久々の土曜休みは好天に恵まれ、週末家事を昼までに片付けて2週連続で豊田方面へ出かけた。
今日の目的は、名鉄三河線猿投方面(山線)完乗。残る梅坪-猿投間を乗りつぶすだけなら、三角移動としておいでんバスさなげ・足助線で猿投駅と浄水駅を結び、竜泉寺の湯豊田浄水店で一風呂浴びて帰るつもりだった。ところが先日、三河知立駅が知立駅高架化の影響で900m移転し、同駅前後区間が未乗車に。よって、一回は知立を経由する必要が生じた。バス乗継は運賃的にも不利なので、先週行った竜泉寺の湯はパスして猿投付近を散策することにした。地図上で気になった豊田市「民芸の森」、そのアクセスページに付録するウォーキングマップを参考に歩く。
案内は平戸橋が最寄りだが、起点は猿投駅とし民芸館、勘八峡、馬場瀬古墳群を目当てに歩いてみる。
三河線猿投方面
行きは名鉄豊田線で設計したものの、大曽根で予定電車に乗り遅れ名古屋本線からの逆回りに変更。知立での三河線は特急に接続してないので、急行で調整する。高架化工事中の知立駅で、名古屋本線上りから三河線ホームへの移動は階の昇降がしんどいことを知る。ロングシートを窮屈に座らされ、三河知立旧駅跡を拝むことなく殆ど転寝。
三河線猿投方面に関しては、20年前の猿投~西中金廃線日に同区間のみを往復乗車し記念切符を得ている。
昨春は碧南方面を乗り、廃線区間の一部に整備されたレールパークを歩いた。
現在の終点猿投駅は、駅構内の延長に100mほど線路と踏切が残され列車入替等に使用されている。すぐに途切れてはいるものの、昔日を望めるような心持ちになる。
民芸館
猿投駅よりまっすぐ東へ行くと、枝下川神社。
矢作川を水源とする枝下用水の竣工を記念して建立された。用水は神社の足元を矢作川に並行して、今も静かに流れている。
用水と矢作川に挟まれた、矢作緑地平戸橋公園。先週末で見頃を過ぎ、花見の機を逸したと悔やみかけていた桜が、まだまだ綺麗に咲いている。ここに来て、間に合って良かった。
常設展の第3民芸館には、田舎家を再現したいろりや古箪笥などの展示、市民の方々による陶芸や絞り染めなどの作品展がある。涼しくて落ち着いた館内から、屏風のように公園を見やるのも趣あり。
明治初期に名古屋市で開催された博覧会の迎賓館として建設され、のちに銀行として使われた。カブの形をした窓枠は、縁起が良く「株が上がる」にもつながるといわれる。
勘八峡
矢作川を堰き止める越戸ダムの一帯を、勘八峡というそうだ。枝下用水取水口の水力発電所を経て、勘八水管橋の上から峡谷を眺める。
中流域ながら、丸みを帯びた巨石がごろごろとしている。上流に越戸ダムの赤い堰堤が見える。橋上から見た両岸の桜も美しい。
馬場瀬古墳群
矢作川左岸の丘陵上に位置する、6~7世紀代の古墳群。南北300mの間に8基の古墳が点在する。いずれも直径10~20mほどの円墳。
水管橋も川面から十分高所であったが、国道153号旧道からさらに急斜面を登った住宅地の中にある。1号墳は原形をとどめず、馬場瀬神社の奥にある2号墳は墳丘がギリ分かる程度。しかし、山林の中に密集する3~8号墳は、いずれも墳丘の状態が良かった。一見すると盛土の共同墓地で、これほど寄り固まった古墳群を一望するのも珍しい。なかでも8号墳は、輪郭の整った墳丘や裾を囲む溝の痕跡、立派な横穴式石室が残る。石室からは土器や矢じり、耳飾りなどが出土し、交易の要所である当地に勢力をもつ豪族が埋葬されたと考えられている。石室を覗くと、奥壁と呼ばれる2枚の巨石が目をひく。
そのまま山林を通り抜けるより、馬場瀬神社脇の階段を旧国道に下りるのが無難だと思った。
程よい起伏もあり、2時間のんびりと花見しながら歩けた。さっき寝ぼけ眼ながら、平戸橋駅ホームの桜が綺麗なのを見留めていた。夕日の加減が難しいけど、電車と一緒に収めたくて上下線とも試した。まぁ、納得。
梅坪では、豊田線上小田井行きと入れ違いの1分接続ができる。この効率もあって往路名古屋本線回りより20分短縮して帰りつける。花見も間に合って、先週よりずっと満足感ある。