南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封市2年半の変貌と考察

はじめに

2009年11月3日に去ってより約2年半。この間に上海万博があり、北京五輪のように余波で整備された部分もあろう。留学期間よりも長いブランクの変化をわずか3日間でチェックすることは不可能に近いが、公交と自身の足を駆使し、時間の許す限り市内に関しては満遍なく巡回したつもりだ。また、09年以降に敷かれた公交路線にも試乗して把握に努めた。時間の都合上、郊外(开封县や黄河方面)および郑开城际公交、长途汽车の調査は割愛。
概観して、开封の街は随分良くなったと思う。しかも、留学中や帰国後に「ほんねとーく」などで提起・要望していた箇所が実現している。まるで蛇池を読まれたかのようで、驚き且つ喜ばしい。一方で変貌全体の3割ほど、开封に適した都市計画の理想に逆行する施策も見られた。そこで、本稿の展開として、前回2009年10月25日記事开封市8ヶ月間の変貌報告書と同様に大きなテーマごとに動向を並べていくスタイルをやめ、「3大改善点の評価」と「三轮出租车廃止への批判」を主要トピックとし、中小の変化は「その他」にまとめる。自作架空鉄道KaifengLRTとの関連事項も随時挿入。

三大改善点

1.书店街の步行街化

悲願の书店街歩行者天国が実現。17日朝、18路のバスで书店街北口を通って発見。大きな木造の門が造られ、庇下には車両進入禁止の標識が。思わず声を上げそうになるほど感激。蛇池での言及は意外にも雑記帳交通論2(2007年10月01日記事)の1回だけだが、他都市の旧市街を歩き比較したりして开封の街を考えるたびに何とかしたいと思ったものだ。既にホコテン化されていた繁華街の马道街よりも観光色が強く、狭い歩道を伝いながらの街並み見物は困難であった*1。路面舗装は早くからアスファルトでなくタイルであったが、その上を大型の市バスや乗用車が我が物顔に走る有様は滑稽であった。

画像群1:2009年2月の书店街

しかし、书店街の歩行者天国化は容易くないことも分かっていた。开封は市内、とくに城壁内を南北に縦断する主要道路が少ない。交通の大半は中山路と解放路に集中する。ただでさえ马道街をカットされているのに、さらにその北の书店街を封じられたら混雑のリスクは高まる。その影響を直接受けるのが公交(市バス)だ。東西移動の主力系統である11路と13路は、学院门から鼓楼を経由して新街口に抜けるのに中山路ではなく书店街を通っていた。JAC社製(当時)の巨体が車線すらない狭小の书店街ですれ違う様は見苦しかったが、中心地の鼓楼を経つつ幹線道路の中山路を回避する苦肉の策として书店街が貴重な抜け道であることも確かではあった。それでも书店街はホコテンになってほしいとの願いから、公交13路をモデルとしたKaifengLRTのR6系統は行宮角経由とした。今回书店街封鎖が実現したことで、R6のルートがそのまま現在の13路と一致する形になった。万歳。
この2年余りの間に何故実現したのだろう。一つには観光都市化の推進力だろう。第二の宋都御街でありながら、書店や工芸品店のみならず現代的な店舗も入り混じった新感覚のストリートを目指して観光客を誘致する。二つには自家用車の増加に伴う、书店街への流入の問題解決だろう。たしかに上述のとおり血管を一つ切られるのだから中山・解放両路への影響は大きかろう。しかし、狭い通りからは締め出さねばならない。ましてや観光的価値のある街は守らねばならない。英断だと思うよ。これはいつか述べた気がするのだけど、歩行者専用道路を増やして主要道路の交通量を敢えて増加させ渋滞させることで、中心部への車両の流入を運転者に嫌忌させるのもありじゃないかと。そうやって开封老城を保護していくのが狙いだとしたら評価したい。
18日午後、鼓楼から歩いてみた。書法に関する解説が路面に描かれ、銅像も各所に置かれている。赤や黄の旗が翻り古都らしくなった。徐府街-河道街*2との交差点には河道街を跨ぐような古風の橋が造られ、恐らく街道を高みから望める。ちなみに東西の道は車両通行の制約はなく、ここだけは往来する車に注意しなければならない。そういえば、河道街沿いにある开封市第一人民医院は步行街化の影響は受けないのだろうか。开封最大の書店、新华书店にも入ってみた。入口に盗難防止装置が立ち、荷物預かりシステムがなくなった。

画像群2:2012年03月の书店街

2.公交改善(新型車両の導入と路線網の改編)

まずは、新型車両への転換について。これは目を見張るほど総代わりした。中型から大型のバスを用いた主要路線について、2009年10月時点で新型車両あるいは快適な乗車の保障された車両が導入されていたのは1,7,8,9,13,14,15,18,(20),21,(22),24,26,28,29の各路線。これに対し、早急に燃費の良い車両への転換が切望されていたのは3,4,5,6,11,12,16,17,31,33の各路線。また20番台を中心に使われていた少林客車のマイクロバスも老朽化がひどかった。この2年半の間にご老体が一掃されたばかりでなく、1,9,13,18,29各路のように既に転換済みだった路線もさらにリニューアルされており、もはや09年と完全同一の路線は一切存在しなかった。この新旧転換においても、マイアイデアの採用が見られる。乗り心地などを絶賛していた1路の長安鈴木製車両は、留学中最も親しんだ10路へ転用されていた。早期から新車だった18路車両は、同じ外环路を見るにも乗るにも耐えないオンボロで走っていた12路へ転用。书店街を巨体で幅利かせていた13路車両は、市内を東西横断する陰の幹線17路へ転用。適材適所になったなと思う。13や24路のJAC製車両は新式ながら図体でかく、开封のような中小都市には重苦しさを感じていた。これも考慮され、大柄でも軽快な車両へ転換(4,9,13,29,31各路など)。空調搭載車も増えたが、運賃は相変わらず一律1元(拍手)。20路や22路のようにマイクロ車両から中型車へランクアップしたのもある。

画像群3:転用例
新車の10路(旧1路車両)  新車の17路(旧13路車両)

一方でマイナス面として、公司(営業所)ごとのボディーカラーの喪失がある。これは留学後に南蛇井が公交研究で発見したもので、开封公交の4つの主要営業所(总,二,三,四)それぞれを基点に発着する路線を分類すると、広告ラッピングされていない車両に施された帯の色と一致する。留学当時から新型車の導入によって徐々に霞みつつあったが、{总公司:深緑,二公司:青(含水色),三公司:赤(含オレンジ),四公司:薄緑}に分けられ、それぞれ{总:11・16,二:5・9・10・29・31?,三:1・6・12・18・33,四:4・17}にその配色を確認できた*3。それが完全に幻と化してしまったのは残念なことだ。
ところで今回は留学時代の开封を記録する旅でもある。時間が経つにつれ、旧車が一台も見えないことに猛烈な寂しさを覚えた。市中では2度ほど幻覚らしきものを見かけたが確認には至れず。散々探し回った末、18日夕方ついに西区公交场の一角に保管された廃車たちを発見、覗き撮りに成功した。慣れ親しんだ旧知に再会でき感無量。エンジン音や振動、車内に充満するガソリン臭、木製の座席の感触などが甦る。

画像群4:忘れえぬ我が朋友(开封公交旧車両@西区公交场)
旧5,10路車両(画像は10路) 旧4,5,10等路車両(画像は10路) 少林客車のマイクロバス車両(画像は32路) 旧3路車両

ほか、奥に旧33路車両も見える。

09年時点で既成の主要路線にルート変更はほとんどない。33路が西の起点を金明广场から金明汽车站へ伸ばしたこと*4と、金明大道以西へ進出していた系統の西の発着点が新しくなった辺りか。この2年半も金明大道以西の都市開発は目覚しい。5年前など辺境だったのに、集合住宅も商店もかなり増え街らしくなった。开封の都市計画は金明大道を軸とし、「東に旧市街、西に新市街」的な構造を建設するのだと、いつか資料で見たことがある。まだまだ序の口だけれど進展は感じられる。その中で重要度を増してくるのが西区公交场だ。現在開発が進むエリアのほぼ中心に位置する市バスの営業所で、恐らく市内最大級。まだ中心部の座を譲らない旧市街地区へのパイプラインを放つ拠点となる*5。そのパイプの中でも将来の大動脈になる、と留学中から着目してきたのが31路だ。07年以降に敷かれたこの系統は、火车站を起点とし真っ先に市中と西区公交场を結んだ。車体カラーが青だったため当初は二公司系に分類していたが、再分析*6の結果これは車両の転用に過ぎず「西区公交场発着系統第一号」なのではないかと考えるようになった。もともと开封公交は1と3のつく系統は重要路線と注目してきたが、中でも31路は西部開発の鍵となるはずだ。この予測の的中を今回実感した。

09年11月確認時点で40路まで運行していた系統数は、この2年半で6本しか増えていない。しかも最新の46路は、私が訪れる僅か1週間前に開通したばかりだった。ただ、09年当時34路以降はマイクロバスによる試用段階であり、不在期間に成熟している路線もある。これら新設系統のうち、今回注目して取り上げたいのが37路と46路だ。37路は东郊乡(公交四公司)を発し、开封唯一の東西貫通道路(新曹路,曹门大街,东大街,西大街,大梁路から郑开大道へ続く道)を只管突っ走る路線。貴重な市中貫通の性格からか自動車優先の傾向にあり、新街口以東は公交も疎らでLRTも遠慮してきた。外环路の発達に伴い市内での公交優位が高まってきた証しともいえる。一方、出来立ての46路も東西往来型の路線。留学中、开封县と杏花营を結ぶ长途汽车でなく公交型のバスを火车站で見かけたことがある。市南部の東西横断型交通として面白いと思い、これを念頭にLRTで开封县城と金明汽车站を直通する系統R7を作ってみた*7。46路はちょうどこれらを前提とするような設計であり、又もやニンマリ。

まとめ 西部地区の開発に牽引される开封公交の現代化の進行が窺える。また、より合理的な路線網編成も着実なようで今後が楽しみ。

3.五福路の改修(および南西地区の発展)

五福路とは、中山路南段の三里堡から五一路までの東西約1kmの通りのこと。公交10路や18路が通り、また中心汽车站と开封以南の諸都市(尉氏、许昌など)を結ぶ長距離バスも往来する。この道の舗装は、留学当初はそれほど劣悪ではなかった。当時开封市内には穴だらけの道路が至る所に点在していた。転機は北京五輪聖火リレーがこの町を通るという御触れと五輪特需ともいえるインフラ整備投資?によって、各所で道路の改修が行われた。中山路や外环路(苹果园)は前者の理由で、かなり早急に施された。一方で五輪の恩恵的改修は開催期間と前後して進められ、完了は半年くらい遅い。その例が魏都路と铁路北沿街だ。この二つの道は、兼ねてより市内でワーストを争うくらい酷い舗装であった。市中心部では自由路や包公湖南路もひどかったが、全体としてみればこの2つに劣る道路は存在しなかったはずだ。魏都路は五福路より五一路を挟んで西へ伸び、18路のバスはここも走る。一方の铁路北沿街は火车站から解放路を少し北上した交差点から東へ伸びる道で、公交12路が通る。大学周辺から一本のバスで駅に行ける系統として10路、12路と18路は重宝していたが、後の2路線は劣悪な道路を介するのが苦難であった。もうその区間になると舌を噛みそうになるほど飛び上がり、落ち着いて座ってなどいられない。だから、これらの道路の改修は悲願であった。いずれも09年10月の際に舗装改修の完了を確認している。
ところが、铁路沿いの2つの道路が改修されたことで相対的に五福路の劣化が目立つようになってしまった*8。穴だらけというわけではないが、凹凸がやや身に沁みる。この道は先述のように長距離バスも行き交い*9、交通量も多い。また、三里堡附近では乱雑に市が開き手をつけにくいらしい。が、連鎖を期待していた。
17日朝、大学へ向かう18路に乗って早々、この五福路を通って感激した。見違えるほど素晴らしい改修を済ませていた。魏都路と比べても遜色ないくらい舗装も歩道も整っていた。その感動のまま魏都路に進むと、こちらはもっとレベルアップしていた。街路樹も綺麗に植わり、沿道南側にはモダンな集合住宅が建っていた。もうクレーターだらけの魏都路は想像できない。大王屯东街との交差点の信号機は09年10月の時点で既に出現してたんだね。さらに揺られること宋城路へ。かつて宋城路の南側、とくに黄河大街より西には大した街はなかった。黄河大街や夷山大街との交差点はほぼ丁字路で、その南は空き地状態だった。それが今や立派な十字路に変わりつつある。魏都路と宋城路に挟まれた地区が急速に発展しているということだ。これまで公交の系統もなかったし歩いてみたこともない、私的にもいわば未知の世界。KaifengLRT2号線の黄河大街、夷山大街両駅も便宜上設けたに過ぎない。今後このエリアが更に開拓されれば、LRTも存在価値を帯びてくる。非常に期待の持てる動き。

輪タクの廃止について

正しくは、「私営三輪タクシー(客运三轮车)の営業禁止」か。今回最大の衝撃。17日朝、火车站广场で異変に気づいた。以後、障害者や高齢者用の車椅子代りを除いて、市中どこにも电动・机动ともに見えず不安募るばかり。19日、日本人留学生に聞くと、昨年12月、市長の交代を機に廃止令が発せられた、という。

画像群5:三輪タクのいる風景(2009年)

もっと撮っておけばよかった...

帰国後に真相を検索。
三轮车给宋都抹黑 敢问开封咋成“三轮城”?(开封日报2011-11-17):三輪タクシーが如何に増加し、現在の开封市にどのような影響を与えているかを検証
この記事から廃止の要因を、おもに失業者による不法な三輪タクシードライバーの急増によって、交通秩序が乱され事故が頻発し観光都市の景観が損なわれている為と読み取れる。電動車は元手が安く無許可で営業する者が増え、市内で7200台以上もの三輪が走り回るという。トップの事故の画像が痛々しい。市外からの訪問者が運賃交渉や無秩序走行に閉口した事例も挙げ、管理・取締の強化を提起している。
开封大力整治三轮车打造国际文化旅游名城形象(河南日报2012-01-11):开封市の三轮车整理政策と観光都市の保護について
2011年12月1日を以って、开封市内3.8万台の三轮车*10を整理。「2011年10月,开封网调查,支持整治三轮车的市民占到了94%(開封網の2011年10月調査で、三輪車の整理・取締を望む市民は94%に達した)」の文言には郷愁を覚えるも、これが時代の流れと現実なのだろう。後半には、廃業させられるドライバーの生活支援に関する施策もある。そして、同時に开封旅游观光人力客运租赁公司を設立し、観光用人力三輪車700台余を新たに走らせる。以下に詳細。
开封市首批100辆旅游观光人力客运三轮车运营(开封日报2011-12-12):2011年12月10日、人力三輪車出発式の様子。
宋代の都に相応しいスタイルで統一。何よりも車両数を制限し計画的に投入することが目的。今回実際に見かけた。
 三毛购物广场前にて。まだまだ相国寺一帯でしか見られない模様。

実は2009年より、河南大学南門前広場は三輪タクシー乗入れ禁止となっており、予兆だったのかもしれない。しかし当時はまだ、迷惑どころか十分市民生活に密着し愛されていたと思う。起歩2元、よく利用したのは河大南门-书店街北口3元,河大南门-金明广场10元(夜間)など。極寒の冬場に重い軍用外套を着てハンドルを握る姿に、自分もドア開放でかまわないと思ったものだ。夜間は路地に連れ込まれて恐喝されるなどと先輩から聞かされていたが、ただの一度もそんな被害はない。俺にとって三輪タクとは开封好心人民の象徴だ。开封人は、自分たちが如何に大切なものを失うかが分かってないと思う。
上述のサイトではあまり言及されていないが、整理政策執行の大きな理由にマイカー族の増加に伴う市中の交通量の増大と、その飽和の危険性があると思う。嘗て开封を走る車の大半はタクシーだったが、今や自家用車の割合が高まり中山路や解放路では常時渋滞が見られる。2車線の車道を車が、側道を自転車・電動バイクと棲み分けが成り立ち、三輪がその両方を上手に走っていたのは最早過去。自動車が大勢となり車道には一定の速度が求められ、三輪は対応しがたくなった。それが事故の要因ともなる。またマイカーの急増は、もともと狭い幅員に車道と側道を設けた开封の道路は応え切れない。側道への車の流入や駐車が他のビークルを圧迫する。二輪と違って幅のある三輪はそこで不利になる。さらに市内各地で胡同の区画整理と開発が進み、三輪の得意とする路地が減少。こうした変化の中で、次第に市民の見方が変わっていったのではないか。
前章では开封の都市建設の方向性を好評したけれども、本件に関しては全く逆行であると言わざるを得ない。开封のような歴史ある中小都市では、市中とくに旧市街への車の流入及び市内での走行速度を制限し、小型の乗合交通を優遇するべき。街を改造するのではなく、街に調和する移動手段を選んで保護することが重要。公交と輸送量の効率性を比較し公共交通の集約を図るなんて、広大な新市街をもつ郑州などの大都市のやることだ。モータリゼーションの荒波から長閑な界隈を守ってこそ本当の古城ではないだろうか。「三轮城」の異名をとるまで育みながら、統制不能なほどに増殖させ適切な交通政策へ活用できずに滅ぼしてしまったことを、市政府は猛省すべきである。同時に、恐らく側道限定となるだろう観光リキシャもせめて城壁内は目一杯走って、車の横暴に対する抑止力を担って欲しい。

その他諸々

河南大学西门外地区の整理と開発が急速に進んでいる。中でも、解放路と内环路を結ぶ铁塔六街の開通は目を引いた。古本の露店や理容店、网吧の連なる落ち着いた雰囲気は一変し、集合住宅など大型建造物ができつつある。
铁塔六街(内环路より解放路方向を望む) 西门口に建設中の大楼
市内に新たな大型SCが出現。新街口の宋都御街西側に「大商新玛特」が建ち、Pizza Hut(必胜客)开封1号店が入居。09年開業の千盛百货や新都汇购物广场とともに、鼓楼に次ぐ一大商業地として発展中。また、儿童医院南東角にできた「大润发」にはKFCが入った。
タクシーの運賃が値上がった模様。「初乗り3km5元、以降1km毎に1.0元」から「初乗り2km5元、以降1km毎に1.3元」へ。ネット上では今年7月1日より施行と出ているが、既に車の側面に新料金が表示されていた。この新しい設定は実は留学当時の郑州のものに近く、経済力の推移が窺える。ところで、前章の通り交渉自由で安い三轮出租车が全廃され、個人の自由な移動がタクシーに集約される中での値上げというのは市民にとって相当な経済的負担と思われるが、それを受容できる辺りも又経済水準の向上を見て取れる。
公交だけでなく长途汽车もモデルチェンジ? 画像は相国寺汽车站を出発する朱仙镇行きのバス。3年前とは車両が違う。

东京大道北側に开封大学新校区が完成。专科大学から河南大学に次ぐ重点大学を目指す意気込みが伝わる。市北西部は河南大学新校区や黄河水利学院もあり、文教密集地帯に。
迎宾路の淮河医院近くに开封初のユースホステル、开封国际(天福)青年旅舍ができた。公交で延庆观附近を通過中に看板を発見。2011年開業、男女別相部屋50元/人とのことである。これは今年発刊の『地球の歩き方』にも掲載されている。また洛阳にも同様のYHができた模様。

おわりに

2年半前と比して見栄えは格段に良くなった。しかし、市民の生活を充実させ、开封の特色を遺して活用し、なお且つ観光都市として発展させるための方向性はまだ不明確だと思う。
現在、开封には动车组が停まり省都郑州とは城际公交で密接に結ばれている。近い将来、郑州と市西部の間には軽軌交通が開通し、市北部には高铁の駅も設置される予定だ。郑州が直轄市に昇格すれば、开封も一つの区として吸収されるという話もある。このように开封を取り巻くネットワークが急速に成長していく中で、都市の画一化に従うことは国内での埋没を意味する。他都市を参考しながら、いかに独自性を創出するかが問われる。开封は、そのローカル性を適度に保ちつつ経済水準に対応して発展することが望ましい。

*1:夕方以降は鼓楼の夜市と併せて車両の進入規制あり

*2:书店街の西から徐府街、東から河道街が交わる

*3:画像群4の1枚目「旧5,10路車両」(二公司系)が一例

*4:これにより33路は外环路の西辺と北辺をなぞり、即ち开封を半周する路線となった。

*5:重要性上昇を示す一例として、郑开城际公交の金明广场站が廃止され西区公交场站を経由するようになった。市内交通のみならず都市間交通も集約した総合ターミナル化が進む。

*6:二公司系は火车站ではなく汽车站を起点とするのも懐疑の一つ

*7:再編の末に廃止

*8:この点は、2009年10月25日[ほんねとーく]开封市8ヶ月間の変貌報告書「道路整備と都市改造」でも指摘している。

*9:この点は中心站から東南方面へ発着するバスが通る铁路北沿街も同じではないか。

*10:乗合、自家用等を合わせて