当稿(及び次稿)では、近現代における竹島問題を概観した後、筆者が最も注目した問題を指摘しておく。さて、レポートは江戸期の日朝領有論争から、突如第二次世界大戦終了の1945年に飛躍する。これには大変驚いた。何故なら、日本が近代への道を歩み始め、領土というものへの観念を転換し、最終的には帝国主義へと進んで日韓併合に至るまでの過程が、見事に抜き去られていたからである。最も重要で、江戸期の争乱よりも外すわけには行かぬ問題ではなかろうか。先稿で、朝鮮が鬱陵島の無人化政策を遠慮がちに主張したことが、返って日朝間の竹島領有問題に響いたと述べたが、当時即ち近代の西欧法律が入ってくる以前までは、使用することイコール領有と言えたのではないか。ところが1968年、日本はアジアの諸国に先駆けて、近代的な制度と思考を西欧から本格的に輸入し始めた。法治国家として憲法を制定し、国内を統制し、さらに外地からの日本国境を定めることになった。その領土確定の際に、これまでの「使用=所有」から、法律で国土を定め、また植民地や属国を区別する必要に迫られた。このとき、朝鮮・中国のような非近代国家との間に、領土感のギャップが生じたはずだ。竹島問題は、「歴史的に」という言葉を被せた江戸期の主張争いを表に出されるが、日本は韓国より先に近代を経験して、領土への見解を転換している、ということを見過ごしてはいけない。
日本は、米国が全く利用価値のないものとして放置していた太平洋島嶼の領有を宣言し、後の大戦で軍事拠点に使用した。しかし、この領有もドイツの第一次大戦での敗北を機に、委任統治として割譲されたものだ。即ち国際的な承認を伴う国土や植民地の確定こそが、近代へと脱皮した領土感ではなかろうか。
資料には、《20世紀に入り、日本人がアシカ猟の基地とし、竹島が無人島であることを確認した後、島根県に編入したのである。しかし、これに対し朝鮮側は侵略行為だとみなしたのである。実際日本が竹島を自国の領土としたのは日韓併合以前であり、それとは別で考えなければならないのだが、韓国側にとっては、同じとみなされてしまっているのが現状である。》とある。何故、史料の曖昧な江戸期に執着するのか。現在の国際制度上で自国の領土と主張できるのは、上記が示す時期の日本の行動ではなかろうか。
結:近代をもっと読め。【2005/10/11/PM】