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开封市8ヶ月間の変貌報告書 - 南蛇井総本気(2009年)
开封市2年半の変貌と考察 - 南蛇井総本気(2012年)
开封市2年3ヶ月の変貌と考察 - 南蛇井総本気(2014年)
目次
はじめに
帰郷旅行恒例となった开封市不在期間の変貌報告書。今回は比較的年月が開いているがトピックはさほど多くはない。近年は中国版ストリートビュー(街景地图)で事前に変化を予習でき、あまり現地で衝撃を受けない面もあれば、都市造成があまりにも急速すぎて情報収集と確認・分析が追いつかない面もある。したがって、出発前のネット下見で衝撃を受け現地調査に至った新興観光名所の造成を、ダイジェストとしてクローズアップする。また労力に限界があるとはいえ、前回の急な行程変更から滞在時間がぶつ切れになってしまった反省から、今回は約二日間のまとまった時間を充て暑さと疲労を回避しつつ公交などで丹念に見て回った。その中で特に気の付いた改変箇所をざっと取り上げておきたい。そして最後に、近年中国全土で急速に普及しているキャッシュレスシステムと自転車シェアリングサービスの活用状況について記しておきたい。
観光都市開発に伴う宅地街(胡同)整理
メイントピックが出発前に決まっていたのは今回が初めて。おそらく市内の記録撮影スポットを確認検索していたところ、見慣れない伝統的建造物のライトアップ画像がふいに現れた。調べてみるとそれは文庙という新名所で、北道门街沿いの汴京饭店のすぐ北側に位置するという。かつてその辺りはごく普通の商店などが建ち並ぶ、なんの変哲もない通りだと記憶している。百度百科などの資料によれば、文庙の旧跡は住宅地のど真ん中にあった市第七中学の片隅で保存されていたようである。さっそく衛星地図で確認してみて驚いた。文庙と廟を形成する歴史建造物、周りの商業施設を含む一角のみならず、およそ龙亭公园のある潘家湖東湖畔から北道门街に至るまでの住宅地一帯の大部分が撤去されていたのである。尤も街景地图では新旧2種類の画像を公開していて、前回2014年訪問時点でもメイン楼閣の建設は始まっていたが宅地撤去はそれほど進んでいなかったことがわかる。それでも画像の更新が交錯している箇所では、ワンクリックするたびに古い家屋が現れたり瓦礫の山になったりする。この路地裏一帯は河南博物館旧址などひっそりと佇み、昼間散策したこともあって整地が進んでいるのは相当ショックであった。読者の方には非常に分かりづらいと思われるので、以下に新旧の衛星画像を載せる。
2012年頃と思われる画像。中央やや右寄りの大きな建物が市第七中学で、現在の文庙の位置に該当する。
ほぼ現在と思われる画像。文庙を囲む北側と西側はもはや宅地の面影はない。
新名所としての観光がてら、現状を確認してみた。
jaike.hatenablog.jp
撮影こそしていないが、かつて車もすれ違いづらい裏通りだった文庙街も見違えるようなショッピングモールへと変貌している。
そして、視察するからにはこういう写真を憚らずに撮らねばならない。無惨な姿が観光客の目に触れにくいようブロック塀で封じていく。塀さえ気にならなければ、昔よりずっと日当たりよくなった文庙街は滑らかに龙亭へと延び、観光開発は一定の完成を見たように思える。しかし、現実はここに収まらない。
北道门街(解放路)を跨いで東側に双龙巷という、これまた古い路地がある。そこを中国全土で流行りの古風建築モールに改造する計画があり、一部で工事が始まっている。今回訪れたときはまだ北道门街との交点(开封市中医院北側)に広場ができている程度で、その先は胡同の通りが続いていた。市の東方は観光名所に乏しく、龙亭景区とどこかのスポットを繋ぐ通路上を開発する、という意味合いは全くない。市民生活よりも観光を最優先に考えて、闇雲に古い住宅街を整理し見栄えのいいショッピングモールを造成するだけのように思えて仕方がない。
ちなみに、ここ10年ほど市内随所で古い住宅地の大規模な取り壊しは行われてきたが、中でも今回のように明らかな観光開発が目的である現場としては、繁塔周辺と西司桥一帯がある。前者は繁塔を禹王台公园と一体化させるため、後者は杨家湖から包公湖に至る川の上で夜間表演を行うためとされている。いずれも比較的早い時期に工事が始まり、开封市における一連の胡同撤去計画の先駆けともいえる。しかし結果はといえば、後者のほうは川沿いは割合キレイに整備された*1ものの、繁塔はといえば公園とかろうじて繋がった程度で周囲は取り壊しから10年近く経った今でも荒れ地のまま。これでは乱開発と揶揄されても仕方のない有様である。
たしかに電気や水道などのインフラが無軌道に入り乱れ、少なからず行政管理の行き届きにくい胡同や旧住宅街は一定の整理は必要だろう。しかし六朝古都というだけで市民の暮らしを根こそぎ奪い、市中から追い払ってまで見所を造成して良いというものではない。暮らし方は如何様であれ、古都の土壌の上に脈々と生活を営む現代开封人民の誇りを尊重してやってもよいのではないか。この市民生活の保障と観光開発とのバランスは、开封市が永遠に背負っていく課題といえる。以前にも言及したし、今後も同様の開発と接するたびに考えさせられるだろう。
公共交通の整備
トップニュースは何といっても郑开城际铁路の開業であろう。郑州东と开封宋城路を所要約30分で結ぶ都市間高速鉄道の開通は、10年来の悲願といっても過言ではない。詳細は以下を参照のこと。
jaike.hatenablog.jp
また、長距離高速鉄道郑徐客运专线の途中駅としての开封北站も開業している。上海までの全区間が高铁専用線になったことで、所要時間は最速で5時間弱にまで短縮されている。駅外観すら確認しに行く余裕はなかったが、公交路線の中に同駅を発着点とするものが見受けられた。
長らく中国人民より熟知していた开封公交も、市域拡大に伴って路線も増え把握しきれなくなった。かつては新規路線をマイクロバスなどで運行していたが、今や新型車両が続々と導入され仮設の装いは全くない。今回初めて乗った47路は、铁塔公园より解放路を南進し东司门で西へ向かって新街口を通り西环路から北上するという、龙亭を包むU字型のルートを成している。河南大学老校区と西郊を18路よりも短く結んでくれ、なかなか有効だ。
公交の変化で特筆すべきは、8路の大量輸送型バスへの変更だ。かつて、市中心部と東部または南部郊外とを結ぶ8路および14路だけは、开封公交の中でも特殊な車両、いわゆる城乡公交のような車掌乗務のミニバスで運行されていた。开封县(現:祥符区)に属する郷鎮へのバスは基本、相国寺汽车站(廃止)から発着するが、この2路線だけは例外であった。おそらく市内は一律一元、县の村落部では距離に応じて運賃が加算されたものと思われる。それが今、立ち乗り可能なワンマン車両へ移行しているのに、実際に禹王台公园で乗車してみて気づいた。市街区域拡大と开封县の区制施行により、郊外で運賃格差をつける必要性がなくなったためだと考えられる。全然知らない郊外の行き先を告げることなく、自由気ままに乗降できる形態となったことは非常に喜ばしい。
街路の整備
一番のポイントは、迎宾路の延伸(省府西街~西门大街間貫通)である。16日朝、18路公交で東進する道すがら迎宾路との丁字交差点に遭遇し、衝撃と感心を覚えた。この道路整備が市内交通事情に与える効果は大きい。というのも、長らく开封市の城壁内において南北を貫通する幹線道路が非常に少なかった。歴史建造物を有する书店街が歩行者専用道路となってからはとくにそうだが、元来市内の縦筋は解放路と中山路しか存在しなかったといっても過言ではない。また東西移動においても、完全貫通道路はほぼ西门大街~曹门大街(統一名なし)の一本に過ぎず、繁華街の鼓楼街や道幅の広くない自由路は混雑しやすく通り抜けには不向きだった。しかも南北道路が限られるため東西移動が分散しにくく、慢性的な渋滞を発生しやすくしていた。それが今回の迎宾路改修により西门大街・省府西街(鼓楼街へつづく)・自由路の三大東西道路が繋がれ、一般車の分散がしやすくなった。実際、ちょうど通勤通学のラッシュアワーに乗り込んだ18路バスは大梁路からこの丁字まで激しい渋滞に巻き込まれてきたが、交差点を過ぎたとたん一気に解消されスムーズな流れとなった。ちょうどあみだくじに渡り線を一本書き加えただけで、流れが思い切り変わるようなほど効果絶大である。
ところで、迎宾路って頭の中で大梁门のすぐ内側だと思い込んできたけど、もっとずっと東なんだな。陆福桥よりも新街口寄りだと気づかされた。省府街での西司桥との位置関係を考えればしごく当然なのだが、繋がってみて改めて気づく事実もある。
ちなみに市内東側でこの役割を果たすものと期待され改修も徐々に進んでいるのが、内环路である。その名のとおり、概ね城内の北東部から時計回りに南西部までを周り迎宾路とも交差しているので、改修と交通誘導の仕方次第ではかなり有効と思われる。
そのほか、禹王台公园北側の铁路北沿街が目立って修繕されていた。中長距離バスや大型貨物車の往来が激しく路面が荒れやすいが、なかなか拡幅とまでは改善してもらえない模様。バイパスの整備が望まれる。
西郊の晋安路でも大規模な改修工事が行われていた。开封大学の正門が面するこの通りは比較的新しく、郊外型の集合住宅が建ち並び道幅の変更は難しいはずだ。しいて改変するなら、二輪専用道の縮小によって車線を拡幅するか中央分離帯を設置することだろうか。事実、歩道と二輪通行帯が工事の中心で、工事フェンス伝いに路肩を歩いてバス停を求めるなど不便が生じている。
スマホ決済とモバイク(Mobike)
これらは开封市に限らず中国全土で否応なく目につく。日本でも2,3年前から爆発的な普及ぶりは報じられているが、実際にその実生活への浸透・定着ぶりを目の当たりにして凄まじく驚いたので言及しておく。
一部には偽札対策ともいわれるキャッシュレス化は、その利便性から瞬く間に進行した。かつてQRコードなんて火车票の片隅についているくらいの、さして目立たない存在であった。それが街中いたるところに貼り付けられ、誰もがスマホのアプリで読み取らせて決済する時代になった。商店や食堂はともかく、开封で馴染みの屋台や夜市でさえも店頭にQRコードを掲げているのには正直唖然とした。郑州の食堂では、食べている私の背後で静かにQRコード決済をして退店する客があり、直後に黙って自身のスマホで支払いを確認する店主がいた。現金が要らないばかりか、「结账」と声をかけることも値段を確かめることもない、楽だけど異様な光景に映った。外国人には喧嘩とさえ思えるような、中国人独特のコミュニケーションは急速に失われていく気がする。アプリ上の割引サービスや特典はともかく、人間同士の値段交渉はアプリで操作できないから消えゆくだろう。不正利用による弊害よりも文化喪失のほうがずっと心配だ。
ちなみに南蛇井は、いまだに列車のオンライン予約すら使ったことがなく、またシステム上このスマホ決済は外国人旅行者にあまり開放されていないので、今後もアナログ志向の現金主義で行けるとこまで行ってみようと考えている。今はキャッシュレス先進国を標榜している中国も、いずれ行き過ぎたデジタル化を見直すときがくるはずだ。
また、このスマホ決済を前提とした自転車シェアリングサービスも、やはり日本で報じられている以上にブレイクしている。各都市ごとに統一カラー・規格の自転車がQRコードをつけてそこらじゅうを走り回っている。一応専用のスタンドもあるのだが、どこに乗り捨てても構わないので、歩道上や路肩に転がっていることが多い。开封の統一色は思い出せないが、郑州のは白とオレンジが印象に残っている*2。隣市、隣県まで走ったりすると不正利用になるらしい。大都市になればなるほどその利用率は高まるようだ。田舎では、その供用台数ほど十分に活用されているとは言いがたい。将来性もふくめて、需要に合った投資が望ましい。
その他
河南大学周辺の出来事として、东京大市场(夜市)の完全消滅がある。前回2014年および街景地图での調査により、市場の明伦街北側(河大三毛を含む)一帯がすでに撤去され护城河沿いが見違えるような公園になったことは承知している。ところが此度はついに、明伦街の南側さえも撤廃・改修工事が始まっていた。これにより、东京大市场の面影は一切消し去られた。开封市内で私の周知する限り、道路上でない敷地(広場)内で開かれていた唯一の夜市のはずである。开封一有名な鼓楼广场の夜市ですら、(とくに鼓楼の楼閣が復元されて以降は)鼓楼街の沿道に過ぎない。調理屋台の後方にどれだけ簡易テーブルや椅子を展開しても通行の妨げにならない、貴重な自由領域であったのに。早朝は青果の朝市、昼間は市場本来の商店が開き洗車場や食用犬の飼育スペースだったりもした。薬局、一元雑貨、KTV等々、夜市ともども开封生活でお世話になりホント惜しい限り。ちなみに东京大夜市屋台経営者の面々はめげることなく、外环路沿いの歩道上に店を構えていた。
中国の都市はまだまだ改造途上にある。新造の仕方も、撤去の仕方もそれぞれ荒々しく劇的な傾向があるが、一つ一つが成熟の過程だとするならば今後もサンプルとしての开封を見守ってゆきたい。