南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

そぅっと下呂温泉 2

そぅっと下呂温泉 1よりつづく)

7時起床、飛騨の寒さを恐れてエアコンつけっぱなしで寝てた*1。温泉といえば朝風呂はまた気持ちがいい。ここまで温浴3回とも巧い具合に入れ違いで利用できてる。同泊者同士の呼吸だな。つるりとした湯で顔を洗い、肌をほんのりと温める。部屋の暖気で曇ったガラスを拭い、山影から陽が覗く景色を眺めながら広縁で食べる朝飯。温泉旅館の食事は格別だけれども、素泊りでも案外楽しめるものだな。8時出発、特別な応接はなくとも快適に過ごせて感謝。

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旅館と、飛騨川風景

JR高山線 下呂美濃太田

8時20分、下呂をあとにする。この上り列車は車掌乗務のため全ての扉が開閉し、整理券も発行しない。行きと違って冷気が頻繁に流れ込む。川原の岩肌に張りついた雪が流れに沿って青白い帯を描いている。信号場交換ののち、初めて飛水峡を意識して見た。ワイドビューひだに乗っているとアナウンスとともに徐行してくれるが、普通列車にそんなサービスはない。そんな今さらだけど甌穴の造形に初めて気づいたわ。今度ゆっくり歩いて間近に見たいな。飛騨の山間に限らず、美濃の里に下ってきても昨日よりは空気が冷たいようだ。連日の汗ばむウォーキングとはならなさそう。では、あらためて中山道に戻ります。

中山道 太田宿~御嶽宿

今日の道程は、伏見~太田を歩く(中山道) - 旧街道ウォーキング - 人力御嵩~伏見を歩く(中山道) - 旧街道ウォーキング - 人力を参照する(進行方向はそれぞれ逆)。まず小一時間を太田宿見物し、中山道三大難所の一つである太田の渡し木曽川渡河)にも時間を割く。昼過ぎから真剣に伏見、そして御嶽を目指す感じ。

太田宿

まずは昨日素通りした宿場町を西端まで、町並み眺めながら散策。

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祐泉寺前の枡形
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旅籠小松屋(吉田家住宅)

対面には十六銀行だったという近代風の建物が一般住宅になっている。松屋の無料休憩所には太田宿出身の文人坪内逍遥に関する資料がある。そいえば駅前に胸像あったな。また逍遥の父が務めていた代官所の前のムクノキ、昨日宿場に入る直前で見かけたわ。

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太田宿 上町
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太田脇本陣(林家)

街道に面して広い構えの威厳ある建物。板垣退助が岐阜で暴漢に襲われる前日、宿泊している。

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本陣(表門のみ)

中山道会館の向かいに位置する本陣跡

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道標など宿場の下町

西の枡形(高札場跡)にある道標は明治期に建てられ、関街道との分岐を示す。昨日は「いまやす」のパンの香りに出迎えられたんだったな。格子の柵に囲まれた広場が高札場跡かと思いきや、観光バスの駐車場だった。
仕上げに太田宿中山道会館を見学。宿場再現型の展示は最近ほかでも見た気がする。旅人の携帯道具を知るコーナーがちょっと面白かった。幕末に徳川家へ嫁いだ皇女和宮の江戸道中が映像再現されている。土産物コーナーに目当ての「鮎の甘露煮」はなく惜しみながら退出。
駅前通りより東の新町には町屋こそなくなるが、古びた商店が点在し街道情緒を醸している。

太田の渡し

「木曽の桟(かけはし)、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」とうたわれた中山道の難所。もとは太田宿の裏くらいにあったのが、次第に上流へ移動したという。昭和2年に太田橋が架けられ、渡船の役割を終えた。川原に残る石畳が目印だというので街道筋を離れ、堤防に上って探すもなかなか見当たらない。しかし近現代に河道を整えられ護岸整備されて尚この川幅なのだから、渡し場のころはもっと水流が乱れて難儀だったろうなと。また対岸は崖っぷちで安定した浜がないのにも気づく。目した地点より下流へ着くことも多かったに違いない。
小腹が空いてきた。普段の仕事ならともかく、朝のおにぎり2個で何キロも歩くのだからカロリーが足るはずもない。ちょっと朦朧した感じで太田橋を渡る。橋上でようやく、眼下に船着き場らしき石積みを見つけた。河岸に降りてゆく気力はない。

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渡し場跡(太田側)
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太田橋と、今渡の渡し跡(可児側)

県道沿いのコンビニで軽食を摂り、あらためて川岸の遊歩道におり立つ。ほとりの弘法様は渡船の安全祈願か。

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左岸から望む太田橋と、石積みの渡し場

伏見宿

一時凌ぎのエネルギーでしばらく歩く。国道21号沿いのラーメン屋等を横目に過ぎてスーパーで弁当を買うも、上恵土神社にベンチがなく落胆し伏見宿入口の登り坂まで辿り着いて休憩。東海道でもそうだけど、宿場町の多くが小高いところにあるのは宿駅が統治上の役割を果たしているからだ。入口を折り曲げる枡形と同じで、日本の城に見られる特徴を宿場にも設けている。現代のように人家が殆どなかったころは宿場間の道が見通せるよう、高所に造られるのだろう。
御嶽から1里と近い伏見宿。痕跡はそれほど期待してなかったけれど、意外とある。

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伏見宿(旧伏見郵便局)

交通量が多く、往来する車の間隙狙いが難しい。

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一本松と、本陣跡

伏見宿は松並木が綺麗だったそうだ。一本松はその名残。それよりも、いつの間にか名鉄明智駅が最寄りになっていることにちょっと驚く。可児市街の真北を通り過ぎてしまったか。
中山道」の案内板に従いながら、片側一車線の国道を肩身狭く歩く。時折脇にそれるような旧道があると暫しホッとする。

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比衣一里塚跡、顔戸城址、鬼の首塚

一里塚跡はたぶん塚を割るように道が造られたんだと感じる。顔戸(ごうど)城は、平城としては珍しい規模の深い堀と高い土塁が特長。

御嶽宿

昨日の昼過ぎから断続的にお付き合いした国道21号と別れ、御嶽宿入り。

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宿場手前の町並み

15時半ごろ、目算より30分遅れで名鉄御嵩駅到着。これを以て、武並からの中山道ウォーキングと繋がる。目的達成。
jaike.hatenablog.jp
今回こそは、と意気込んできた中山道みたけ館はまん延防止等重点措置のため休館中で、なかなか御縁がなく残念でならない。中山道をクリアしてしまったので、今度は八百津とか行ってみたいときに立ち寄れたらと思う。

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御嶽宿(商家竹屋)

半数以上が欧米人やフィリピン人の高校生で賑わう、異様な光景の御嵩駅。あとで調べると、岐阜県立東濃高校で外国籍の生徒受け入れを積極的に進めているそうだ。驚き。新可児御嵩間ではICが使えないため、乗車駅証明書を取得して新可児でIC精算するべきところをウッカリ切符を購入してしまう。新可児駅乗換改札で手違いを説明して処理してもらう。

おわりに

温泉リフレッシュのつもりが、いつしか中山道ウォーキングで運動不足解消にすり替わり、下呂温泉一泊を挟んで両日15km以上を歩き通す結果となった。まぁ比較的平坦な道のりで歩きやすく、温泉で血行も良くなって快適なエクササイズではあった。下腹の脂肪だけでなく、この頃のストレスも幾らかは解消できたように思う。

*1:掛け布団に浴衣一枚だから正解