(紀伊半島一周の旅 1:和歌山、湯浅よりつづく)
御坊
台風9号の余波で朝からシトシト雨。11時に御坊を発つ予定なので時間には余裕あり。散策する寺内町はここからも徒歩圏内。天候回復を目一杯待って8時半ごろお暇する。発ち際に「雨はそれほど降ってないが、風が強い」と言われ、外に出た瞬間暴風に近い強風を浴び、寺内町まで歩くのを断念、西御坊まで紀鉄を利用する。そもそもこの強風下で紀鉄が平常運行しているか一瞬不安になる。
紀州鉄道
全線で唯一きっぷを販売している紀伊御坊駅。窓口で硬券と、旅行前から目をつけていた紀鉄グッズのキーホルダー(紀伊御坊駅名板*1、裏面は列車)を買う。時折ひどい風の中、ホームにて駅場内を撮影。
対面のヒマワリが風に煽られて苦しそう。列車がやってくると同時に鉄道員が二人線路のほうへ下りていく。線路状況の巡回だろうか。
終点西御坊では貴重な硬券を無下に回収される。撮っといてよかったー
ぷつりと途切れ、どこか窮屈な駅舎。臨港鉄道として誕生した紀州鉄道は、かつて当駅より先にも路線を持っていた。1989年に廃止されたが、軌道や設備は遺されているようだ。いったん街散策に入りかけるも、足は自然と廃線跡へ。もちろん線路を直には歩けないので、今や民家の庭先などを走る軌道を見失わないように路地を縫って追う。海に近く潮気の混じった暴風に晒されながら、殆ど人けのない街で廃線を追っている自分が謎。
30年放置されたにしてはよく残ってる。紀鉄のレールパークにする構想もあるらしい。
寺内町
寺内町 概要/御坊市ホームページ
寺内町散策マップ/御坊市ホームページ
ネット上の散策マップの存在は知らずに、街角にあるのを写メって見ながら歩く。
紀鉄廃線沿いの赤レンガ塀から、小竹八幡神社をお参りして寺内町入り。空襲跡の残るレンガ塀や伊勢屋を確かめるべく、神社周辺は何度も後戻りした。
こちらも正面からフワッと醤油の香りが漂ってきて、本旅は醤油に縁がある。因みにこの対面は津波タワーで、さっきから市内随所にあるなと気づいている。この辺りは高層建造物がなく、少し顔を上げれば目につくので非常時に慌ててもあまり見失わない。
中町の商店街から東町へ抜ける路地がたまらなくいい雰囲気。(志賀屋川瀬家裏)
この東町通りが寺内町の主軸で、見ごたえある町屋がずらりと並ぶ。荒天のおかげで一層閑静な町並みを堪能できる。
その中心に位置するのが、日高別院。浄土真宗本願寺派の寺で、湯川氏により建立された。秀吉の紀州征伐後に再建され、本願寺日高別院の称を得る。御坊舎に因んで「御坊様」などと呼び慕われ、地名御坊の由来となったとされる。
山門は固く閉ざされ参拝できないが、塀越しにそびえる鼓楼は立派。
寺を回り込むように中町商店街へ戻り、目ぼしいスポットを拾う。さっきは潮風が顔に叩きつけるような強風だったが、ここでは抵抗しないと立っていられないような暴風が街を吹き抜ける。とんでもない状況下で観光しているな。遂には東町で建物から板切れがポトリと路面に落ちてきて、自分から10mくらいは離れていたけどさすがにヤバいと思った。また、小雨が一時的に強くなることもあり、別院の山門に軒を借りる一面も。煽られ疲れて西御坊駅に戻りおやつして列車待ち。
学門~JR御坊間で長めの警笛を鳴らしたかと思うと、列車を不意に停止させ運転士が線路へ下りていく。なんと暴風で飛ばされたらしき自販機のゴミ箱が2つ、線路上に転がっていたのだ。こんな日だから悪戯ではないと思うが、障害除去も乗客の眼前でさらりと行われる。御坊到着には支障なし。乗継の間に一旦改札で18きっぷの日付入れをするので、多少急いてはいた。ミイラ見なくても満足でした、御坊。
紀伊田辺
御坊より先の電車は完全ロングシート。乗り鉄と行楽客が半々くらい。一見して白浜まで行きそうな乗客が目立ち、普通電車には似つかわしくない。じつは新型コロナの影響で間引かれた特急くろしおが、さらに台風9号で運休しており普通電車にスライドしていると後で知る。それでも席がほぼ埋まる程度で決して混みはしないのが、そもそも行楽客の少ない証し。紀伊田辺までの区間も沿岸部は少ないが、その太平洋岸を通りかかると茶色く濁った荒波が激しくうねっており、とても海水浴とかやれたものではない。海原を望める恰好のビューポイントなのに台無し。1時間足らずで紀伊田辺。
紀伊田辺は、武蔵坊弁慶ゆかりの地。イベント中の駅前広場に弁慶像。
そのまま目についたらぁめん 子弁慶へ飛び込み、湯浅、御坊と醤油の匂いを嗅いできたことから迷わず醤油ラーメンを注文。駅前ラーメンというより町の中華屋さん。女将さんはロシア人か? ちょっと濃いような素朴な醤油ラーメンであった。
昼食前に入手したたなべえマップを片手に、小一時間の駅近散策。
街なか歴史散策 – 和歌山県 田辺観光協会
湊本通りに入ると昔ながらの商店街が続き、湯浅からずっとこういう街ばかりだなと。中国の侵略者が日本の神々の知恵を試した逸話を由来とする、蟻通神社。
本町道標の来し方はまだ「きみゐてら」を指している。ちょっと風情あるかまぼこ通りを抜け、八坂神社には弁慶腰掛の石。
私も座って宜しいか? 産湯の井戸(跡)は向かいの小学校敷地内にある。
会津川に出て堤防を行くと、田辺城水門跡。
日本の城郭で、これほど臨海なのも珍しいのではないか。
些か残り時間を意識しながら扇ヶ浜公園方向へ。市役所脇の弁慶松と弁慶産湯の井戸*2。
世界遺産の闘鶏神社に時間をとりたくて、他を割愛し最短経路を急ぐ。
熊野古道とともに世界遺産登録されたと思われる、鬪雞神社。壇ノ浦の戦いにおいて、熊野水軍が源氏と平氏どちらに加勢すべきか鶏を戦わせて占ったことが由来とされる。想像していたほど境内は広くなく、さらりと参拝。
乗継時間でピタリと収まるコンパクトな街歩きを楽しめた。
串本までは海岸線の多い区間。海面こそ穏やかとは言い難いが、晴れ間の下に青い海原が見えるようになる。乗客も思わず立ち上がって海岸側の窓ガラス越しにカメラを向ける。美しい車窓が望めるのもさることながら、いよいよ海を間近にする潮岬を訪れるだけに天候回復には心底安堵した。
串本
御坊、田辺と散々歩き回ったので、潮岬行きの串本町コミュニティバスまでは1時間近い暇があるも駅を離れずボウッと過ごす。
串本というと、オスマン帝国の軍艦が座礁したエルトゥールル号遭難事件で知られ、トルコとも姉妹提携を結んでいる。また、不平等条約改正に繋がったノルマントン号事件もこの海域で起きている。船がもたらす国外との関わりが豊富な町だ。
乗り継ぎを考慮してか、ほぼ同じ時刻に各方面のバスが次々と発着するので行き先を注意して利用する。串本の市街地をあっという間に過ぎると、入り組んだ沿岸部へ。この辺りはフリー乗降区間となっており、地元高齢者が家の前などで乗り降りできる。潮岬観光タワー下車。
潮岬
串本では比較的落ち着いていたが、さすがに日本の突端、ふたたび暴風にさらされる。台風接近中のニュース映像で流れる「串本町の現在の様子です」は、まさにコレだな。目の前の観光タワーはコロナで閉鎖中、静まり返った広場には売店もなく不意に小腹が空いてきてどうしよう。
人影まばらな芝生広場(望楼の芝)を、暴風に逆らいながら突き進むと本州最南端。
絵じゃ伝わりにくいが命懸け。近くの到達記念プレートを背に自撮りも試みる。そのまま海岸沿いの散策路を灯台へ進みながら、見晴らしの良いポイントを見つけては荒れ狂う海原を撮る。
森を抜けると灯台を望め、微かな西日に煌めく。
まだ夕陽にはちょっと早いが、交通の都合で日没には合わせられない。
期待してきた灯台内は見学できず、その裏の潮御岬神社を参拝。
画像は外部から最も間近に見える灯台の姿。神社へは一旦坂を下り、また登る(海面上昇すれば小島になるかも)。石積みの防風壁に護られた境内では、飛来物を除き清めている方がいらした。
さらにその先の小道を進むと、鯨山見。ここは本当に突端なので一歩踏み違えれば海に転落するような綱渡りの道。明日の太地で改めて学ぶが、鯨山見とは古式捕鯨で船団への司令塔となるところ。
足元に留意しながら綱の上からも崖下を撮ってみた。終始潮風に吹き曝されて束の間なのに顔がヒリヒリ。潮岬前で帰りのバスを待ちつつ、見納めの一望。
串本駅前にスーパーが見当たらず*3、駅正面のエバグリーン(ドラッグストア)は期待外れだったのでコンビニで明朝食を調達。ガラ空きな新宮行き普通の車内には欧米人のグループと通訳風の青年が同乗していた。自分の留学時代を思い出して懐かしいが、こういう英語堪能然とした若造にはちょっとコンプレックスある。
ふと、日本一短い二級河川のぶつぶつ川って最寄りの下里駅からはちょっと距離あるけど、ひょっとして沿線から見えないかと思い立った。記憶正しく線路に近そうだったので、まったく初めての場所だがGPSで電車の位置を表示し直前から車窓にかじりついて瞬間を狙う。電車の進行方向に対して後方へ流れる川なので、捉えにくいだろうとは思ってた。薄暗がりで景色すら見えづらい中、川に沿った石積みだけがチラッと目視できた。これが限界だな。
紀伊勝浦
紀伊半島を周るなら寄っておきたい温泉地。むかし家族旅行で南紀を訪れたとき、ここ勝浦温泉とわたらせ温泉に泊まったらしい(幼くてあまり覚えがない)。去年の信州旅行では下部と上諏訪の2つ行ったので今回も1つくらい温泉入れとく。温泉と普通の大浴場とでは癒され感が違うからな。
さきの串本駅前にも温泉宿があって迷ったが、勝浦を選んだのは明日の太地への電車都合ともう一つ、駅前の飲食店が豊富なことだ。鯨は太地で食べるとしても他にも海の幸を扱う店が多い、と目論んできた。ところが、
まだ19時だというのに降り立った駅前は暗く、あまりにもしんとしている。ロータリーで唯一灯のともるダイニングバーのような店だけが混みあっているふうだった。急に焦燥感をおぼえてアーケード商店街を歩き回るも、街に人気はなくほとんどの店がシャッターを下ろしており愕然とする。勝浦での降車客は割合多かったが、送迎バスなどに散った者以外は同じように街を彷徨っている。ここにきて初めて経験する晩飯難民だ。閉店間際の淡い明かりに覚悟して入った喫茶店果樹園の、鳥からあげ定食はやや割高だったが満腹になる。私の注文後に来た客が「ごはんなくなりました、スミマセン」と言われているのを聞き、我が身辛くも間に合ったことを知る。コロナ禍で集客の見込めない観光地は本来こういうもので、今まで運よく食べられてきたことを痛感する。また難民発生の一因として、今晩泊まるホテルのレストラン(駅裏食堂)が本日休業なのも拍車をかけていると思った。
営業制限下なので20時には営業店も閉める。食事を終えて線路向こうのホテルへ向かう頃には、一層切迫した難民の姿があった。商店街を経てぐるりと回り込んできたが、駅北口目前にあるHotel & RentaCar 660が今日の宿。 天然温泉で早朝も利用できる。さっそく浸かった温泉は、露天風呂こそないが開放された窓際に陣取ると夜風が心地よい。微かな硫黄臭と汚れでない沈殿物は温泉の証し。極楽、極楽。
(紀伊半島一周の旅 3:太地、新宮、熊野へつづく)