JR紀勢本線の完乗は予てより悲願であり、また名古屋~大阪間の移動を含めると一日ではできないとわかっていた。先日レイルラボで鉄レコを記録して以来、悲願が一層強くなった。コロナ禍による海外渡航規制を逆手に取った国内旅行を活発化させており、東北や九州など遠地に繰り出したいところ、感染拡大など状況が思わしくない場合の最も無難な企画として留保してあった紀勢線を採用。概ね、紀勢線を西から東へ寄り道しながら移動し、最終日は伊勢志摩でのんびり過ごす。紀勢線(きのくに線)沿線で以前から温めてたネタは3つ、御坊の河童のミイラ、白浜のパンダ、そして太地の鯨肉食だ。このうち起用されたのは唯一クジラだけだ。御坊と白浜は交通の便があまり芳しくないのと、白浜アドベンチャーワールドは入場料の高さにも阻まれた。きのくに線でも御坊を境に本数がぐっと減り、乗継駅以外での悠長な途中下車がしづらい。無難におおむね主要駅乗降の行程となった。初日の和歌山北部沿線についてはまったく未知のエリアなので、駅近で面白そうなスポットを探した。鉄ネタ的には有田鉄道廃線跡も惜しかったりする。また、日本最短の河川、ぶつぶつ川も浮上して悩む。結局パンダ以外は押さえるところを拾ったプランだと思う。
レイルラボで見る全行程
快速ワープ to 和歌山
早朝の名駅アクセスは少し余裕があり、上小田井からIC割引の利く地下鉄を使う。紀勢線の起点、和歌山までは少しでも時間短縮すべく東海道線と阪和線の快速を活用し、乗換わずか2回(米原と大阪)、所要4時間半という在来線究極の速さで向かう。特別快速、新快速、紀州路快速それぞれの乗継も10分以内とよく極まっている。よく晴れて車窓がキレイ。久々に乗ったJR西の新快速の新型車両、通路の天井にモニターがついて広告や進行状況を流しており、飛行機みたいで斬新だと思った。車両の両端やドア上だけでは混雑時の座席客や立ち客に情報が行き届かない。JR東海はいつも後手に回りやすいので、ゆくゆく採用されるであろう。
WESTビジョン | 日本の交通広告
琵琶湖線はこまめに停まるわりにテンポが速く、快速感がある。ぎゃくに京都線区間は長く感じられる。大阪駅の環状線ホーム上で、マスク越しとはいえ至近距離で囁くように尋ねられて、聴き取れないまま大阪圏に詳しくないことを伝えて離れた。たぶん新今宮と言ったように聞こえたんだが、まぁ咄嗟には答えられないし、快速には環状線内でも停まらない駅があったりするので不確かなことは教えられない。2年前の中国行きで利用した関空快速に併結する紀州路快速。空港線と分岐する日根野からは各駅停車になるのだが、それでも阪和間1時間半と十分速い。クロスシートが通路を挟んで2・1になってるのも、独り者が車窓を楽しむのに好都合。ただ、県境の峠を越える区間は狭隘な路面やカーブなど不安定な駅が目立つ。その山あいからパーッと視界が開けると、和歌山到着だ。
和歌山市
和歌山線プレイをした2004年9月以来なんだけど記憶ない*1。駅前に目立った飲食店もなく、和歌山MIO内の木の実やでお弁当を買いタクシー乗り場のベンチで悠然と食う。駅前交番の警察官が暑い中、高齢者をタクシーに乗せたり乗り場に迷い込んだ一般車を誘導したりして大変そうだった。
和歌山・紀伊風土記の丘版で乗り残した和歌山~田井ノ瀬間は、田井ノ瀬駅の構造から折り返しに間に合わないと判断し、埋めるのを断念。そのぶん昼休憩が落ち着いて摂れた。ちょっと覗いたお土産屋では懐かしの「みかんだんご」を発見。
紀和線
和歌山線埋めの代わりというか、メインテーマの紀勢線を端からきっちり収めるため、和歌山~和歌山市間の紀和線を往復。これが本旅最初のクセモノであった。和歌山電鐵を表すタマが描かれたホームから連絡通路を7・8番線へ向かうと、いきなり「のりかえ改札」が行く手を阻む。ふつう無人改札機はスルーパスできるのが18きっぷの特権だが、ここは突破できない。一瞬manaca取り出そうか、紀和線捨てようかとも脳裏をよぎる。そこへ、同じ18きっぷの同志たちが戸惑いつつも、右端のインターホン下にきっぷをかざし、担当駅から遠隔で読み取った係員の指示で通行許可が下りパスしていくのを目撃。私も倣うと、「18きっぷですね、お通りください」と返答があり通過。まったく妙なシステムを導入したものだ。今回は利用者が連続したからいいが、インターホンで担当者を呼び出さないと使えない。もしこんなのが無人駅とかに普及したら、18きっぷ的には敵わない。
紀和線自体は和歌山市街を高架から眺められる程度の、変哲もない線だった。中間に紀和という駅があり、開業当初は和歌山駅だったという。さて、入場もひと悶着したが和歌山市駅を出るのもまた一苦労。要領はわかるのでインターホン下にきっぷを提示するのだが、改札機自体はこれ専用ではない。意外と多い降車客が改札に殺到しどの口も混んでいる。したがって私に通行許可が下りた瞬間、該当改札機をIC客が通ってしまい私の目前でバーが閉まる羽目に。これを3,4回繰り返し超バカらしくなった。つまりインターホンユーザーは混雑時には通行できず、列の最後尾くらいで待たないといけない。IC客に全く周知されてないし、こういう交錯が起きることもJR西は想定できてない。和歌山市駅前で猛烈に悪態ついた。
駅前ではイベントが催されておりほのかに賑わっていたが、期待した和歌山城は望めず紀和線システムもクソだったのであまり機嫌は優れず早々に折り返した。記念すべき紀勢本線の起点なのにね。
紀三井寺
本日最初の観光は、乗ったばかりのきのくに線を2駅で降りる紀三井寺。救世観音宗の総本山だが、一般に紀三井寺として知られる。駅から徒歩10分。門前は打ち水する土産屋が2軒と寂しいが、参拝客はポツポツと絶えない。
拝観料は200円。閻魔大王が鎮座する楼門をくぐるとすぐ急な石段。
石段の途中に霊水があり癒される。最近旅先の寺で「おんまかきゃら~」の真言を目にするのが増えたなぁ。
本殿を参拝すると、内部の一箇所だけ撮影可能な空間がある。そこには、
ちょうどさっきJRの吊り広告(西国三十三所めぐりスタンプラリー)で、「龍が棲む寺」として岡寺と三井寺がピックアップされているのを見たばかりで、紀三井寺にも龍が居るのかと奇遇に驚く。ここも33ヶ所の一つなので不思議はないか。
境内からの見晴らしはよく、間近に海が見える。
陽当たりこそ良いが、天然記念物樟樹の木陰に入ると海からの風が心地よい。天空かふぇで寛ぐのもいいけど、自然な微風に浸るほうが暑さを忘れる。
湯浅
電車では山側の席に座りながら、絶えず右手の車窓を気にするも海はほとんど望めず。冷水浦(しみずうら)は変わった駅名だ。このへん有田なのに紀伊有田って全然言わないな、と思ってたら藤並がコールされた。紀伊有田はもっと南のほうの駅で、有田市の中心部は箕島なのだと気づいた。藤並に近づくと山肌一面にミカン畑が広がる。かつて同駅から延びていた有田鉄道はミカン輸送を担っていたが2002年に廃線。廃線跡や鉄道公園を訪ねたい気もあった。車窓から、自転車道にもなっている軌道の合流地点を突き止めようとするも、不意に現れて呆気なく駅に着いてしまった。湯浅はこの次。
伝統的建造物群保存地区に目をつけて寄り道を決めた、湯浅町。駅からは徒歩15分ほどの距離にあり、時間的に炎天下で酷かと思いきや、駅前からずっと古民家が密集したり、古い商店街が続いたりして心安らぐ道だった。狭い道を往来する車は煩わしいが、大正村みたいな街の雰囲気がうまく和ませてくれる。店頭にしらす丼を掲げる食堂が目につき、夕飯に食べていこうか思案。町の中心を熊野古道が貫いており、道標に「きみゐてら」と読んだときは奇縁を感じる。
保存地区の入口、岡正で一休み。湯浅の保存地区の良いところは、展示施設の多くが無料・無人の休憩所になっていることだ。ここ岡正には散策用のパンフレットだけでなく、資料館のエントランスのように湯浅のあらましを学べるパネルが設けられている。
湯浅は、醤油醸造の発祥地といわれる。鎌倉時代に宋で金山寺味噌を学び帰った僧が、当地で製法を伝える際にうまれたのが醤油(たまり醤油)であるという。紀州藩の手厚い保護を受けて藩外販売網を拡げ、現在の銚子での醤油醸造も湯浅を源とする。
このパネルですっごく惜しかったのが、宋の字が栄になっていたことだ。径山寺(Jingshansi)は合ってるし、SongがSungなのは誤りでないらしいが、栄だけは頂けない。思わず、この誤植はアカンやろ、と何度も呟いてしまう。
特長的な虫籠窓の二階屋。北町ふれあいギャラリーでは、
人一人通れる程度の小路を入ってゆくと、銭湯甚風呂。「戎湯」として江戸時代に開業し、昭和60年まで営業していたという。
人間いないけど、女湯覗ける貴重なチャンスだ、わーいwww
男湯の壁には古い映画のポスターが掲示してある。奥や二階は生活道具を集めた民俗資料館。奥の間で地元女性らが吊り飾を作ってみえて、声をかけられる。さりげないけど、コロナ禍を踏まえた見学者調査だろう。
角長職人蔵では醤油の醸造工程が器具とともに展示されている。豆腐屋の娘と醤油屋の若者の絡みを歌った「櫂入れ唄」の詞がよく読むと無茶エロくて、独り笑った。
天保12年(1841年)創業の老舗。醤油発祥の地で今も手作りの醤油を販売している。自炊するようになった今、菓子だけでなく地産の調味料も土産に検討したくなる。この角長店舗を裏手に回ると、大仙堀。
ここで初めて、醤油の香りがふわりと漂ってきて、何とも言えない心地よさに酔いしれる。町の中にいるときは全然感じなかったのに、外に出てみると嗅覚が働くって何だろう。背後は交通量の多い道路なのに、居心地がいい。そもそもこの堀は、醤油の原料や商品を搬出入した内港。また、かつては有田鉄道線がここまで延び、ミカンの出荷も担っていたという。
電車までの残り時間、海をみたくてなぎ公園へ行くも、堤防が高くて望めず広川に沿って駅へ。大きな水門や漁船の係留された掘割のほうが、海らしさを感じられた。この頃から雲行きが怪しくなり荒天の気配あり。
紀伊御坊
ひとまずJR御坊駅を外に出てみたが、夕飯を摂れそうな飲食店が見受けられずコンビニで明日朝飯だけ買う。乗り換える紀州鉄道は一旦改札を出てしまうと5分乗継を逸するので、次の列車を車止めの真正面で待ち構える。紀鉄は全線交換駅がなく1両で終日往来している。
折り返し停車中、運転士が丁寧に車内清掃しカーテンなどを整えている。日々僅かな乗客のために、こうした地道な作業で鉄道を維持している。私と一人の鉄ヲタを乗せた列車が夕暮れの御坊へ進んでゆく。ディーゼル列車ながら惰性でゆっくり走るさまは、東海交通事業城北線を思わせるね。踏切やカーブでは小まめに警笛を鳴らし徐行する。学門から先の駅間は短い。唯一駅員が常駐し車庫などもある紀伊御坊で降車。この駅前が、今宵の宿あやめ旅館だ。紀鉄グッズのショーケースを暫し眺めたあと、チェックイン。素泊まり4900円、住んでる居室と同じ203号室。手早く調べると、近くに吉野家があり逆にコンビニは見当たらない。JR御坊駅での選択は正解。食事に出ようとすると女将さんが「雨降りそうだから」とビニール傘を貸してくださる。濡れても知れてる距離だが、心遣いが有難い。
紀伊御坊駅近接の踏切脇には旧車両の603が静態保存されている(ほんまち広場603)。あした悪天候が予想されるなら暗がりで撮っても同じだ、とフラッシュ焚く。
食後は市民文化会館のほうから戻ったが、とにかく街灯の乏しい住宅地で不慣れな者には怖かった。シャワーして就寝。この時点でまだ風雨はなし。
(紀伊半島一周の旅 2:御坊、田辺、潮岬、勝浦温泉へつづく)