南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封城墙


留学時代から最も身近で重要な古跡でありながら、ちゃんと記事にしてこなかった。各所で改修が進み城門のライトアップも華やいできたので、取り上げておこうと思う。とくに今回は都城の南部に位置する小南门のライトアップが美しく印象に残った。
さて、現在开封市中心部に残る城壁は、明清代に築かれたものである。最も繁栄した時期とされる宋代の城郭は現在の环城路と概ね一致するもので、現存する城壁よりずっと長く広域であった。現存の城壁は、南北約3.5km・東西約2.5㎞の総延長およそ11.4㎞で、縦長の長方形がやや右に傾いだような恰好をしている。私が在学した河南大学や铁塔公园はその北東部に位置し、キャンパスの東側は城壁に沿っていた。铁塔公园へタダで潜り込む裏技として、東門から城壁を伝っていく方法がまことしやかに語られていたものだ。復元されている城門は、北の安远门、南の小南门(新门)、西の大梁门の3つである。ほか地名として門の名が残されているものに、大南门や曹门がある。個人的には、その地理的重要性*1から大南门は復元してほしいと切望する。また、古代の城門の有無にかかわらず、現代の街道のために城壁が途切れている箇所もある。

ギャラリー

それでは、10年来撮り集めた开封城墙の端々をご覧いただこう。このコーナーは再訪のたびに追加する予定。

2009年

 大梁门
 东京大市场の背後に

2012年

 河南大学東門
 小南门

2014年

 西南城坡街
 东京大市场跡地(2009年の下の画像と同位置)

2017年

 小南门夜景(北面)
 小南门夜景(南面)

2019年

天候も良く、精力的に撮り貯め。
明伦街口
f:id:Nanjai:20190813121836j:plain 东京大市场跡地(2009年、2014年と同地点)
f:id:Nanjai:20190813121937j:plain 冒頭画像の南向かい
安远门(解放路北口)
f:id:Nanjai:20190813144042j:plain 南面(城内)遠景
f:id:Nanjai:20190813144343j:plain 北面(城外)
f:id:Nanjai:20190813145152j:plain 南面やや接近
向阳路口
珍しい高架構造がちょっと気に入ってるので。
f:id:Nanjai:20190814103818j:plain
f:id:Nanjai:20190814103947j:plain
f:id:Nanjai:20190814104035j:plain
滨河路沿い
2014年の上画像のちょうど外側(裏側)にあたる。健康主题公园という散策路になっていて、壁面をじっくり観察できる。
f:id:Nanjai:20190814111546j:plain 迎宾路口 
f:id:Nanjai:20190814112013j:plain
f:id:Nanjai:20190814112100j:plain 折れ目
f:id:Nanjai:20190814112200j:plain おそらく黄河の土砂に埋もれ浸食した部分

map:开封城墙(冒頭画像撮影地点*2

*1:龙亭から宋都御街-中山路とつづく、いわば朱雀大路のようなメインストリートの南端に位置する、まさに「羅城門」

*2:大抵の城門や城壁寸断箇所には同様の碑が設置されている

郑开城际铁路

いよいよこの交通システム試乗を記事にするときがきた。留学先の大学で聞いた噂がついに現実の鉄道線となり、郑州と开封を結んだ。城际公交だけでなく自転車でも走破した郑开大道、その沿道を和谐号で走り抜ける時代がやってきた。帰国してからも逐一敷設情報を追ってきた南蛇井には大変感慨深いイベントである。
主な研究記事:城际线について - 南蛇井総本気
日本へ帰国後の2009年末に着工。2012年帰郷時は友人から建設工事が進んでいることを知らされ、2014年では実際に郑开城际公交の車窓より工事の進展を確認している。また、時折日本でも百度などの衛星地図を利用して高架線や駅の建設状況を追尾中。
開業は2014年12月28日。逐一フォローしてきた割には、試乗に3年近くも経てしまった。
郑开城际铁路詳報 - 南蛇井総本気
フォロー時代はずっと日本の私鉄のような民営鉄道だと考えてきたが、れっきとした中国鉄路(国鉄)の一部である。同時期に開通した新郑国际机场や焦作(Jiaozuo)とを結ぶ都市間鉄道にも接続あるいは直通している。
それでは前日のつづきを経て、いざ开封へ。
周口-驻马店編4:周口淮阳(Huaiyang)太昊陵よりつづく)

漯河~郑州

漯河駅前の朝は閑散としている。どこかちょっと朝飯食えるトコはないかと探したら、一坪くらいの狭い店内と表の小机で何か食べている人々があったので、1元で包子を買った。

このサイズで十分ちょうどいい。

漯河の駅構内は开封みたくガランとした建物で、2階もありそうだが1階の2フロアだけ使用している。紙製の红票といい、在来線らしい駅舎といい、少し懐かしい鉄路トリップ。高速鉄路の発達に伴い、漯河に停車する快速の本数も減少した感あり。
そして、実に8年ぶりの无座。いかに電子発券システムが適切な座席手配をしているかが分かる。初めて信阳との往来で利用した郑州以南の京广铁路*1も、やはり无座であった。昔のように連結部分のトイレ脇などに佇むのだが、歳のせいか2時間半は案外余裕じゃなかった。乗務員室から流れてくる音楽ぐらいしか気を紛らすものはない。临颍で通過列車待避のため時間を押され、12分遅れで郑州着。
地下鉄乗継効率のため西口へ。まず、7日夜の武汉行きの切符を購入。狙い目のK1347(22:27発)を意図して「22時半」と伝えたのに、22:46発の特快を配給されて心外。到着時刻が朝早すぎて、地下鉄始発まで間があくのが嫌だ。〔列車情報:T253次、郑州22:46発-武昌03:51着、硬座75.0元〕*2
地下鉄1号線で郑州东站へ移動。ここ3年の間に1号線は両端とも延伸している。とくに東端の河南大学新区は、自身が在籍した明伦校区や理工系の新キャンパス金明校区とは別に、郑州市で新設された国际学院の校区である。名称からすると留学生もこちらに移転してそうで、开封の河南大学を愛する者としてはなんだか心配。

郑州~开封

こんな巨大な高速列車集散地でGとCが一緒くたのはずがない、と城铁専用出入口を探したが、コンコースには売店と出站口しかない。やむなく東端の総合售票厅で切符を買う。時間帯のせいなのか、駅規模のわりに窓口ひとつ開き数人の列で間に合っているのは些か不自然だ。高铁の「开封北站」との誤配を避けるため、敢えて「开封宋城路」と指定してみる。郑开城际铁路は、京津城际铁路や他の大都市圏高速鉄路と違って20~30分間隔で頻繁に発着しているわけではない。一日15往復程度と本数が限られている。時間の都合により13:11発のC2808次を逃したため、約1時間半後の14:55発となる。実はこの間に开封北へは2本のGが走っていることも承知の上で、城铁にこだわる。〔列車情報:C2810次、郑州东14:55発-宋城路15:29着、二等座18.0元〕*3
この待ち時間こそ、私にとって中国の空港や鉄道駅ならではの方便面を食べる絶好の機会だ。

红烧牛肉方便面

以前より麺が細めで縮れ気味になり、日本の即席めんにだいぶ近くなった。一見すると日本の台湾ラーメンと大差ない。一方で折り畳み式だった簡易フォークが短いストレート型になり、些か食べづらい。この红烧牛肉方便面は、持ち帰って日本人に食べさせてみたい中国味覚の一つだ。
城铁の改札口は待合ホールのちょうど中央にある。车次によって多少の変動はあろうが、やっと専用の入口を獲得した形。

城铁检票口

改札直前になると、思ったより長蛇の列ができる。20分前よりもやや遅れて開場となった。高速鉄路では発車5分前に締切となるので注意。

列車は郑州东を発するとまず少し北進し、右へ大きく転回する。南北方向の駅から東へ進路を変えるためだ。もともと郑州东站より真東へ延びている金水路へ向かって、东风渠に沿って戻っていく。郑开大道と並走し始めると、南側の車窓は高層住宅群の連続だった。完工済みも建設中も含め、一つ途切れたと思えば、また次の区画、少し離れてまた一つと、延々と高層住宅群が散在している。遠くを見やっても同じように超高層団地が点在している。まるで郑州と开封の市街地はニュータウンで繋がってしまったのではないか、と猛烈な不安に駆られるほど宅地開発は凄まじかった。幸い、唯一の途中停車駅「绿博园」でこの嵐は踏みとどまっていた。その先は田園と雑木林と枯れ川の見慣れた平原が続いていた。ただ、今までは郑开大道の路面から眺めていた風景を、高い位置から望むのは新鮮だ。绿博园までは抑えていた速度も、この区間では250㎞/hに迫らんとする勢いで圧倒させる。ちなみに全区間内の途中駅は绿博园を含め10駅(現状は3駅)設定されているが、ほとんど停車しない。また、計画上の終着駅は开封站である。

光都市开封の新しい玄関口となった、宋城路站。かつて市街地の南西端であった宋城广场よりも2㎞ほど西にある。

宋城路站站房

向かって右手が出站口、左奥が售票处である。

开封旅游集散中心

駅前広場は旅游中心と一体化で大きな屋根に覆われている。この建物の裏が郑开城际公交や开封公交のターミナル。二階建てバスの旅游专线「观光2路」も発着しており、主な観光名所を挙げながらツアー客の呼び込みがかしましい。無論私はといえば、歩きなれた我が故郷开封到着に心沸きたち、足どり軽く路上の公交站へ向かうのだった。

城际铁路を運行する和谐号

もはや乗り馴染んできた和谐号だけど、郑开城际铁路の車両として別格のオーラを感じる??

郑开城际铁路 完(「开封帰郷旅行2017」は8日までつづきます)

(map:开封宋城路站)

*1:安阳~郑州間も无座利用経験しかないので、京广铁路は現在全区間席なし

*2:郑州のような特等站でも红票が発券されるのには驚き

*3:これで24時間以内に3回(3枚)火车票を買ったことになる

周口-驻马店編4:周口淮阳(Huaiyang)太昊陵

留学中、お昼過ぎのテレビで放送されていた「本日の河南省各地の観光地の天気」の中で聴きなじんでいた、淮阳。名所太昊陵や一面の蓮が浮かぶ風光明媚な映像が印象に残る。今回日程を1日追加することで企画入りした。衛星画像によると、县城の中心部は湖に浮かんでいるらしく一層心惹かれる。本編は河や湖と関わる景点が多い。
周口-驻马店編3:周口关帝庙よりつづく)

周淮新能源公交

前夜まで頭を悩ませたアクセス方法。ここで一つの賭けに出た。周淮新能源公交の開通時の周口側発着点、华耀城まで行ってみることに。そこは周口市の北東郊外、淮阳との省道上に位置し、小さな汽车站もあり公交の往来は確実と考えられる。中心部から华耀城への市バスは幾筋もある。16路で終点华耀城(建设大道-大成路口)。果たして新能源公交は建设大道を往来し、この交差点で呼び止めている人もいる。ところが「华耀城」なる商業施設群の傍に汽车站はなく、さらに郊外へ出たところで見つけたのは貨物用ターミナル。意を決し、先の华耀城交差点で大きなスーツケースを携えた人々と一緒に新能源公交を停めて、路上から乗った。この一群には周口学院の週末帰省する学生たちが多い。なんか都市間バスの乗車方法が回を重ねるごとに無秩序になっていくのは気のせいか。
運賃は6元。さすが新能源(ハイブリッド?)、走行音が静かでトロリーバスみたいだが、加減速は荒っぽくなる。淮阳側の終着点も知らないので適当に見定める。とりあえず汽车站は通過し、西关?は降りそこねて湖岸を暫く走り、運よく太昊陵前で下車。たぶんこの先の北关で折り返しっぽい。

太昊陵

昼近いので観覧前に馄饨をすする。湖岸と景区の間の広場には民芸品の露店が立ち並んでいる。一見高級そうな品揃えだが、執拗に売ってこないので気楽に冷やかせる。
太昊陵とは、古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王の一人である、伏羲(とその妹の女娲)を祀った廟である。伏羲は八卦を画き、文字をつくったとされる。また、伏羲と女娲は大洪水で生き延び、人類の始祖を造ったとも伝わる。この話は淮阳の民芸品とも関わってくる。
拝観料は40元。チケットは葉書形式。ここまで訪れた景点すべて、下調べの料金より割安である。

午朝门
「天下第一陵」の名はCMでも聞いたような。
先天门

奇抜な様式の門がいくつも連なる。基本的に道教の色合いが濃い。古代神話の帝王といえば、前回訪れた濮阳县挥公陵もそうであったが、これほど異色ではなかったな。

统天殿
太始门
伏羲陵
陵园の東側にはなぜだか岳飛庙もある。
伝説信仰は解せないので西側はパスして、先天门前の涼しい木立で一休み。

広場の露店で目当ての土産を見つけてある。出発前から既に着目していた淮阳の民芸品「泥泥狗」である。様々な動物の形をした黒い焼き物に、極彩色の文様が施してある。先述のように、大洪水で生き延びた女娲が泥をこねて人間をつくったという伝説をもとに生まれた民芸品とされる。
参考:『人民中国』
ネット上では一匹数元から数十元まで値幅はまちまちだとあった。そこで一つ30元くらいまでなら値切らずに手に入れようと決めてきた。勿論旅もまだ半ば、あまり大きなものは買えない。サイズも決め手となる。
明らかに漢族ではなさそうな店主に値を聞けば、なんと一匹3元だという。質量を見定めて犬2匹(豚っぽい)、猫1匹(鼠っぽい)購入。紛い物かもしれないが、少なくとも本場淮阳で買ったものであり個人的には貴重な戦利品である。

泥泥狗

湖上城市

では湖上に浮かぶ淮阳县城を歩いてみよう。実は湖の大きさと西关までの距離を些か見くびっていた。神龙桥を渡りかけて地図を確認し、これは真剣に歩かないと今後の予定が危うくなることを悟った。おかげで橋上の画卦台をスルーした。

橋上より太昊陵を振り返る

街は島であることをあまり感じさせないが、入り組んだ川などが湿地帯であることを窺わせる。淮阳一中の古風な門が構える中心地で右折。西关との間にもう一つ小柄な島があり、大同街は2度橋を渡る。

ハスは枯れ気味

一面ハスの葉とはいかぬが、その片鱗を感じていただけたら幸い。
ぴっちり15時前に散策を終え、バス停で新能源公交に飛び乗る。周口市中へは7元。今度こそ発着点を突き止めてやる、と息巻いたのに、ちょうど中心汽车站付近まで達したところで車掌がいきなり乗客を選別しだした。この先の方向性が分からぬ私は、言われるままに降車。結果よければ、まぁいいや。

周口~漯河

驻马店単独企画の段階から、帰着点は漯河(Luohe)と決まっていた。交通至便な京广铁路沿線であることと、現在未踏の漯河を最低でも乗継の形で踏むためである。周口と合体編になった理由の一つには、上蔡より周口のほうが利便性の高いことも挙げられる。
初めて入る中心汽车站は、週末帰省する学生を中心に物凄く混雑していた。どの窓口も何分待たされるかしれない長蛇の列に圧倒されかけたが、ほかに逃げ道もなく並ぶ。久しぶりに正規の乗車券を購入した。16:30発、運賃22元。さぁ、これから徐々に普通の外国人になるぞ。
乗車場内で鹿邑行きのバスを見かけ、やっと2012年に訪れた同县が同じ地级市であることを実感した。周口市は広いので、鹿邑と淮阳が隣接しているのも全然ピンとこない。
バスは夕暮れの高速道路をひた走り、1時間半ほどで漯河駅前のバスターミナルへ到着。

モダン建築の人民路

本編完結へ

漯河から帰途あるいは次の旅程への道筋をつけた時点で、本編のフィニッシュだと考えている。
西方系食堂で炒拉条を食べてから*1、明朝郑州へ向かう列車の切符を買う。中国の大動脈京广铁路といえども、漯河で午前の早い時間に乗れる上り列車は意外にも僅か1本しかない。この点は計画時から非常に悩まされた。郑州行きにこだわるのは7日の武汉へ帰る列車の切符確保もあるため、高铁の漯河西はあり得ないが、長途バスなら郑州火车站前の中心站まで53元で所要約3時間という手段は考慮していた。しかし結果はといえば、「没有座位」ながら意中の列車を射止めてしまう。〔列車情報:K600次、漯河09:08発-郑州11:36着、无座21.5元〕

心晴れやかに仰ぐ駅舎

この3日間、いま駅前広場に集う農民工のような人々の郷里を渡り歩いてきたんだな。一人の日本人として、彼らと暫し寝食を共にし同じ空気を吸い同じ空間に居るんだということが、とても不思議で貴重だと思う。そんな感慨に浸りながら、呆然と人民たちを眺めて時間を潰した。それから、広場を囲む超市や便利店を須らく回り、時には飲料などに浪費しながらチリ紙と髭剃りを買い求めた。ほどよく投宿タイムとなる。
出站口付近で私を捉まえた婆は、小さな旅社の玄関先の一室へ通した。パソコン前で寛ぐ家族を追い払っての入室である。登記も外国人対応も思ったほど激しい動揺はなく、さぁゆっくり足を休めて寝られる、と安堵もつかの間だった。私を日本人と知るや、「女の子紹介してあげる」と執拗に迫ってきたのである。登記の際は軽い冗談かと思いきや、数分後にはマジで女の子を連れてきた。日本人好みだと考えたのか、地元の田舎ぽい肌ではなく、濃いめに化粧した明らかに水商売と分かるギャルで、正直逆に萎えた。婆は「全然騙しじゃない。150元でどう」とか巧みに言い寄ってくるし、女の子も艶めかしく股間とか触ってくる。会話とかお触りだけでも良いし、たまには遊んでみるかという気がないでもなかった。でも脚は完全に疲れ切っているし落ち着いて寝たいだけなので、頑固にその旨で拒絶してしまう。旅の半ばじゃなくて終盤だったら、違う展開もアリだろうな。南阳のときを思い出し、男心を擽られて面白かった。

周口-驻马店編 完(「开封帰郷旅行2017」は8日までつづきます)

(map:周口淮阳太昊陵)

*1:そろそろコメが食べたいと思いつつ

周口-驻马店編3:周口关帝庙

「周口关帝庙は商水县にあり」との強い思い込みから敬遠されてきたが、出発直前の位置確認により企画へ合流したものである。

河南省内において観覧した关帝庙としては、许昌(魏都区春秋楼および许昌县(現:建安区)の关帝庙と霸陵桥)、洛阳(关林)に次いで3つ目となる。
周口-驻马店編2:驻马店上蔡(Shangcai)蔡国故城よりつづく)
カギを返す必要がないので、一声かけてスルッと退房。通りに面した横断幕には「周商宾馆」とあった。

新华步行街の鸡蛋灌饼。巻き型は初めて。

食べながらのんびり歩いてゆくと、ちょうど開園前に着ける。中国における観光名所の開園時間が比較的早いことを利用して朝一で見物すれば、淮阳行きに差し支えないと読んだ。关帝庙は08:20に開くという。

山门

対面には大きな広場があり、地元の女性が健康舞蹈をしている。ところが時刻を過ぎても山門や售票处の開く気配がない。しびれ切らして、やおら開いた山門から進入すれば、切符買ってこんか、と追っ払われた。そこで他の見学者とともに窓口を叩いたらやっと売ってくれた。门票13元。

清代の1693年より建てられ、幾度もの拡張や修復を経て1852年に完成。中国全土の关帝庙の中でも比較的大規模で保存状態の良いものとされる。

石牌坊

「神武丕著」とは如何に。

大殿の梁の装飾が美しい
戏楼から望む拝殿と春秋楼

陽が差し始めた境内の空気が清々しい。

春秋楼の関羽

両脇は関平周倉。大殿の関羽像も良かったが、張飛が黒面仁王像みたいで大袈裟だ。拝殿前の月台などでは、映画研究部みたいな学生たちが三脚カメラを立てて細かな角度から撮影していた。
30分ほどでサクッと参観を終え、周口Dayは快調な滑り出しとなった。

つづく

(map:周口关帝庙)