南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

関ヶ原チャリン行 2

関ヶ原チャリン行 1よりつづく)
軽い空腹で未明に目覚めるも押し切るようにまた寝入り、昨日の走行時間と同じくらいの10時間ほど床から出られず。疲れなのか、道のりを測れた余裕からなのか、自転車旅にしては遅出の8時チェックアウト。なか卯で納豆朝定食(ごはん大盛り無料が嬉しい)を摂り、元気に出発。
さて、今日は旧街道を伝って帰る。すなわち、長浜より北国街道北陸道の一部?)を南下し米原市街の手前で中山道に合流、峠を越し関ヶ原を経て垂井宿より美濃路へ分かれ清州にいたる。この2日間の道筋を地図に表すと、ちょうど長浜と清州を両端、関ケ原を軸(交点)とする大きな∞を描く感じになるはず。事前にはイメージだけ描いて細かい道順はその都度調べ、中山道に入れば道標が示してくれるだろうと踏んだ。

長浜

せっかく苦労して辿り着いた長浜を、しばし観光していく。各施設の開館時間にはちょっと合わない。
駅前通りを県道で南にシフトし、高田神社前を湖岸へ向かうと趣ある町並みが遺されている。

朝日町の町並み

南北に貫く北国街道の両側に広がる町並み。駅前通りより北の「黒壁スクエア」がオススメらしいが、こっちも十分風情ある。

長浜城外堀跡

街道筋に近く、湊のような雰囲気が漂う。

長浜旧駅舎(日本最古の鉄道駅舎)

かつて父と見に来たことがある。当時はあんまり理解してなかったけど、新橋~横浜に日本で初めて鉄道が開業して間もないころ、大阪と敦賀を結び岐阜への分岐点でもある交通の要所として鉄道が敷かれた。今や北陸本線の途中駅だが、かつて東海道線旧線は関ヶ原駅より北回りで長浜駅へ合流していた(旧線の大半は昨日走った国道365号線だった!)*1
廃線探索 東海道線(官設鉄道)関ヶ原駅−長浜駅(歩鉄の達人)
豊公園長浜城。公園全体の改修工事に伴い、31日まで歴史博物館も休館中。

長浜城

静かな園内で自転車の空気を充填しながら、花をめでる。

豊公園

背景の青は、空と湖水が一体化している。最後にもう一度、琵琶湖を眺めて帰途に奮起する。

さらば、琵琶湖

北国街道

古い旅籠も残る長浜の町並みはあっという間に過ぎ、JR線に沿うとすぐ行き止まり。並行する県道556号線を快走する。国道8号線の旧道なのか、随所に古い建物が並ぶ。路肩は安定しないが意外と走りやすく、田村まで早かった。この辺で国道8号線を東へ跨ぐ。
北国街道は米原鳥居本宿で中山道と合流するが、その分岐点まで行くと遠回りになる。じつは先日から気になる道筋を地図上で見つけていた。脇往還なのかはよく分からない。山裾に沿って緩やかに東へ回り込んでいく小道で、長浜方面から醒ヶ井への近道になる。顔戸地区では狭い道の片側を水路が流れており癒される。情緒に流されて道を誤らないように気をつけながら、次第に国道21号線へ接近していく。米原ICの先で国道21号に入る。そして、番場宿と醒ヶ井宿の中間、樋口にて中山道へ合流。

中山道

今日まで中山道旧道は国道21号線と完全一致していて、車に散々煽られながら走るものだと思い込んできた。ときどきJR東海道線の車窓から並走する国道の交通量を見て、峠越えるだけでもきついのに中山道っていったってこの車に煽られながらじゃ大変だなと、敬遠してきた。今回実際に走ってみて驚いたのは、関ヶ原越え区間でも国道をはずれた旧道筋って結構残っているんだな、と。危ない目して路側帯を綱渡りするイメージはほぼ払しょくされたと言っていい。しかも旧道筋は国道と絡み合うように左右へ分岐するが、昨日の365号線や高速道路などのバイパスルートが発達したせいか、21号線自体の交通量は思ったほど多くなく信号ない箇所でもタイミング見て渡れる。昨日関ケ原町での21号線状況による回避判断は早計だったかも。

醒井宿

養鱒で知られる醒井(さめがい)宿は、水路(地蔵川)流れるオアシスのような町。

醒ヶ井宿

家族で訪れた養鱒場以外は初めての醒ヶ井。これまで歩いた数々の宿場の中でも一番涼しげ。

居醒(いさめ)の清水

道はしだいに緩やかな上り坂となる。国道と名神高速が犇めくような谷間なのに、旧道筋は殆ど国道と重ならない。

木立の中を上る旧中山道

建物の陰など終日陽のあたらない場所には、大量の残雪がある。先日名古屋でも寒かったから一雪降ったかもしれない。

柏原宿

北畠具行卿の墓入口を見つけたとき、「おっ」と思わず歓声。
jaike.hatenablog.jp
懐かしいところに着くとホッとする。近くに一里塚があり、間もなく柏原宿。

柏原宿の町並み

長浜(09:30)を出て最初の休憩(11:00)。昼は関ヶ原以東のつもり。

八幡神社より望む伊吹山

伊吹山も今回は見納め。

分水嶺

柏原宿からは一つ小さな峠を上ったところにある。上述の10年前の散策では寝物語の里を目指そうとして断念したらしい。どの辺まで歩いてきたんだろうな、と思い返しながら走る。また、隣の今須宿も近いと思って歩いた記憶がある。実際はこの峠を下りきって国道を越えた先で、結構距離がある。

今須宿

宿場の中心地を見出すのに苦労した。JR東海道線沿線で唯一駅から離れた宿場だけに、閑静な集落としてよく残っている。

今須宿の町並み

この先がいよいよ関ヶ原最大の難所、今須峠

国道21号線の今須峠と、路傍の一里塚

旧道はここにもちゃんと側道で残されており、国道ほど急勾配を登らずに済む。

中山道今須峠

真下をJR線のトンネルが走っており、急坂を下ると踏切。車窓を思い返し、ここが峠だったのかと。同じルートでも交通手段によってこんな見方が変わるのか。

不破関

今須峠と関ヶ原宿との間にやや深めな谷があり、その見通しの良い地形を利用したのが「三関」の一つ、不破関*2。あまり聞き馴染みがないのは、江戸時代の街道に設けられた箱根や新居のような関所ではなく、もっと古代のものだからだ。不破関は、壬申の乱(672年)の翌年に設置された。壬申の乱では「不破の道」が封じられ、この辺りが激戦地となっている。この当時の関所には、東国の敵侵入を防ぐよりも都での内乱や非常事態が東国へ波及するのを防ぐ役割があったとされている(不破関資料館解説より)。資料館ではほかに壬申の乱勃発の経緯や大海人皇子(のちの天武天皇)を中心とする利害関係が詳説されている。西は崖を背にしているが、他三方には土塁が築かれていたことが発掘調査で分かっている。

不破関跡から望む京方面(今来た道)
関ヶ原宿

本旅の中山道で唯一、現在の国道上に宿場町がある関ヶ原宿。昨日はあまり気づかなかったが、喧騒な沿道にも結構町屋などが残っている。

関ヶ原宿の町並み(脇本陣跡と関ヶ原醸造

不破関跡を頂点として東へ本格的な下りがなだらかに続く。宿場を出ると合戦の東軍陣営跡が点在。また、綺麗な松並木が残る。

関ヶ原宿の松並木

ちょうど東海道線も直近並行しており、絶好の撮り鉄スポット。

垂井宿
垂井一里塚

この一里塚付近を以て、中山道は一旦国道21号線と大きく別れ、JR線も北へ跨ぐ。ホント今まで東海道線を数知れず利用しながら、中山道がJR線のどちら側を通り宿場町がどこにあるのか、全然知らなかった。

垂井宿の町並み

関ヶ原から垂井の間で昼休憩とるつもりだったが目ぼしい飲食店もなく、垂井宿近くのスーパーでおにぎり買って相川橋のたもとで昼飯(13:30)。橋の上流側に沢山の鯉のぼりがたなびいている。本旅の中山道はこれにて終了。

美濃路

東海道(宮宿)と中山道を結ぶ脇往還尾張北西部や羽島、大垣を突っ切るようにしてほぼ真っすぐに結んでいる。大垣から走る予定だった西濃チャリン行より割譲した。なかなか情報のない美濃路の道筋については、以下のページを参照。
美濃路 | 旧街道地図・高低図
ただし中山道ほど正確さにはこだわらず、分かりやすい主要道を選んで走る。
中山道との分岐をきっちりけじめつけたい美濃路追分だったのに、ちょうど碑の前が工事中で記念にできなかった。迂回路から始まる美濃路の旅は、岐阜県道31号線(国道21号旧道)を大垣市中心部まで激走する。地図見る必要もなく、スマホを充電して温存。

大垣宿

大垣宿は美濃路の宿場。中山道は垂井から大垣市街をバイパスして岐阜市へ向かう。

奥の細道むすびの地

芭蕉は江戸から奥州、北陸道を経て大垣を終着としているので、今日の私の行程と重なる。水門川を覆う桜は見ごろにはまだ早い。

大垣宿本陣跡

枡形の痕跡をふくむ旧道筋を丁寧にくねくねと辿っていたら、すっかり気疲れした。このまま伝ってもどうせ揖斐川で行き詰るので、貴船でいったん切り上げ県道31号線に戻って墨俣まですっ飛ばす。

墨俣一夜城

やや古びた「墨俣」アーチをくぐり北進すると、ふたたび美濃路に合流し墨俣宿。短いながらも宿場の面影あり。

墨俣宿脇本陣

さて、昨日のお千代保稲荷とともに三川一帯で一度訪れたいと思っていた、墨俣城。信長の稲葉山城攻略に際し秀吉に短期間で造らせた城として有名である。

犀川(太閤出世橋)越しにみる墨俣城

天守内の歴史資料館を見学。今まで「墨俣一夜城」とは一夜(あるいはそれに匹敵する短期間)で石垣や天守などの城郭が築かれたもの、と想像してきた。しかし実際の築城はおもに堀と柵の設置であり、急造間に合わせの砦だったのだ。幕などで城に見せかける工夫もあったという。しかも昼間は襲来する敵との応戦に追われ、専ら夜に築かれたため昨日なかった構造物が翌朝に出現していることから「一夜城」の異名を取ったとされる。

墨俣城からの眺め(北と南)

今でこそ河道は整えられているが、築城当時は墨俣ふくめ中洲が入り乱れる土地。しかし秀吉は水運を利用して木材を確保するなど、地形を巧みに利用した。

出世の泉と、白鬚神社

豊臣秀吉を祀る豊国神社も境内に建立。模擬天守閣を再度仰いであとにする。

墨俣一夜城(再建)
墨俣~清須

墨俣から清須までの間に起、萩原、稲葉の3つの宿場があるのにこんな端折った書き方になったのは、墨俣を発つとき既に16時、帰り道を急がねばならないからだ。日没までにある程度見知った辺りまで辿り着かねば、疲労を抱えながら覚束ない夜道を走る羽目になる。しかし、この宿場に立ち止まれない残念さからか、せめて旧道筋くらいは正確に辿りたいという余計な欲が出る。数分走るたびに地図を見るという無駄な挙動が、一層気力を蝕み時間を嵩ませていった。
まず長良大橋を渡り、境川堤防を走る。こんな川っぷちが街道か、と思うも傍らの一里塚がその証し。県道151号線は美濃路のまま渡りにくく、南に迂回するとさらに複雑な横断歩道で厄介だった。ちなみにこの辺りは墨俣と起の中間に間の宿が設けられたところ。正月に乗ったばかりの竹鼻線を須賀でクロス。
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17時、片側一車線で詰まり気味の濃尾大橋を渡河。愛知県内に入ると、概ね県道136号一宮清須線を辿る格好になる。ただ県道とは称するものの結構美濃路に忠実に設けられているため、枡形か区画整理のあとか不規則に折れ曲がる箇所が目立ち、県道標識のない交差点も多く悩まされる。
木曽川の堤防をストンと下ったところが、起(おこし)宿。かつて一宮駅からこの近くまで、名鉄起線が延びていた。思わず、おッ...と吐息が漏れるほどの趣ある町並みが残っている。町の中ほどには尾西歴史民俗資料館がある。ゆっくり見物できないのが惜しい。
トイレ休止した富田一里塚ではまだ夕陽も明るく、気持ちに多少余裕があった。もっと街中に埋もれた感じの街道を想像してきたから、一里塚がしっかり原形をとどめているのは意外だった。ごく普通の住宅地の中を走りながら、辿るほどにくっきりと浮かび上がってくる美濃路の姿に、これが愛知県なのかと不思議な感覚になる。知らずに生活してたら絶対見えない一本の糸の上を、全く別の生き物のように綱渡りしている気分だ。
「神社で右折し、寺で左折する」が宿場入口の印象の、萩原宿。宿場町というよりは、昭和の香り漂う古い商店街が長く連なっている。先日名鉄尾西線の車窓からチラと見た駅前商店街とは別の通り。美濃路とはまた違った意味で別世界だね。
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今回走った美濃路で最も宿場の面影に乏しかったのが、稲葉宿。逆への字に緩く曲がったところが該当する町らしいのだが、まぁ地元の瀬戸街道と大差ないくらいだった。史跡の立て札とかなかったら気づかない。されども、この稲葉宿こそが現在の稲沢市の核となる町であり、宿場を構成する葉と小の2村が明治8年に合併して稲沢村となったそうな。現在の稲沢市というと有名な国府宮や造成開発中のJR稲沢駅周辺を思い浮かべがちだが、旧市街はこっち。
そうこうするうちに日は沈み、国府宮一之鳥居付近ですっかり真っ暗になってしまった。幸い程なくして見覚えある道(名鉄奥田駅につながる、北勢チャリン行の帰り道)に出て安堵する。JR東海道線の踏切では超低速の貨物列車ふくむ3本くらい通過待ちし、げんなり。暗闇でもありありと風情が感じられる清須宿界隈も、右側を危なっかしく走行する児童の自転車にハラハラ。そうして、昨朝感嘆した「見事な町屋」のところに出て、やはり清須宿の端っこだったか、と納得。
あとは概ね国道302号線と絡み合いながら帰宅。清洲ジャンクション直下の歩道って全部地下道だと思ってたけど、近年改修したのか一部歩道橋だった。長浜を出発して正味10時間半、昨日の関ヶ原ほどまとまった休憩をとらず小刻みだった分、走行時間もトータルもやや嵩んでいる。帰り着いてしまうと途端に疲れが粗方吹き飛んでしまい、荷物を置くや馴染みの居酒屋で打ち上げ。この二日間陽射しに晒された印象はないが、気付かぬうちに顔と手の甲がうっすら日焼けしてヒリヒリ。

おわりに

概ね東海道を往来した過去2回のチャリン行と違い、街道を辿るのは今日1回こっきりなので風情を楽しみつつも初めての道を急がねばならず、読めない時間の中で沿道風景撮影には精いっぱい努力したつもりだ。昨日と一転して逆風はなく追い風にも近かったので進度は快調だったが、時折不可解な道筋探しと主に宿駅ごとの撮影でリズムを崩し、しだいに疲労がかさんだように思う。それを見越した早出は必要だったね。
西濃チャリン行から美濃路を割譲した代わりに、垂井~鵜沼を取り付けて近辺中山道走破を果たしたい。また今回時間の都合でゆっくり見物できなかった美濃路の各宿場町(とくに起や萩原)を個別に訪れたいね。関ヶ原越え達成は大きな自信になると同時に、今後西北方面を走るうえで中山道旧道と美濃路の把握は大いに役立つと思われる。

復路実質走行距離:93.59㎞(距離測定マップにてルートを正確に測定)
往復総距離:181.21㎞(同)

*1:工事による片側交互通行区間の終わりが深田駅跡、国道に懲りて入った県道(ビッグブレスの道)が近江長岡駅への貨物線跡らしい。そうと知って走ったらもっと楽しめたのに

*2:のこり2つは鈴鹿関と愛発関