南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

武汉汉口租界(开封帰郷旅行2017エピローグ)

郑州文庙&地铁2号线(郑州2017年号)よりつづく)
郑州から武昌までの間に漯河しか停車しない当列車では、現在地が逐一話題になる。地図アプリでGPSを稼働させると、滑らかに正確な位置を教えてくれる。仮眠の合間の時間つぶしにはちょうどいい。武汉市内からは降車準備のタイミングを計りながら注視していた。汉口站を通過するともう間近。到着は定刻より20分遅れ。

武昌站

決して眠れなかった訳ではないものの、早朝に行動するのは肌寒く頭が重い。まずは食堂街で热干面。初日からずっと、今旅中に一度食べてみないと気が済まない懸案だった。河南省内でも幾度となく遭遇したが、やはり本場でないとな。塩辛い炒面が丼に入ったような混ぜ麺。量と手軽さは、开封明伦街の福建小吃でよく食べた香拌面(味噌風伊勢うどん)に似ている。実際このあと武汉市内でも紙カップで販売されるファストフードの热干面を食べる人々を見かけ、いかに生活の中で愛されているかがよくわかる。
トイレの争奪戦を済ませた後は、地下鉄の始発時間まで小一時間あまり、物陰で携帯充電器を使ってiPhoneを充電しながら休息。目の前では乗合タクシーの熾烈な客引きが行われており、交渉が難航したり地下の乗り場へ逃げられたりしていた。

漢口旧火車站(大智门站)

初日に通った洪山广场方面を避け、逆向きに乗って钟家村で6号线に乗り換え大智路(3元)。朝一番の観光スポットは、1902年に開業した京漢鉄路の漢口旧駅(大智门站)駅舎だ。現在の大動脈である京广铁路の始祖ともいえる京漢鉄路の終着点として、当時アジア最大規模ともいわれたそうだ。
最寄りの出口を探していると、突如眼前に蒸気機関車が出現した!!

地铁大智路站構内の蒸気機関車

最寄り駅とはいえ、この演出のスケールには正直驚いたwww
京汉大道を北東方向へ行く。頭上を高架鉄道の地铁1号线が走っている。実はこれこそ京漢鉄路の名残ともいえる。ちょうどプラットフォーム側から正面玄関へ回り込む格好となる。

漢口旧火車

この外観は現在の汉口火车站にも取り入れられている。

汉口租界

大智路から汉江路の方角へ見当をつけて歩き出す。さっき热干面を食べたばかりなのに、巷で朝飯の薫りがするからか小腹が空いてくる。
この辺りは上海外滩(バンド)に似た近代建築が集中している。汉口は1858年に結ばれた天津条約によって開港し、英・独・仏・露・日の5か国の租界が置かれた。大智路の西側一帯はちょうどイギリス租界地区にあたる。

まるで中国とは思えない石畳の街路(宝华街)

このように欧風景観を保存・創出した地区を散策。

金城銀行(現:武汉美术馆)
おもに銀行が多い
江漢関大楼(税関)

租界を代表する建造物。江汉步行街の突き当たりにある。

立ち上がる民衆の像

武孝城际铁路

本旅最後のネタ。武汉と孝感(Xiaogan)を結ぶ都市間高速鉄道を、汉口から天河机场まで乗る。初日と同様に地铁2号线で市中から直行してしまえば訳ない区間なのだが、鉄ファン魂は敢えて別ルートを選ばせる。折角だから時間に余裕があれば乗っておこうとは思っていた。

售票员も「地下鉄で行けばいいじゃない」などと拒まず事務的に売ってくれるのが中国の長所。〔列車情報:C5303次、汉口10:26発-天河机场10:38着、二等座7元〕 運賃、距離、乗車時間の全項目において過去最小を記録した。そして当初の計画通り全6回分の中国鉄路トリップを完遂。
切符売り場で、「乗車時刻が迫ってるから」と譲ってあげた欧米人旅行者の流暢な中国語に感服した。2人分オンライン予約したのを発券するのだが、予約番号の間違い(ゼロとオウの入力ミス)を指摘するなど落ち着いていた。

復刻された京漢火車

改札まで1時間弱だが、空港まで行ったら安価で食事する場所はないだろう、と考え、最上階のフードコートへ。それでも市中よりは割高だけど、食べておきたい一般的な盖饭系ということで麻婆豆腐饭(20元)を注文。

こんな盛りつけは初めて。

の風味は弱く、日本人でも難なく食べられる「てぬるい」麻婆饭。

天河机场着

改札を出た瞬間、初日に通った連絡通路へ合流。あぁ戻ってきたんだ、と実感。ちなみにもう一つ、偉大な記録を残した。武汉市内における4つの火车站(武汉,武昌,汉口,天河机场)を本旅で利用した訳だが、1市で4つは過去最多であり北京・上海ですら成し遂げていない。しかも今日一日で3つだから偉業だろ。

帰国

じつは今朝からずっと、タバコを探していた。というか、買うのを躊躇しながら空港まで来てしまった。同僚や友人に「中国タバコを味わわせてやる」と豪語してきたのが、妙に重荷となっていた。もはや空港の売店となると、常用よりは贈答用の形状になってしまい買い求めづらい。余す時間のすべてを売店巡りに費やした。
搭乗手続きとて順風満帆だったわけではない。帰路は便名こそ同じでも中国国内線と国際線の乗継という形は変わらず、不慣れには違いない。ロビーの電光掲示板にはフライト番号と手続き状況が表示されているが、どこのチェックインカウンターなのか全く掴めない。インフォメーションで尋ねたところ、国内線カウンターを指示された。係員は国際線との合同チケットに扱いなれないらしくテンパって、2枚の搭乗券が発行されるのに右往左往させられた。そして、国内線用の手荷物検査を受けて搭乗口へ。結局タバコを買えない愚者にできたことは、23元の高価な纯牛奶を飲むことくらいだった。
帰りの上海での乗継時間は1時間半と短い。往路のように悠長な出国手続きでは、会社用お土産の購入に余裕がないと不安が募る。と、ランプバスの降車エントランスで「ナゴヤ、Mingguwu」と連呼する添乗員がいる。出国手続きが遅れて国際便に乗りそびれないよう、優先経路へ誘導する仕組みになっているようだ。ここで名古屋行き(と岡山行き)の団体客を含む30名ほどが職員に先導されて特別室で出国審査を受けた。というか、私たち数人の個人客は慣れたものですんなり通過するが、ツアー添乗員が団体客を全然引率できていない惨状には閉口させられた。一部の客が経路を間違えるやら出国カードの不備不足やらでオタついて、空港職員に窘められる場面も。乗継の流れを把握してないんだろうか。
ともかく、搭乗まで30分ぐらい余裕が生まれゆっくりお土産を吟味することができた*1。そのまま階下の搭乗ロビーで寛いでいたら、突然アナウンスで自分の名を呼ばれた。慌ててゲートに行くと、「最後の一秒で現れたよ」と係員が物凄くホッとしたようにランプバスへ誘導した。ランプバスはチケットに記載の搭乗時刻より早めに発するのだということを、すっかり忘れていたのだった。最後の最後で滑り込みの失態。
ラストフライトは出張帰りのビジネスマンだらけ。たった三四日の滞在を嘆きながら青島ビールを嗜む日本人を横目に、中国を十分満喫してきた自分は日本の生活へ戻れるか心配。セントレアからは急行電車に揺られて帰宅。

靴による脚の疲労蓄積がやや辛かったものの、自分でも思いのほか中国語が自然に使えて計画通りの日程を過ごすことができた。开封では数こそ少ないものの感動的な朋友再会を遂げ、鉄道ネタも余すところなくこなし、全く思いどおりに河南各地を歩き回れたので大変満足している。前回不安を覚えた宿泊問題も、著名な観光都市を除けば恐れることはないと実感した。このさき河南ウォークを続けるにあたり、大きな自信が湧いてくる1週間であった。


开封帰郷旅行2017 完

(map:江漢関大楼)

*1:職場用に「黄金椰丝球(ヤシの実クッキー)」、妹夫婦用に「乌龙&茉莉花茶饼(烏龍茶&ジャスミン茶ビスケット)」を購入

郑州文庙&地铁2号线(郑州2017年号)

今回の郑州散策は前日の开封と同じく、旅游集掲載画像収集がメインで再訪スポットばかりの予定だった。ルート設計も、BRTと地下鉄を効率よく乗るために不自然な迂回をしている。文庙は、たまたま商代遺跡の隣にあったので立ち寄った。決して开封文庙との対を意識したわけではない。

郑开城铁

一昨日の感激を噛みしめつつ、开封に別れを告げる。〔列車情報:C2807次、宋城路12:17発-郑州东12:51着、二等座18.0元〕

実は开封名菓の花生糕を買うタイミングをギリギリまで引き延ばしていて、宋城路站の売店にもあるだろうと踏んでいた。しかし、飴で固めたような理想型*1のはどこにも見当たらない。結局郑州まで持ち越す羽目に。理由の一つに、オーソドックスな花生糕の場合、度重なる手荷物検査などの振動で崩れる恐れがあり、セキュリティチェックの回数を可能な限り減らしておきたい意図があった。
郑州东站コンコースのコンビニもすべて覗き回って、軽食を挟みながら目当ての花生糕を探した。黒ゴマ(芝麻)を板状に固めたのがプラスチック缶入りで売っていたり、もっと食べやすそうなクッキー風のお菓子に惹かれたりと、変に目移りして時間の無駄だった。

地铁とBRT

地铁1号线

 郑州东地铁站

構内の自販機に、キリン「Fire」のボトルバージョンが入っている。缶ならともかく、ボトルはコンビニですら見かけない。
BRTが走る未来路との交点に近い燕庄まで乗る。結構中心部からは離れているイメージがあるのだが、なんと2号线との接続駅紫荆山はすぐ次である。中国の地下鉄は駅間隔が長いのか、市街地が急激に拡大する郑州にとってはもはや「周辺」ではないのか。

BRT

BRT(Bus Rapid Transit、快捷公交)。2009年に開業、同年に試乗している。

変革と発展の著しい中国において、8年前と全く同じシステムと車両の公共交通に再び乗れるのは非常に稀なことである。市バスも路線変更だけでなく新型車両や新能源車両の導入によって、8年前とは確実に変わっている筈である。それだけBRTが開業時すでに先進的であったということか。たとえば市内に4路線あり乗り遊んだ电车(トロリーバス)は、地下鉄工事などの影響から廃止された模様だ。今夕、「电101」の路線番号を掲げたバスを目撃し、架線はなくなったものの名残はそのまま走ってるんや、と感激。

燕庄駅からドンピシャで金水路停の真ん前に上がった。2009年は东三街站からこの金水路まで市北東部を右回りに乗車しているが、今回はその続きで南東部へ廻る。
 
入場したB12を撮影ついでに乗ってしまい、環状路線でないことに気づいて途中駅で後続のB1に乗り換えた。ホーム上で何度も乗り換えられるのが郑州システムの長所。

地铁2号线

乗り心地よくてウッカリ寝過ごし、紫荆山路を通り越して碧云路で下車。公交269路で1区戻った。ここが2号线南五里堡站である。出入口の数が少なく分かりづらい。巨大な駐輪場の奥にA出口はあった。

2号线のラインカラーは黄。でも車両の黄帯に対し、ホームドアのガラスは赤色の帯が貼られているw
2号线は市内を南北に貫き、南四环より先は城郊线と呼ばれる。城郊线の終着点は、新郑国际机场である。ちょうど上海中心部と浦东机场を結ぶ地下鉄2号線と相似しており、南四环はまさに上海の广兰路と似た機能を果たしているのだろう。

近年中に開通すると思われる3号线と5号线が、各々の接続駅で既に表示されている。車内表示では一応消してある。
商代遗址へ立ち寄るため、东大街站まで。交差駅の紫荆山を見てみたい気持ちは抑えた。


赤の原色で力強く書かれた1号线の駅名標を覚えているだろうか。対して2号线のそれは落ち着いた色合いの背景に味な書体の駅名、さらに書家の烙印が添えてある。とても文化的な地下鉄である。
 东大街站E出口

商代遺跡と文庙

东大街は地铁3号线の建設工事真っ最中で片側1車線・歩道なしに制約され、少しでも肘張ればボディに当たりそうな真横をバスなどが通っていく。本来真っ直ぐな道なのに工事区域のせいで歪曲している。そのくせ往来は途切れなくて横断に苦労する。
商代遺跡。
 
10年前に訪れたのはもっと北の部分らしい。住宅地の迫り具合が違う。
jaike.hatenablog.jp
その西隣にあるのが文庙。参観無料。
郑州文庙の棂星门は白い牌坊。
 大成门。
开封のと違って一応廟の体裁はしているが、気障りに焼香を勧める人はいない。都会のど真ん中の閑静な聖域を気軽に散策できる。境内は商城路までは貫通していない。城壁沿いの散策道を伝ってゆくと工事現場に寸断され、荒れ土を縫って商城路へ。この通りに面する城隍庙はパスして、さらに北側の散策路を進むと、完全に行き詰まった。盛り土に登るのも諦めて紫荆山路へ戻る。

管城地区

さすがに旅も終盤となってくると脚の限界も早まる。少し時間的に早い晩飯どころと、人民路へ出られそうな公交の停留所を求めて彷徨う。この辺りは一方通行などもあり、適当な公交が見つからない。北大清真寺近くで米线をすする。日本で食べられない中華主食の一つで、後悔の種が消える。开封宋都御街の名店で食べた过桥米线が思い出される。なぜ早めの夕食を摂るかというと、今晩の列車までに夜食のチャンスを得たいからである。残り1日になると、食べときたいものと回数の調整が難しい。
先客が勘定時にQRコードで決済しているのを目の当たりにし、中国におけるQRコードの爆発的普及の恐ろしさを改めて思い知らされる。店主が即座にスマホで入金を確認する。注文以外に店と客は言葉を交わさない。ファストフード(快餐)化していく食堂は致し方ないとして、コミュニケーションが大切な屋台にまでこれが浸透すると寂しい気もする。調理と小銭の取り扱いの両立がせわしい店主にとっては有難いかもしれないが。
数時間後に胃袋を空けられるか心配なほどの満腹感で、夕暮れの商城路を西へ。方向感は的中し、PARKSON(百盛)の交差点へ出る。

人民路

前回2014年に立ち寄り損ねた、思い出の人民路。
 デニス(丹尼斯百货)。
初めて郑州へ行った日から、毎回ほぼ欠かさず訪れる場所。目当てはおにぎりや寿司などの中国式和食、また輸入食料品店に並ぶ日本食品だ。パン類はハズレも多かったが、ビアードパパのシュークリームは本物だった。さきの百盛百货地下にも輸入品スーパーはあったが、品ぞろえはデニスのが格段に上だった。开封では大相国寺近くの「三毛时代广场」が限界だっただけに、片道7元で月一回程度通えて純正の日本食品が買える百貨店はすごく重宝した。留学生同士や开封在住の日本人たちとフィーバーするだけでなく、开封大学の学生たちに日本の味を教えたり連れてきたりしたこともあったな。

北館の高級ブランド品専門店街は、外国人だけで一度冷やかしたぐらいだけど。
一人で来るときは大抵ほかの用事を済ませたあとなので、ちょうどこんな夕刻が多かった。

 
新华书店。西太康路の购书中心とならぶ、郑州2大書店として幾度か通った。HSK参考書や鉄道時刻表もここで手に入れている。現在は地铁人民路站D出口が店頭に付属している。
これで郑州における懐古ミッションは終了。26路で火车站へ。車内BGMの思念是一种病で暫し感傷に浸る。

火车站

soundcloud.com
美声の路上ライブを聴き、烤红薯でも食べようか迷ったりしながら休息。
福寿街界隈の河南特産店を巡り、懸案の花生糕*2と香瓜子の最大量袋を購入。商贸城や大同路の飲食店も覗き回って夜食を物色。一軒だけ気を引いたのが大同路の歩道上に構えた屋台で、热干面や炒面とビールをイケそうな感じだった。あとは公衆便所で1元払わされるとか、超市で酸牛奶を買うとかして時間つぶし。
候车厅へはゆとりをもって入場したものの、列車の到着および改札は遅れ、本来の予定時刻に並びかけたまま保留される。これまでの宿泊先はほぼこの時間には寝ているので、眠気と疲労が押し寄せてくる。満席でもいいから、朝まで落ち着ける場所に早く座りたい。結局、約25分遅れの23:11発車と相成った。硬座での車中泊は前回帰郷旅行の天津行き以来。案の定ぎっしりだったけど、それなりに仮眠できた。

完 (「开封帰郷旅行2017」は8日まで続きます)

(map:郑州文庙)

*1:花生糕よりも花生酥に近い

*2:結局定番の花生糕を買うことになったが、持ち運びやすい包装にこだわったところ、帰国して開封すると似ても似つかぬ「花生糕」が出てきてビックリ

开封市3年5か月の変貌と考察

アーカイブ
开封市8ヶ月間の変貌報告書 - 南蛇井総本気(2009年)
开封市2年半の変貌と考察 - 南蛇井総本気(2012年)
开封市2年3ヶ月の変貌と考察 - 南蛇井総本気(2014年)

目次

はじめに

帰郷旅行恒例となった开封市不在期間の変貌報告書。今回は比較的年月が開いているがトピックはさほど多くはない。近年は中国版ストリートビュー(街景地图)で事前に変化を予習でき、あまり現地で衝撃を受けない面もあれば、都市造成があまりにも急速すぎて情報収集と確認・分析が追いつかない面もある。したがって、出発前のネット下見で衝撃を受け現地調査に至った新興観光名所の造成を、ダイジェストとしてクローズアップする。また労力に限界があるとはいえ、前回の急な行程変更から滞在時間がぶつ切れになってしまった反省から、今回は約二日間のまとまった時間を充て暑さと疲労を回避しつつ公交などで丹念に見て回った。その中で特に気の付いた改変箇所をざっと取り上げておきたい。そして最後に、近年中国全土で急速に普及しているキャッシュレスシステムと自転車シェアリングサービスの活用状況について記しておきたい。

光都市開発に伴う宅地街(胡同)整理

メイントピックが出発前に決まっていたのは今回が初めて。おそらく市内の記録撮影スポットを確認検索していたところ、見慣れない伝統的建造物のライトアップ画像がふいに現れた。調べてみるとそれは文庙という新名所で、北道门街沿いの汴京饭店のすぐ北側に位置するという。かつてその辺りはごく普通の商店などが建ち並ぶ、なんの変哲もない通りだと記憶している。百度百科などの資料によれば、文庙の旧跡は住宅地のど真ん中にあった市第七中学の片隅で保存されていたようである。さっそく衛星地図で確認してみて驚いた。文庙と廟を形成する歴史建造物、周りの商業施設を含む一角のみならず、およそ龙亭公园のある潘家湖東湖畔から北道门街に至るまでの住宅地一帯の大部分が撤去されていたのである。尤も街景地图では新旧2種類の画像を公開していて、前回2014年訪問時点でもメイン楼閣の建設は始まっていたが宅地撤去はそれほど進んでいなかったことがわかる。それでも画像の更新が交錯している箇所では、ワンクリックするたびに古い家屋が現れたり瓦礫の山になったりする。この路地裏一帯は河南博物館旧址などひっそりと佇み、昼間散策したこともあって整地が進んでいるのは相当ショックであった。読者の方には非常に分かりづらいと思われるので、以下に新旧の衛星画像を載せる。
f:id:Nanjai:20190730001813p:plain
2012年頃と思われる画像。中央やや右寄りの大きな建物が市第七中学で、現在の文庙の位置に該当する。
f:id:Nanjai:20190724232318p:plain
ほぼ現在と思われる画像。文庙を囲む北側と西側はもはや宅地の面影はない。

新名所としての観光がてら、現状を確認してみた。
jaike.hatenablog.jp

f:id:Nanjai:20171106085513j:plainf:id:Nanjai:20171106085310j:plainf:id:Nanjai:20171106085159j:plainf:id:Nanjai:20171106093712j:plainf:id:Nanjai:20171106093415j:plainf:id:Nanjai:20171106093227j:plain
文庙景区の様子
f:id:Nanjai:20171106084947j:plainf:id:Nanjai:20171106083946j:plainf:id:Nanjai:20171106083813j:plainf:id:Nanjai:20171105202319j:plain
文庙に隣接する商業施設
撮影こそしていないが、かつて車もすれ違いづらい裏通りだった文庙街も見違えるようなショッピングモールへと変貌している。
そして、視察するからにはこういう写真を憚らずに撮らねばならない。
f:id:Nanjai:20171106094614j:plainf:id:Nanjai:20171106094233j:plain
宅地の撤去跡
無惨な姿が観光客の目に触れにくいようブロック塀で封じていく。塀さえ気にならなければ、昔よりずっと日当たりよくなった文庙街は滑らかに龙亭へと延び、観光開発は一定の完成を見たように思える。しかし、現実はここに収まらない。
北道门街(解放路)を跨いで東側に双龙巷という、これまた古い路地がある。そこを中国全土で流行りの古風建築モールに改造する計画があり、一部で工事が始まっている。今回訪れたときはまだ北道门街との交点(开封市中医院北側)に広場ができている程度で、その先は胡同の通りが続いていた。
f:id:Nanjai:20171106084326j:plainf:id:Nanjai:20171106084425j:plainf:id:Nanjai:20171106084528j:plainf:id:Nanjai:20171106084624j:plain
双龙巷口の広場
市の東方は観光名所に乏しく、龙亭景区とどこかのスポットを繋ぐ通路上を開発する、という意味合いは全くない。市民生活よりも観光を最優先に考えて、闇雲に古い住宅街を整理し見栄えのいいショッピングモールを造成するだけのように思えて仕方がない。
ちなみに、ここ10年ほど市内随所で古い住宅地の大規模な取り壊しは行われてきたが、中でも今回のように明らかな観光開発が目的である現場としては、繁塔周辺と西司桥一帯がある。前者は繁塔を禹王台公园と一体化させるため、後者は杨家湖から包公湖に至る川の上で夜間表演を行うためとされている。いずれも比較的早い時期に工事が始まり、开封市における一連の胡同撤去計画の先駆けともいえる。しかし結果はといえば、後者のほうは川沿いは割合キレイに整備された*1ものの、繁塔はといえば公園とかろうじて繋がった程度で周囲は取り壊しから10年近く経った今でも荒れ地のまま。これでは乱開発と揶揄されても仕方のない有様である。
たしかに電気や水道などのインフラが無軌道に入り乱れ、少なからず行政管理の行き届きにくい胡同や旧住宅街は一定の整理は必要だろう。しかし六朝古都というだけで市民の暮らしを根こそぎ奪い、市中から追い払ってまで見所を造成して良いというものではない。暮らし方は如何様であれ、古都の土壌の上に脈々と生活を営む現代开封人民の誇りを尊重してやってもよいのではないか。この市民生活の保障と観光開発とのバランスは、开封市が永遠に背負っていく課題といえる。以前にも言及したし、今後も同様の開発と接するたびに考えさせられるだろう。

公共交通の整備

トップニュースは何といっても郑开城际铁路の開業であろう。郑州东と开封宋城路を所要約30分で結ぶ都市間高速鉄道の開通は、10年来の悲願といっても過言ではない。詳細は以下を参照のこと。
jaike.hatenablog.jp
また、長距離高速鉄道郑徐客运专线の途中駅としての开封北站も開業している。上海までの全区間が高铁専用線になったことで、所要時間は最速で5時間弱にまで短縮されている。駅外観すら確認しに行く余裕はなかったが、公交路線の中に同駅を発着点とするものが見受けられた。
長らく中国人民より熟知していた开封公交も、市域拡大に伴って路線も増え把握しきれなくなった。かつては新規路線をマイクロバスなどで運行していたが、今や新型車両が続々と導入され仮設の装いは全くない。今回初めて乗った47路は、铁塔公园より解放路を南進し东司门で西へ向かって新街口を通り西环路から北上するという、龙亭を包むU字型のルートを成している。河南大学老校区と西郊を18路よりも短く結んでくれ、なかなか有効だ。
公交の変化で特筆すべきは、8路の大量輸送型バスへの変更だ。かつて、市中心部と東部または南部郊外とを結ぶ8路および14路だけは、开封公交の中でも特殊な車両、いわゆる城乡公交のような車掌乗務のミニバスで運行されていた。开封县(現:祥符区)に属する郷鎮へのバスは基本、相国寺汽车站(廃止)から発着するが、この2路線だけは例外であった。おそらく市内は一律一元、县の村落部では距離に応じて運賃が加算されたものと思われる。それが今、立ち乗り可能なワンマン車両へ移行しているのに、実際に禹王台公园で乗車してみて気づいた。市街区域拡大と开封县の区制施行により、郊外で運賃格差をつける必要性がなくなったためだと考えられる。全然知らない郊外の行き先を告げることなく、自由気ままに乗降できる形態となったことは非常に喜ばしい。

街路の整備

一番のポイントは、迎宾路の延伸(省府西街~西门大街間貫通)である。16日朝、18路公交で東進する道すがら迎宾路との丁字交差点に遭遇し、衝撃と感心を覚えた。この道路整備が市内交通事情に与える効果は大きい。というのも、長らく开封市の城壁内において南北を貫通する幹線道路が非常に少なかった。歴史建造物を有する书店街が歩行者専用道路となってからはとくにそうだが、元来市内の縦筋は解放路と中山路しか存在しなかったといっても過言ではない。また東西移動においても、完全貫通道路はほぼ西门大街~曹门大街(統一名なし)の一本に過ぎず、繁華街の鼓楼街や道幅の広くない自由路は混雑しやすく通り抜けには不向きだった。しかも南北道路が限られるため東西移動が分散しにくく、慢性的な渋滞を発生しやすくしていた。それが今回の迎宾路改修により西门大街・省府西街(鼓楼街へつづく)・自由路の三大東西道路が繋がれ、一般車の分散がしやすくなった。実際、ちょうど通勤通学のラッシュアワーに乗り込んだ18路バスは大梁路からこの丁字まで激しい渋滞に巻き込まれてきたが、交差点を過ぎたとたん一気に解消されスムーズな流れとなった。ちょうどあみだくじに渡り線を一本書き加えただけで、流れが思い切り変わるようなほど効果絶大である。
ところで、迎宾路って頭の中で大梁门のすぐ内側だと思い込んできたけど、もっとずっと東なんだな。陆福桥よりも新街口寄りだと気づかされた。省府街での西司桥との位置関係を考えればしごく当然なのだが、繋がってみて改めて気づく事実もある。
f:id:Nanjai:20190801012020p:plain
ちなみに市内東側でこの役割を果たすものと期待され改修も徐々に進んでいるのが、内环路である。その名のとおり、概ね城内の北東部から時計回りに南西部までを周り迎宾路とも交差しているので、改修と交通誘導の仕方次第ではかなり有効と思われる。

そのほか、禹王台公园北側の铁路北沿街が目立って修繕されていた。中長距離バスや大型貨物車の往来が激しく路面が荒れやすいが、なかなか拡幅とまでは改善してもらえない模様。バイパスの整備が望まれる。
西郊の晋安路でも大規模な改修工事が行われていた。开封大学の正門が面するこの通りは比較的新しく、郊外型の集合住宅が建ち並び道幅の変更は難しいはずだ。しいて改変するなら、二輪専用道の縮小によって車線を拡幅するか中央分離帯を設置することだろうか。事実、歩道と二輪通行帯が工事の中心で、工事フェンス伝いに路肩を歩いてバス停を求めるなど不便が生じている。

スマホ決済とモバイク(Mobike)

これらは开封市に限らず中国全土で否応なく目につく。日本でも2,3年前から爆発的な普及ぶりは報じられているが、実際にその実生活への浸透・定着ぶりを目の当たりにして凄まじく驚いたので言及しておく。
一部には偽札対策ともいわれるキャッシュレス化は、その利便性から瞬く間に進行した。かつてQRコードなんて火车票の片隅についているくらいの、さして目立たない存在であった。それが街中いたるところに貼り付けられ、誰もがスマホのアプリで読み取らせて決済する時代になった。商店や食堂はともかく、开封で馴染みの屋台や夜市でさえも店頭にQRコードを掲げているのには正直唖然とした。郑州の食堂では、食べている私の背後で静かにQRコード決済をして退店する客があり、直後に黙って自身のスマホで支払いを確認する店主がいた。現金が要らないばかりか、「结账」と声をかけることも値段を確かめることもない、楽だけど異様な光景に映った。外国人には喧嘩とさえ思えるような、中国人独特のコミュニケーションは急速に失われていく気がする。アプリ上の割引サービスや特典はともかく、人間同士の値段交渉はアプリで操作できないから消えゆくだろう。不正利用による弊害よりも文化喪失のほうがずっと心配だ。
ちなみに南蛇井は、いまだに列車のオンライン予約すら使ったことがなく、またシステム上このスマホ決済は外国人旅行者にあまり開放されていないので、今後もアナログ志向の現金主義で行けるとこまで行ってみようと考えている。今はキャッシュレス先進国を標榜している中国も、いずれ行き過ぎたデジタル化を見直すときがくるはずだ。

また、このスマホ決済を前提とした自転車シェアリングサービスも、やはり日本で報じられている以上にブレイクしている。各都市ごとに統一カラー・規格の自転車がQRコードをつけてそこらじゅうを走り回っている。一応専用のスタンドもあるのだが、どこに乗り捨てても構わないので、歩道上や路肩に転がっていることが多い。开封の統一色は思い出せないが、郑州のは白とオレンジが印象に残っている*2。隣市、隣県まで走ったりすると不正利用になるらしい。大都市になればなるほどその利用率は高まるようだ。

f:id:Nanjai:20171102172502j:plain
多くが整然と駐輪されたままの汝南县
田舎では、その供用台数ほど十分に活用されているとは言いがたい。将来性もふくめて、需要に合った投資が望ましい。

その他

河南大学周辺の出来事として、东京大市场(夜市)の完全消滅がある。前回2014年および街景地图での調査により、市場の明伦街北側(河大三毛を含む)一帯がすでに撤去され护城河沿いが見違えるような公園になったことは承知している。ところが此度はついに、明伦街の南側さえも撤廃・改修工事が始まっていた。これにより、东京大市场の面影は一切消し去られた。开封市内で私の周知する限り、道路上でない敷地(広場)内で開かれていた唯一の夜市のはずである。开封一有名な鼓楼广场の夜市ですら、(とくに鼓楼の楼閣が復元されて以降は)鼓楼街の沿道に過ぎない。調理屋台の後方にどれだけ簡易テーブルや椅子を展開しても通行の妨げにならない、貴重な自由領域であったのに。早朝は青果の朝市、昼間は市場本来の商店が開き洗車場や食用犬の飼育スペースだったりもした。薬局、一元雑貨、KTV等々、夜市ともども开封生活でお世話になりホント惜しい限り。ちなみに东京大夜市屋台経営者の面々はめげることなく、外环路沿いの歩道上に店を構えていた。

中国の都市はまだまだ改造途上にある。新造の仕方も、撤去の仕方もそれぞれ荒々しく劇的な傾向があるが、一つ一つが成熟の過程だとするならば今後もサンプルとしての开封を見守ってゆきたい。

*1:後述「迎宾路の延伸」節における画像で左寄りに写る川

*2:ベーシックなカラーリングらしい

开封朋友との再会結果 2017

前回(2014年6月)

失望の大きかった前回に比べ、今回は再会できる人が限定された分だけ強い感激と感慨を味わえた。今回は敢えて恩師にもアポイントを取らず、純粋な電撃帰省を試みた。毎回何年かぶりの帰郷なのに期待しすぎるから、失望感や喪失感が増すのだ。何度も通いたくなるという衝動と実行自体が、「愛开封」であって結果をありのまま受け止めればいい。手土産の数量に関しては直前まで悩まされたが、恒例のダイナゴン2個に留めた。結果として会えた人を顧みると、タバコを用意しなかったのは悔やまれる。

会えた人々

まず、約5年半ぶりに奇跡的な再会を果たしたのは、东京大夜市伟伟の老板だ。前々回(2012年3月)までは酒食を楽しめたが、その後大市场(明伦街北側)の撤去・緑地化により店舗スペースが奪われた。そして前回では城管による取り締まりの影響もあり、夜市は開かれず。K先輩によると曜日を決めて営業しているとのこと。一縷の望みをかけ、滞在日を日曜夜に充てた。
5日午後、苹果园で公交18路を降り明伦街へ歩き出した私は、取り壊し工事中の市场南側広場を見て愕然とする。これで东京大夜市が開かれるスペースは完全に失われた。このときは、もうホントに終わった、と思ったものだ。それでも、あの元気で明るい老板が廃業するはずがない、きっとどこかで店を続けているはずだ。そう信じ、夕食後に河南大学周辺の夜市を隈なく見て回った。先輩が以前伟伟の移転する可能性のある場所として挙げていた、SOS儿童村方面の交差点にも赴いた。この苹果园中路は、卵がフワフワの鸡蛋灌饼の店など昼間は多少馴染みがあるが、夕刻に歩くのは初めてだ。そうして目的を果たせず戻ってきて、残る望みは大学東門前の夜市だけだ、と东环路を北へ歩き出したときだった。通りの東側を歩いていた私は、反対側の护城河沿いに屋台が並んでいるのに気付いた。もしや、と思い、敢えてその屋台群の北端まで進んでから横断し、引き返すように一軒一軒目を凝らしていった。すると、予感は大的中、南端の店が伟伟だったのだ!! 隣には見慣れた烤羊肉の店もあった。东环路と护城河に挟まれた歩道上のスペースに、东京大夜市の懲りない面々は踏ん張っていたのである。尤も今は取り締まりを掻い潜るのでなく、許可を得ているらしく統一の電飾をつけていた。
ちょうど伟伟の前にあるバス停の陰で高ぶる気持ちを抑えきれなかった。客足の合間をみて老板に「还记得我吗?」と声をかけた。老板は「记得、记得」と嬉しそうに歓迎し、近況などを聞いてくれた。晩飯後だったが、こんな感動的再会を果たしたら飲まずにいられない。赤テントの片隅に席をとりビールを頼む。

肴は軽めを欲しかったが、ベタに回鍋肉。11月だというのに、こうして屋外でビールを飲めるほど暑いとは予想してなかった。夜市では、前回许昌のように何人か集まって楽しく飲みたいのが本音だが、今日ばかりは一人で飲んでも余りあるほどだ。超感激に酔うひととき。羊羊も頼めばよかったな。まだ今宵の宿が定まらずバッグも携えたままなので、二本目は控える。
老板は相変わらずの明るさで、来客にタバコを撒いたりして盛り上げていた。頃合いを見て勘定とともにお土産を手渡した*1。あの底抜けな笑顔が忘れられない。

もう一組は、开封での朝食の定番信阳鸡蛋灌饼の老板夫婦だ。6日朝、火车站から10路のバスで真っすぐ会いにいった。寝不足と秋の朝らしい肌寒さで震える私を、笑いながら迎えてくれた。場所は河南大学南門対面の博雅酒楼(かつては状元と呼んだ)傍らの定位置、価格は4元。思ったほど高騰してなかった。キャッシュレスが急速に普及し、店頭に貼られたQRコードで支払っていく客が目立ち、屋台までもかと驚かされる*2

野菜高騰のせいか饼が大きく見えた前回に比べ、元の割合に戻っている。心なしかサイズ全体が大きくなったようにも。
小イスに座らされ、老板が焼く合間に話しかけるのに答えながら頬張る。通勤客や常連が立ち寄るたびに、日本人朋友の私に興味津々。老板も「彼は开封に来るたびにここへ寄って鸡蛋灌饼を食べるんだ」と嬉しそうに話す。ついでに隣の豆浆も飲もうと思ったら小銭がない。やむなく100元札を差し出していると、老板が奢ってくれた。中国では煮え立った豆乳をプラスチックのコップに注ぎ、そのまま渡してくれるので素手でじかには持っていられない。お手玉していると、今度は鸡蛋灌饼の油取り紙をくれた。温かい朝食を味わってから手土産を渡す。老板「昼用にもう一枚焼こうか」というけれど、「また明日来るから」と断った。ちなみに前回、明朝食べにくることを約束しながら、当日の予定変更で许昌へ行くことになり果たせなかったことを一言詫びておいた。
翌7日朝、马市街の宿から18路のバスに乗り、わざわざ鸡蛋灌饼を食べに行った*3。开封市のどこに泊まっていても、朝は必ずここへ足を運びたい。約束果たした2度目、2個目を噛みしめるのは気持ちいい。この日は豆乳屋のおばちゃんがタダで一杯くれた。老板が「今度はまた3年後か?」と聞くので私が言葉を濁していると、老板娘が「1年?」と冗談ぽく言ったのでそれを目標にしたい。再见

会えなかった人々

期待していって会えなかったのは、吉祥旅社の阿姨だ。安定の宿泊先として当てにしていただけに、开封滞在の2晩は少々苦労させられた。これまで3回の利用時は、文具店の阿姨が紹介してくれるか、学友旅社の路地を入ってゆくと客引きのため門前に出ていて遭遇することができたものだ。K先輩や文具店の知り合いというだけで毎回懇意にしてくれ、宿泊料は割安になり夕飯をご馳走になったこともある。まぁこの誤算のおかげで、开封で必死に宿探しをすることとなり結果として新しい「家」を見つけた。会えなかったことは残念だけれど、喪失感はない。
門脇で烟酒店を営む、文具店の阿姨の弟さん*4を店頭で見かけた。顔は合わさなかったけれど、うわ老けたなぁ、と。もうこちらのこと覚えてないだろうか。

淡い期待を抱いて研究生楼の前まで行ってみたが、当然ながら恩師には遭遇できなかった。インド系らしき留学生をキャンパス内で見かけた。外国人の姿があるところを見ると、学び舎は郑州の新校区(龙子湖校区)へ移ってはいないようだ。

河南大学周辺の変化

最も衝撃的だったのは、伟伟老板のところでも書いたように东京大市场南側の撤去だ。前回およびそれ以前の調査で、河南大学東辺の护城河沿いにあった大市场や三毛超市が整理され、緑地帯となったことは確認している。しかし南側は未だ手つかずで、従来の商店が営まれており夜市を開くことも可能に思われた。


下の画像の左前方に伸びる雑多な市場は、かつて貨物線の線路が敷かれていたところで、初来中時はレールの残骸が残っていた。その入口脇には、夜市でたまに利用する有料便所があったものだ。
5日午後、苹果园でバスを降り明伦街に向かって歩き出した矢先、目に飛び込んできたのは高い鉄板で囲われた市场であった。ちょうど城壁の外面から苹果园交差点南西角までの範囲がガッポリと覆われている。この工事の影響で交差点付近の歩道がなく、南側を歩くのは難儀する。

ほかにはといえば、河南大学南門対面にあった火车票代售处が閉鎖され、モバイルショップに変わっていたことだ。火车票もオンライン予約が当たり前となり、駅以外に窓口を置く必要がなくなってきたのらしい。乗車距離によっては手数料5元を徴収され、彩票(ロト)の領収書を渡されたのが懐かしい。
留学生楼の玄関口に、正式に「留学生公寓」のプレートが掲げられた。

明伦街の学友旅社前に自転車修理屋はいたが、白吉馍屋は消えていた。代わりにやや西寄りの中国銀行向かい付近に、回族系の白吉馍店が開業していた。
都市開発や城管の取り締まりにより夜市は廃れたかに思われたが、明伦街交差点*5や大学西門でも健在だった。
5日夜に校外食堂の一つだった天府快餐(四川食堂)*6で鱼香肉丝饭を食べた。たしか15元だったと思うが、勘定で5元を返された。メニューに「送五块」などと書いてあった気がする。慣例の割引なのか、近頃中国全土で急速に普及しているQRコード決済の割引システムが現金払いにも適用されるのか、定かではない。

开封人とのふれあい

明伦街の外で出会った开封人との交流も記しておきたい。
吉祥旅社を逸した5日の晩は、火车站にて宿を求めた。ところが、开封が急激に観光都市として変貌を遂げた結果、外国人の簡易宿泊所利用規制が非常に厳しくなったらしい。駅舎対面の一軒目は断られ、その女主人が他の客引きに触れ回るので私はどの宿にも近づけない。そんな中とりあえず親切に招き入れてくれた德鸿宾馆。既に眠気を帯び中国語の会話力も低下した私を落ち着かせ、申し訳ないが外国人を泊められないことを丁寧に説いてくださった。近くの高級そうなホテルを当たってみるも、东京假日宾馆は「办不了」、7天连锁酒店は「満室」と素っ気ない。結局さきの德鸿宾馆で裏路地にある「宏海旅社」というのを手引きしてもらった。この反省と危機感から翌晩のために市内のYHを予約しておく。が、6日夕にその茶酒詩青年旅舎*7へ行ってみると、鉄の扉はずっと閉まったまま。何度か門を叩いた挙句、やむなく隣の宿に声をかける。
そんな曲折を経て出会えたのが、新しい开封の家漫时光客栈の阿姨だ。隣はもう何ヶ月も留守だからキャンセルしてこっちに泊まったら、ということで変更。室内にシャワー付きのツインで99元*8。部屋と門扉のカギを渡され出入り自由に。翌朝カギを室内に置いたままロックがかかってしまい、また施錠のコツがつかめずお手数をおかけした。不器用な日本人にも嫌な顔一つせず対応してくださった。場所は大梁路の路地を入った马市街小学の南側。在学中を含め今まで気にも留めなかった地区だが、意外と旅社が集まっている。もしかすると开封大学の下宿アパート群かもしれない。現にこの客栈にも女子学生が住んでいるようだ。

Booking.comで取り扱っていないのは難点だが、ぜひ今後の常宿としたい。

6日の文庙見物後は市内景点巡り。菊祭で賑わう龙亭公园の入場門前で、僧衣を纏った男に木彫りの仏像がついたお守り(护身符)を授けられる。目を合わせられ「善人の目だ」とか褒められる。お布施を乞うので、たまたま残っていた1元札を与える。すると暫くして別の坊主が寄ってきて、今度は数珠を手にはめ金をせびってきた。もはや小銭がないといえば、「お釣りを渡すから」と食い下がる。仕方なく100元差し出すと40元だけ返してきて尚も数珠を託そうとする。たかりだと直感し、押し返してその場を離れた。坊主の「ケチな奴め」という罵声が聞こえる。明らかなバックパッカーなので狙われるんだろうな。

书店街北口でお目当ての白吉馍屋が居らず、重い足取りで歩行街を彷徨う。そんな折に暫しの休息に誘ってくれたのが、第一人民医院(开封市中心医院)脇の饭馆。空腹でもないがおやつ感覚でいただく、塩味の豆腐脑と鸡蛋煎饼。疲弊した体が安らぐ。元来この河道街は病院食のない中国の医院で、入院患者のために家族が食事を買い求めるための飲食店街である。ごく普通の朝食メニューに人民の温かい心が宿る。
ちなみに食い逃した白吉馍は、夕飯に大梁门外・护城河沿いの屋台で買った。

目の前でミンチにされる具材の肉。旅社で一休みしてから改めて飯か麺を食べるつもりだったが、これ1個で満たされ爆睡。

おわりに

ここまで3回の報告書すべてアイキャッチ画像が鸡蛋灌饼であることからも分かるように、この店は盤石である。あとの馴染みだった人々とは断続的になったりもするが、間が空いただけ再会の喜びは大きい。そして、また新たな出会いと繋がりも生まれる。会いたいという想いが少しでもあれば、巡り合わせは途絶えることはないんだな。それが帰郷の意義でもある。次回を乞うご期待。

*1:タバコを持ってこなかったことを一番悔やんだ瞬間

*2:昨夜の「伟伟」も同じ

*3:今回の帰郷旅行全体で鸡蛋灌饼の朝食は計4回w

*4:タクシー運転手でもあった

*5:2007年冬に2種類の白酒を飲んで急性アル中になった锅贴店のある夜市

*6:既に留学時代と店主は変わっている

*7:Booking.comに登録された地図は間違っている

*8:デポジットとして任意の額(私は10元)を預ける

开封文庙

古い住宅地の一角を整理して大規模に観光開発した新興名所。場所は解放路の右司官口と呼ばれる辺り(汴京饭店の北側)で、留学中を含め数年前までは何の印象も残らない普通の街路だった。出国前に百度の衛星地図などを確認したところ、巨大な楼閣の出現を知る。実は前回再訪した2014年の時点で工事が始まっていたらしい*1のだが、全然気づかなかった。ここでは文庙とともに、解放路を挟んで東側で新たな観光步行街として改造進行中の双龙巷(开封市中医院北面)も併せて取り上げる。
ちなみにネット上ではライトアップの綺麗な画像もあったので、5日夜に期待して見に行ったものの広場は真っ暗だった。

朝、河南大学南門口で鸡蛋灌饼を食べてから、のんびりと歩いていった。公交利用なら、3路や10路などを右司官口で降りるとよい。

双龙巷


牌坊の向こうは解放路。まだ解放路口しか整備されておらず、一歩先は旧来の宅地が残っている。しかし対岸の文庙開発と一体的なプロジェクトで改修される予定である。観光モールの完成予定図が掲示されている。
双龙巷の名は、宋朝北宋)の太祖(趙匡胤)と太宗(趙光義)、二人の皇帝を輩出したことに由来する。趙匡胤の故事らしい群像がたてられている。

 双龙照壁。
近年、中国古風建築に改修された中医院のイルミネーションも意外と必見。

文庙

かつての文庙街はとくに目立たない筋で、文庙(孔子庙)も繁塔や宝珠寺のように住宅地に紛れる格好で守られてきた。従来この地区には开封第七中学があり、文庙は校内の一角で保存されてきたという。今度の開発のために学校は移転し周辺の住宅も撤去されて、巨大な楼閣や商業施設を含む公園へと華々しく生まれ変わった。
 解放路沿いの商業施設。

 棂星门。
 孔子像。
 守望阁。登れるかは不明。
 この角度で見上げると構造の美しさがよくわかる。
徐々に日が昇って空気が暖まってゆく時間帯、回廊の碑石を眺めながら休息する。

その後

おもに河南旅游集掲載画像収集のため、开封市内の景点巡り。文庙街をそのまま西進して龙亭。菊花展開催中で大盛況の正面広場。白吉馍目当てに书店街北口へ出るもありつけず、第一人民医院近くで豆腐脑と鸡蛋饼の間食を食べた後、もはや走不动なほどに歩き疲れて18路のバスで火车站へ向かったところ寝つぶれてしまい、いつの間にか折り返し進行方向が変わっていたww やむなくコッソリ曹门で下車し12路に乗り継いで、禹王台公园。繁塔・禹王台景区で木漏れ日に暖まりながら、穏やかな午後を過ごす。公园东门より8路公交で马市街の旅社へ。
文庙と同じ解放路の东司门-学院门間東側に、新名所刘青霞故居ができており、またの機会に訪れたい。


开封文庙 完(开封帰郷旅行2017は8日までつづきます)

(map:开封文庙)

*1:街景地图の「时光机」で時期をずらすと住宅撤去中の光景などが写る