型車両や新能源車両の導入によって、8年前とは確実に変わっている筈である。それだけBRTが開業時すでに先進的であったということか。たとえば市内に4路線あり乗り遊んだ电车(トロリーバス)は、地下鉄工事などの影響から廃止された模様だ。今夕、「电101」の路線番号を掲げたバスを目撃し、架線はなくなったものの名残はそのまま走ってるんや、と感激。

燕庄駅からドンピシャで金水路停の真ん前に上がった。2009年は东三街站からこの金水路まで市北東部を右回りに乗車しているが、今回はその続きで南東部へ廻る。
 
入場したB12を撮影ついでに乗ってしまい、環状路線でないことに気づいて途中駅で後続のB1に乗り換えた。ホーム上で何度も乗り換えられるのが郑州システムの長所。

地铁2号线

乗り心地よくてウッカリ寝過ごし、紫荆山路を通り越して碧云路で下車。公交269路で1区戻った。ここが2号线南五里堡站である。出入口の数が少なく分かりづらい。巨大な駐輪場の奥にA出口はあった。

2号线のラインカラーは黄。でも車両の黄帯に対し、ホームドアのガラスは赤色の帯が貼られているw
2号线は市内を南北に貫き、南四环より先は城郊线と呼ばれる。城郊线の終着点は、新郑国际机场である。ちょうど上海中心部と浦东机场を結ぶ地下鉄2号線と相似しており、南四环はまさに上海の广兰路と似た機能を果たしているのだろう。

近年中に開通すると思われる3号线と5号线が、各々の接続駅で既に表示されている。車内表示では一応消してある。
商代遗址へ立ち寄るため、东大街站まで。交差駅の紫荆山を見てみたい気持ちは抑えた。


赤の原色で力強く書かれた1号线の駅名標を覚えているだろうか。対して2号线のそれは落ち着いた色合いの背景に味な書体の駅名、さらに書家の烙印が添えてある。とても文化的な地下鉄である。
 东大街站E出口

商代遺跡と文庙

东大街は地铁3号线の建設工事真っ最中で片側1車線・歩道なしに制約され、少しでも肘張ればボディに当たりそうな真横をバスなどが通っていく。本来真っ直ぐな道なのに工事区域のせいで歪曲している。そのくせ往来は途切れなくて横断に苦労する。
商代遺跡。
 
10年前に訪れたのはもっと北の部分らしい。住宅地の迫り具合が違う。
jaike.hatenablog.jp
その西隣にあるのが文庙。参観無料。
郑州文庙の棂星门は白い牌坊。
 大成门。
开封のと違って一応廟の体裁はしているが、気障りに焼香を勧める人はいない。都会のど真ん中の閑静な聖域を気軽に散策できる。境内は商城路までは貫通していない。城壁沿いの散策道を伝ってゆくと工事現場に寸断され、荒れ土を縫って商城路へ。この通りに面する城隍庙はパスして、さらに北側の散策路を進むと、完全に行き詰まった。盛り土に登るのも諦めて紫荆山路へ戻る。

管城地区

さすがに旅も終盤となってくると脚の限界も早まる。少し時間的に早い晩飯どころと、人民路へ出られそうな公交の停留所を求めて彷徨う。この辺りは一方通行などもあり、適当な公交が見つからない。北大清真寺近くで米线をすする。日本で食べられない中華主食の一つで、後悔の種が消える。开封宋都御街の名店で食べた过桥米线が思い出される。なぜ早めの夕食を摂るかというと、今晩の列車までに夜食のチャンスを得たいからである。残り1日になると、食べときたいものと回数の調整が難しい。
先客が勘定時にQRコードで決済しているのを目の当たりにし、中国におけるQRコードの爆発的普及の恐ろしさを改めて思い知らされる。店主が即座にスマホで入金を確認する。注文以外に店と客は言葉を交わさない。ファストフード(快餐)化していく食堂は致し方ないとして、コミュニケーションが大切な屋台にまでこれが浸透すると寂しい気もする。調理と小銭の取り扱いの両立がせわしい店主にとっては有難いかもしれないが。
数時間後に胃袋を空けられるか心配なほどの満腹感で、夕暮れの商城路を西へ。方向感は的中し、PARKSON(百盛)の交差点へ出る。

人民路

前回2014年に立ち寄り損ねた、思い出の人民路。
 デニス(丹尼斯百货)。
初めて郑州へ行った日から、毎回ほぼ欠かさず訪れる場所。目当てはおにぎりや寿司などの中国式和食、また輸入食料品店に並ぶ日本食品だ。パン類はハズレも多かったが、ビアードパパのシュークリームは本物だった。さきの百盛百货地下にも輸入品スーパーはあったが、品ぞろえはデニスのが格段に上だった。开封では大相国寺近くの「三毛时代广场」が限界だっただけに、片道7元で月一回程度通えて純正の日本食品が買える百貨店はすごく重宝した。留学生同士や开封在住の日本人たちとフィーバーするだけでなく、开封大学の学生たちに日本の味を教えたり連れてきたりしたこともあったな。

北館の高級ブランド品専門店街は、外国人だけで一度冷やかしたぐらいだけど。
一人で来るときは大抵ほかの用事を済ませたあとなので、ちょうどこんな夕刻が多かった。

 
新华书店。西太康路の购书中心とならぶ、郑州2大書店として幾度か通った。HSK参考書や鉄道時刻表もここで手に入れている。現在は地铁人民路站D出口が店頭に付属している。
これで郑州における懐古ミッションは終了。26路で火车站へ。車内BGMの思念是一种病で暫し感傷に浸る。

火车站

soundcloud.com
美声の路上ライブを聴き、烤红薯でも食べようか迷ったりしながら休息。
福寿街界隈の河南特産店を巡り、懸案の花生糕*2と香瓜子の最大量袋を購入。商贸城や大同路の飲食店も覗き回って夜食を物色。一軒だけ気を引いたのが大同路の歩道上に構えた屋台で、热干面や炒面とビールをイケそうな感じだった。あとは公衆便所で1元払わされるとか、超市で酸牛奶を買うとかして時間つぶし。
候车厅へはゆとりをもって入場したものの、列車の到着および改札は遅れ、本来の予定時刻に並びかけたまま保留される。これまでの宿泊先はほぼこの時間には寝ているので、眠気と疲労が押し寄せてくる。満席でもいいから、朝まで落ち着ける場所に早く座りたい。結局、約25分遅れの23:11発車と相成った。硬座での車中泊は前回帰郷旅行の天津行き以来。案の定ぎっしりだったけど、それなりに仮眠できた。

完 (「开封帰郷旅行2017」は8日まで続きます)

(map:郑州文庙)

*1:花生糕よりも花生酥に近い

*2:結局定番の花生糕を買うことになったが、持ち運びやすい包装にこだわったところ、帰国して開封すると似ても似つかぬ「花生糕」が出てきてビックリ