南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封市8ヶ月間の変貌報告書

留学期間を終えて2月下旬に去ってから、今回訪れるまでちょうど8ヶ月。歳月は決して長くはないが、その間に建国60周年という大きな節目を迎えた中国。改革開放、和諧発展を全国各地で推進するために欠かせない起爆剤が、2008年から3年間続くよう企図されている。08年北京五輪、09年建国60周年、そして2010年上海万博。この目標を掲げることが、中国が世界における強盛大国(国が違うか?)となり、国内においては中央が発した制度的、環境的、経済的水準を各地に浸透させるスローガンの役割を果たしている。
実際北京五輪を前後して、河南省の古老都市开封も随分変化させられた。とくに聖火リレーのルートとなるにあたり、市内主要道路の舗装や補修が集中的に行われた。バスの停留所なども少しは綺麗になったものだ。他省他市からの中古輸入ながら、市バス車両の新型化も徐々に進んでいる。国内一級道路といわれる郑开大道や、都市間大量輸送システム郑开城际公交の開通と発展もその一環といえるだろう。一方で観光都市へ盲進するあまり、在住市民への配慮に欠ける開発も見られ、将来が危ぶまれる。
というあたりを前提として、23日午後、开封火车站へ降り立つ。外見上は変わってないなと思う間もなく、左から右へ駆け抜けた一台の公交、見慣れぬ車両。

市内交通

ということで、まずは、市内公交について。ただいま目撃したのは9路の新型車。黄土色を基調とした低床大型車で、13路の車両と似ているがやや軽量に感じられる。27日、実際に乗車。確かに以前より軽快になった。椅子を抜いた空間があるのは、この国では車椅子スペースというより乗車人数を少しでも上げる工夫である。开封市で導入された新車(中古)の中では、初の構造である。これで开封县城と市区を結ぶ二路線*1とも新車両に変わり、少しは快適に移動できるようになった。そのほか、主に20番台路線で、少林客車などのマイクロ車両を用いていた路線が新車に替わった。以下、すでに新車(ある程度快適な乗車を保障できる車両)に切り替わった路線(不確かなのはカッコ内):1、7、8、9、13、14、15、18、(20)、21、(22)、24、26、28、29。一方で、乗車率が比較的高い主要路線にもかかわらず、相変わらず燃費の悪そうな大型車を引き続き使用し続けている路線も少なくない(:3、4、5、10、11、17)。まぁ次のチェンジ候補になるのでしょう。もう一つ、綺麗なマイクロ新車が導入された20番台路線の車両側面に、「開封公交」のデザイン文字が入ったこと。交通局自体のロゴマークはかつてより存在するが、こんな目に鮮やかな表示を施したのは画期的だ。いかにもお古をただ走らせる感じの公交から、車両を自分のモノとしてアピールする公交に変わった感じだ。これは良い。

道路整備と都市改造

さて、河南大学へ行くには10路と18路があるが、この日は18路を選んだ。次は、都市の変化について。かつて18路最大の難所だった魏都路。穴に嵌るたびに舌を噛み、水溜りに落ちるたびに窓ガラスまで泥水が跳ね上がった。自転車でも通ったことがあるが、穴を避ける自動車の為に身動きのとれないこともあった。それがビックリ、見違えるほど綺麗な通りに仕上がっていた。先回帰国する頃、すでに舗装は済んでいたが、今度はさらに歩道を広げて整備し、街路樹を植え、南側には集合住宅を建て始めた。道幅も片側二車線くらいある。角付近にあった果物屋も滅びているようだ。五一路、大王屯东街それぞれとのT字交差点には信号機まで出現。変わったね、これは。対照的に老朽化が目立つようになってしまった五福路。公交10路や18路だけでなく尉氏や许昌などへの長距離バスも往来するこの通りは、魏都路や铁路北街よりはマシな傷み具合だったのに、二つとも舗装しなおされてしまい相対的に落ちてしまった。ここは古い商店やホテル、病院が建ちならび、屋台も出ることから手をつけにくいらしい。市内全体でも、主要道路に関してはある程度補修がなされ、残るはほぼここだけ。悪路の化石か。
先に舗装改修の済んだ铁路北街に続くように、禹王台地区ではさらなる開発が進行している。これに関しては河南旅遊集の中牟(2009年10月26日)前半をお読みいただくこととする。
観光都市への変貌も著しい。帰国直前、18路のバスが通行に支障をきたしていた西大街の一箇所。道の真ん中に何かできるのかと思っていたら、今回橋が出現していた*2。あの辺りだけコンクリの建物から商店が消え、廃墟となっていったのは、川を造成するためだったのね。包公湖に流れ込む川を、西司桥を河口として龙亭杨家湖まで延ばし、各所に橋を建設している。昔は古い住宅地に埋まっていた川の痕跡、大規模な居留民掃蕩と重機による工事を進めて、復活させてしまった。滞在時から始まっていた西司桥(广场)の改修はその一環に過ぎなかったということを初めて知った。杨家湖西岸も清明上河园付近にて大きなアーチ橋が造られ、イルミネーションに輝く湖を見下ろすのは意外に絶景だと思った(26日)。老师によると、开封の町は一日で見物できてしまう(AAAAスポットだけなら3,4箇所)ため観光客は宿泊せずに去ってしまう。もっと観光収益を上げる為に観光客を2日間滞在させる工夫をしなければならない。その一つとして、「夜の船下り」を造るつもりなのだそうである。清明上河园では夜のアトラクションもやっているほか、龙亭公园も閉園時間をやや遅く設定しているが、なかなか効果が上がらないのだろう。しかし、観光という産業発展のためなら、住民を差し置いて何をやってもいいのかという疑問が残る。ここは住民主体の自治ではないから意見も通らないのかもしれないが、城壁の中から住民が退去して死せる町となった开封で遊びたいとは誰も思わない。何千年も脈々と続いてきた人びとの生活の中に、宋代の名残る景点があってこそ古都なのである。京都は観光するにはいい町だけど、住むには向かないと言われる所以が分かる気がする。どこも同じような道を辿るのらしい。町と人、生活と観光を考慮した都市開発を望む。
関連で、以前にも書いたかもしれないが、包公祠から西へのびる向阳路について。大型観光バスの乗り入れが激しいこの辺では、道幅を広げるかわりに自転車道をつぶし2車線化を成功させた。中国が世界に誇るべき自転車・電動車専用道を切り捨て、歩道に上がらせて歩行者を危険にさらす愚策を講じた、市内で最も恥ずべき道路となった。これも観光収入しか眼中にない政府の誤った政策である。あんまり批判するとヤバいかな。
建国60周年を迎えて、开封にも中央の政策が浸透しているなと感じたのは、地震災害発生時の広域避難場所や給水場所に関する案内板が市内各所に立てられたこと。これは少し驚いた。「地震」と限定しているところは、四川大地震の影響がうかがわれる。が、日本でもこのような災害時の避難誘導に関する広報活動を行っているものの、市民の多くが把握しているとはいえない。こういう天災に対する日ごろからの備えというか混乱を最小限に抑える対策を講じて、それが中小都市にまで及んでいるという点は評価できる。
それから、街を一見してすぐ感じたのは、道路標識の増加。最近自動車学校に通ったせいで視線がその辺に傾くのかもしれないが、明らかに往時と比べて増えている。速度規制、重量規制、転回禁止、警音器使用禁止などなど、ちょっと开封人では守れるとは思えない(笑)ようなことまで標示されている。大学内においてもこれらが設置されており、今までは「いや当然だよ」と思っていたのがここへきて驚きに変わる。“設置されている”ということが、サブリミナル効果的に交通マナーの改善へとつながればということなのだろう。短的には、中央に対して「少なくとも改善させようという対策は講じていますよ。見た目にもいいでしょ」と見せる施策なのだろうが、それで終わって欲しくないのが為政者の願いであろうよ。ところで中国の車校には標識の学習はあるのでしょうかね(笑。

河南大学周辺

こちらはちょっと残念なものが多い。たとえば三毛河大店の日本食品が消えたこと。といっても「午後の紅茶」と「出前一丁」だけだけどね。鸡蛋灌饼の値段が1.8元から2.0元に上がったこと。まぁこれは物価が少しずつ影響してくるので仕方がない。西門のは1.5元のままだろうか。三元弁当が四元になったのは先回帰る直前。この身近な食べ物はいつも物価変動の基準になる。また次回訪れたときに幾らになってるか楽しみ。店だけは消えるなよ。
一番変わったのは西門。屋台は減っていないようだが、学生宿舎を中心とした飯屋街。かなりの店が瓦礫の山になっている。安くて、そこそこ美味くて、たまに留学生何人かで訪れると楽しかったのに、一つまた一つと消えていく最中らしい。あんかけ風宫保鸡丁饭*3が好きで時折通っていた、西門正面の成都食堂。料理の出てくるのがやや遅くて、学生にも見抜かれてるのか結構閑散としていることが多かったので、潰れて当然といえば当然だが、これが今回最大のショッキングだったね。去年の冬至には水餃子も食べたのにな。春節明けに最も早く営業を開始してたり、常に意外な店だった。ロシアン好物の糖醋里脊などを食べに行った店も、老板が変わったのか静かだったし。夜市以外は廃れていくかもしれんなぁ。お上にとっては、この古くて整理しにくい地区を片付けるのに好都合なのだろうが。美容院「名古屋」の店名が変わっていたが、この先営業していけそうもなかったし。怖くて数年後に見に来たくない。

城际交通について

城际の代表といえば、郑开城际公交。系統がコロコロ変わるのはいつものこと。8ヶ月ともなれば変化は大きい。詳しくは河南旅遊集郑州BRT(09年10月28日)を参照のこと。特に、开封东站と郑州西站を結ぶ系統が新しい。両市の最も遠いところを結んだ形になる系統だ。高速なんか通るわけないから、相当途中停車があるんだろうと思うと、なんか笑える。ある意味不便じゃないかと。ちなみに开封东站は、地図上は东郊乡にあっても現在はターミナルとして機能していなくて、市バスの営業所(4路、13路など)があるのみ。城际公交は暫定的に花园路付近の広くなったところで転回する。切符などはおそらく車内販売。外环路を北から廻るようにして市街をバイパス*4し、金明广场から郑开大道へ進入する。よって、この系統は金明广场からの余席乗車はできない。この点は河大南門⇔郑州北站(この系統もまだあり)と似ている。一方の郑州西站は、これも長途バスの乗降で利用したことはないが、电车公交の終点があって接近したことがある。郑州大学とかへ行きたいときは使える系統かな。近頃は郑州側のターミナルが東へ偏ってしまって、西へ行きたい人には不便だからね。
城际公交シリーズ第二弾!新乡行きが開通していた。これまで新乡へは、中心站から37.5元、西站から31.0元(保険を含まず)でそれぞれバスが出ていた。黄河を挟んで対岸に隣する市でありながら、なんか運賃が高めで時間も要していた。これは黄河を渡るためにいったん東へ2-30km逆行し、省道の大橋を越えて市域に入り、改めて市街へ北西進行するというやや大回りなルートのためである。途中、长垣(なががき?),延津(のべつ?)といった小都市を通る。おそらく河南省の主要工業都市である新乡への需要が増したのと、黄河を渡る橋の通行料が値下げされたのではないかと思われる。郑州を囲む大都市ネットワークの発達、郑州圈の形成と発展が期待される動向。郑州と同様の長距離用大型公交バスが使用されている。中心バスターミナルからのみ発着。新たに橋ができたわけでもなく、運行ルートは変わらないようだ。中心ターミナルの正面に大きな広告が上がっている。運賃は不明だが、便数増加に応じて20元前後がいいだろう。もし安くなっていれば、百泉や焦作へのアクセスにも使えそう。
郑开城际公交の代替となる予定の、両市を結ぶ都市電車の建設は一向に進展がない模様。とても数年かそこらで開通するような雰囲気じゃないね。
次に、鉄道について。このたびのダイヤ改正によって、开封火车站にも変化があった。まず、唯一の当駅始発で西安行きのK617が、郑州発となってしまった。これにより、終着列車はあっても始発列車はない駅となった。K617に2回も乗っておいて良かった。たまには別の列車に乗りたいなんて贅沢言うんじゃなかった。前日でも間違いなく座席の買える列車。中国の古都を3つ(开封,洛阳,西安)も結ぶ列車。うーーん、惜しい。西安からの上り列車はもともと郑州どまりで、これをN306という早朝の列車で开封に回送して始発に当てるという仕組みであった。必要なくなったから、回送列車も消えたかと思ったら、K7958としてダイヤも変わらず運行している。どういう配車なのか知りたい。
郑州と上海を結ぶ动车组が一日2往復から3往復*5になり、やや便利になったほか、済南への动车もできた。ノンストップを除けば乗車機会は増える。

その他

鼓楼广场東で閉店していた又一新が、第一楼の向かい付近に移転して新装開店していた。一度は行ってみたい高級レストランの一つ。
大学生ぐらいの若者を中心に、原付の乗りまわしがはやっている。特に夕暮れから夜間。激しい追い抜きや擦り抜けをやって、元気よく走っている。電動車よりモーター音が響いて、それだけで充分目立つのがいいらしい。原付そのものに装飾などはさほどない*6のだが、警音に細工があって昔の日本の暴走族に似てきた。ときおり遠くから響いてくるラッパ状のホーンが、彼らの未来を象徴するかのようだ。开封のような地方都市にまでこんなものが流行ってきたとなると、いよいよだなと。
という感じで、思いつくままに羅列報告してみた。また思い出すものがあったら追記したい。

*1:9路と29路。29は長安鈴木製の中型車で、1路と同じ型。开封に限らずどこの都市でも有効に活用できると思われる、最も優秀な市バス車両として南蛇井が推薦する車。

*2:造成計画図により、「陆福桥」と称することが分かる。場所がいいのでKaifengLRTの停留所名に採用。

*3:南門の四川食堂のと対比してそう呼ぶが、実はあんかけ風のほうが一般的。

*4:河南大学付近で初めてこれを目撃した。仁和宿舎の前から途中乗降できるかもね。

*5:後に4往復も始まる見込み。

*6:多少電飾を施しているくらい。「日本人と犬 接近禁止」のプレートだけは癪に触るが。