南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

新春志摩島々の旅 2:磯部・答志島

新春志摩島々の旅 1:伊勢神宮・河崎よりつづく)
伊勢市駅9時発の電車と、始動は遅め。ギリギリに起き出して、湯池は小さいけど檜薫る朝風呂で身体を温める。そいえば前回(2021年夏)は密の自主回避を促すため、ホワイトボードにマグネットを付けさせて入浴状況を提示していた。今回はスリッパに番号クリップをつけさせて、スリッパの履き間違いと(クリップの残数で)入浴状況を知らせるシステムになってた。色々工夫するものだなと思いつつ、一度もクリップを使わず下駄箱に放り込む私。お昼には定番の極上海鮮が待ってる。コンビニで軽く朝を済ませる。

志摩磯部

お昼までに、小一時間ほど散策して過ごせるところを鳥羽近辺で探した。五十鈴川駅より先の普通電車は1時間に1本程度しかなく、時間調整が難しい。磯部でも普通のみにこだわると30分しか滞在できない。ここは割引きっぷの特典である、フリー区間特急券引換券を活用することに。志摩磯部に到着するとスグ、鳥羽までの特急券を取得する。事前に空席検索で有無は確認済み。正月といえど直前に取れないほどの満席ではない。

近鉄志摩磯部駅

思わず、可哀そう...と何度も口にしてしまうほど、志摩磯部駅は寂れきっていた。かつてパルケエスパーニャへのバスが発着*1した、玄関口の賑わいはすっかり喪失。駅構内やロータリーはガランと静まり返り、スペイン風建築を模した駅舎があまりに虚しい。それでも特急が停車するのは南伊勢町方面へのバス発着(磯部バスセンター)があるからだろう。このバス路線も一度利用している(当時は南勢町)。
jaike.hatenablog.jp
駅から少し北へ歩くと、こんもりした宮の森がある。

佐美長神社と、磯部神社

佐美長神社は、伊勢神宮内宮の別宮、伊雑宮(いざわのみや)の所管社。伊雑宮新春志摩たび 1 - 南蛇井総本氣で参拝しており、ここからも程近い。静かな小山の上に建つ、ミニ伊勢神宮
磯部神社 – ISOBE JHINJYA
磯部神社は、磯部町内の神社を集めて合祀した磯部郷の惣社だが、伊雑宮伊勢神宮とも密接に結びついているとされる。磯部の神人は今なお正月には伊雑宮・磯部神社・佐美長神社(穂落とし神社)の順に三社詣でをする慣わしを守っているという。
30分には短し、1時間余にはちと長し。残り約20分は特急待ち。賢島方面へ繋がる引き込み線があるのに気づいた。名古屋や大阪方面の臨時特急を発着させるには進行方向が違い、奇妙な感じ。

志摩磯部駅0番ホーム?

近鉄で指定席券とって特急乗るのは人生初かもしれない。たった1区分だけどガラ空きの車内でゆったりするのも良いもんだ。ただ、この区間は勾配やカーブが多く徐行が目立ち、特急列車の本領を発揮できない。

鳥羽(ふる里館)

お昼はお決まりの、魚が旨いと篤く信仰するふる里館。鳥羽に着く間際、車窓からチラと見えた店頭には駐車がある。11時半にして客入りは多め。
この時期は何といっても、冬季限定カキフライ定食が目当て。迷わず注文。

カキフライ定食

牡蛎、小さく...なってないよな。サービスのアラ煮と伊勢エビの赤だしも嬉しい。お店の方と他のお客さんとの会話を聞いていたら、「もともと休業日だったのを開けたら、逆に周りの店が閉めちゃってねえ」とのことで盛況なのらしい。そうか!木曜定休だったんだ! (正月ぐらい)いつでも開いてると当然のように来店したけど、メッチャ好運だったんだ。そう考えたら、食材の仕入れとか通常どおりでない可能性もあるなかで、味も鮮度も満足させるよなぁ、と。「キレイに食べてくれた」と言われるのがいつも心地よい。今後はちゃんと定休日意識して来よう。
すっかり満たされた気持ちで、マリンターミナルに向かって海岸散策。この辺は鳥羽港湾内だと思ってたけど、対面に見えるのは坂手島なんだな。鳥羽駅間近のドルフィン公園には足湯もあるんだ。ちょうど近鉄線が障壁になってて海辺を今まで知らなかった。

答志島

本旅の目玉イベント、”離島へ行こう!”。鳥羽の離島4島のうち、船賃と滞在時間を持て余さない見所の量を検討して、答志島を選んだ。鳥羽港から北東約2.5㎞の沖合に浮かぶ、東西約6㎞、南北約1.5㎞にわたる伊勢湾最大の島。鳥羽港を発着する船は、島東部の答志と和具、島西部の桃取と2航路ある。答志と和具は鳥羽からの運賃が同じ550円なので、往路を(先に寄港する)和具で下船し島内散策しながら答志へ抜けて(帰りの鳥羽行きに)乗船することにする。島の東西移動にはレンタサイクルを使えるらしいが、今回は桃取へは行かないでおく。また、帰りの船を鳥羽港(佐田浜)と中之郷いずれで降りても同じ料金なので、普通電車の接続が良い中之郷にしようと思った。

鳥羽市営定期船

鳥羽マリンターミナルで乗船券を買い、13:20発の船を待つ。往復券はない。海風吹きつける埠頭でなく、暖かいロビーで乗船直前まで過ごす。2階の展望レストランより1階ロビーのほうが居心地よい。答志島ウォーキングマップを入手しておく。
南海フェリーで潮風に吹き曝された経験から、乗船するとデッキへは上がらず船室の座席に収まる。シートは船底に沈み窓ガラスの位置が高くて、見上げるようにしか外は望めない。本来観光船でなく、島民のための公共交通なのだから致し方ない。乗客は旅行者と住民(帰省者含む)が半々くらいか。鳥羽港近辺は波が荒く、ガラスに飛沫が撥ね船体が揺れる。右舷に座ったので船窓からは概ね菅島が見えている。答志島は反対側。どんどん直進し、危うく答志島を通り過ぎてしまうかに思われた途端、左に急旋回して和具へ。このとき前方から大きな船がぐんぐん迫ってきて、背後を擦れ違った。伊良湖から来た伊勢湾フェリーだな、と直感。

和具

下船の際に乗船券を回収される。桟橋のたもとに民宿の送迎車が集まっていて、下船客の殆どがこれらに散ってゆく。小さな待合所以外はすっかり漁港。

和具漁港

島内道路は港付近を除いて、公道だか私道だか見分けがつかない狭い路地が大部分を占める。民家へ迷い込んでしまいそうな不安を覚えるも、一応随所に史跡案内板が指し示してくれている。築上(つかげ)山を登るにつれ、和具の眺望がよくなっていく。

眼下の和具漁港

築上山頂からは、先ほどの航跡が一望できる。

菅島(左)、坂手島(右手前)、鳥羽(右奥)

この鳥羽城を望める山頂には、九鬼水軍の将・九鬼嘉隆の墓(首塚がある。どこかを旅行する度に戦国史ゲームでお馴染みの大名や武将にお会いするのだが、九鬼嘉隆もその一人。村上水軍とならぶ九鬼水軍は有名で、鉄甲船を建造し織田信長に加勢して毛利水軍を撃破している。九鬼嘉隆・守隆父子を描いた新聞連載小説『水軍遙かなり』を読んでたことから一層馴染み深い。

九鬼嘉隆墓(首塚

関ケ原の合戦で嘉隆は豊臣勢(西軍)、守隆は徳川勢(東軍)について戦い、西軍が敗れると父嘉隆は答志島へ逃れた。守隆は家康に父の助命を願い出て許されるも、その報が伝えられる前に嘉隆は自刃した。
自然歩道は細かくアップダウンし、すっかり汗だく。太平洋を望む展望台(築上岬)へ。

築上岬より望む神島と、後方に伊良湖

ちょうど、一昨年GWの景色を反対側から見てることになるね。

伊良湖岬より望む神島と、後方に答志島・菅島(2021年5月)

視線をやや北へ振ると、答志八幡神社の赤い橋が見える。
鬱蒼とした森を一気に下ると、和具コミセンの傍に九鬼嘉隆胴塚血洗い池(嘉隆が自害した洞仙庵跡)。

九鬼嘉隆墓(胴塚)

狭い路地は漁港への方向感覚を狂わせ、真反対の海辺に出ると和具八幡神社の小さな祠。不意に腹痛が堪えられなくなり(冷えor牡蛎?)、定期船待合所で一休み。

殿山から答志へ

漁港から真北へ県道を緩やかに登っていく。地理で見ると、和具集落と答志集落を隔てる峠道にあたる。島内道路はわりと頻繁に原付や軽トラが往来する。辺りで一番の高台にある、美多羅志神社潮音寺を参拝。

美多羅志神社と潮音寺

神社には龍神の形をした木があると後で知り、ちょうど画像中央奥のくねった木ではないかと思われる(「龍神」の幟が写る)。潮音寺は嘉隆が追手を逃れて得度したと伝えられる。
年末年始はなぜか、自然と古墳巡りをするのが恒例となっている。この寺社の奥にある2つの古墳を訪ねてみる。道順は住民手製の案内板が点在し、前後で所要時間が延びたりして訝しむことも。

蟹穴古墳

7世紀後半に造られた円墳。穴口が蟹のハサミだとでも? 自生ミカンはココで見つけた。
ここから登りが急に険しくなる。私のほかにも道標を訝りつつ遊歩道を歩く方々に会ったが、蟹穴古墳から上へは一瞬躊躇うと思う。

岩屋山頂?見晴らしの良いところ

ここからも伊良湖水道が一望できる。また、築上山ごしに太平洋も望める。

岩屋山古墳(石室入口)

木々に埋もれながらも墳丘を一周でき、南東部に開口している。石室がほぼ完全な形で残っている数少ない古墳の一つだという。戦時中、防備隊が塹壕として一部用いた形跡がある。
ちかくの三叉路に「殿山遊歩道分岐 約40分」と書かれた道標があり、ここまで5分や10分だったのが突然スケールでかくなって愕然とする。もしや桃取まで行ってしまうんでないかと皆目見当つかず半信半疑なるも、軽い冒険心で踏み入る。道筋は確かなものの手入れ状況は格段に悪化。腐って崩れそうな木製階段や、除去してない倒木などが目立つ。概ね尾根伝いからの下りだけど、鬱蒼として先の見通せない道中は不安を煽る。ところどころの急な階段を考慮すると所要40分も頷けるとは思った。得意の山道快速歩行を駆使し、20分ほどで海や人家が見えてくると先ず安堵。船に確実に間に合わすため、いくつかの眺望を見捨てたのは残念。
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こちらのコースをまるっと真逆に辿ったことになる。
答志の集落に入ると、なるほど名古屋市章そっくりな丸八(マルハチ)が玄関口や壁など至るところに書かれている。新築の家さえもピカピカの丸八プレートが壁にはめ込まれている。丸八は、大漁や家内安全を願い魔除けとして書かれたものという。チラッと覗く海岸線を見失わないようにして路地迷路を攻略、出港15分前に滑り込み。船が着くまで待合所は無人、券売機あるのみ。赤い橋の八幡社、行けなかったな。

さらば、答志島

夕陽に浮かぶ築上岬のシルエットが綺麗。答志では数人だったのが和具でぐっと密度上がる。やはり右舷に座り答志島沿岸を眺めながら鳥羽へ。佐田浜(マリンターミナル)で乗客全員降りてしまい、中之郷まで乗り続けるのは止した。思うに、答志~佐田浜を一区切りとし、佐田浜から中之郷経由の坂手島行きに便が変わるのだと。したがって答志から佐田浜をまたぐのは不自然じゃないかな。ともかく近鉄乗継に30分も空いてしまったので、まだまだ夜遅くまで発着のあるターミナル待合ロビーで温まって過ごす。余裕こいてたら、そいえばマリンターミナルから鳥羽駅まで真っ直ぐ移動するのは初めてだと気づき、駅周辺が真っ暗すぎて危うかった。閉店廃墟のパールビル怖い。

伊勢からあげ丼

昨日キッシー見送って宇治山田駅を去り際、高架下のまんぷく食堂が目に留まった。「安くておいしい」のフレーズとともにからあげ丼が妙に惹かれる。検索してみると、からあげ丼は伊勢のB級グルメ、三大ソウルフードの一つといわれるらしい。伊勢うどん以外の密かな名物になってるようなので、一度試してみるか。
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マリンターミナルで満たした小腹を消化すべく、いったん伊勢市駅で降りてぎゅーとらで酒と軽食を買い、散歩しながら同店へ向かう。口コミに「初めてはちょっと入りづらい」とあり、食堂よりは居酒屋のオーラが漂う。入ると2つのテーブル席は客がおり、相席か、と思いきや、奥が空いているという。狐につままれたまま奥から通路に出ると、斜め向かいの店舗も飛び地でまんぷく食堂の座敷になっている。出が悪いウォーターサーバーでセルフ水をとり、飛び地だけに対応の行き届きにくいのを気長に待つ。座敷だけど通路側はバーカウンターになってる。人気店だけに続々と座敷も埋まっていく。

からあげ丼

目前にして真っ先に感じたのが、ラーメンの匂い。鶏ガラスープというより、市販の即席ラーメンの匂いだな。スパイシーなタレの滲みた鶏唐揚げが卵とじでガッツリとご飯にのっている。味が濃くてご飯が進む。赤だしを添えたら良かったな。ミニからあげ丼が伊勢うどんとセットになった、新福定食というのもある。伊勢に短時間しか寄れなくて両方恋しくなったときは定食の世話になろう。私が会計する傍らで、混みあって調理が間に合わず、やむなくテイクアウトに変更する客もいた。730円、ごちそうさまでした。ちなみに、食堂を分断している通路はうじやまだ駅前横丁という飲食店街である。
また、伊勢発!伊勢甘タレからあげ協会 公式ホームページも、伊勢からあげをPRしているようだ。まんぷく食堂は協会に加盟しておらず、からあげ丼は独自のもの。
露天風呂で夜景見て、晩酌して就寝。

新春志摩島々の旅 3:賢島・鵜方へつづく)

*1:現在は鵜方駅