南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

Peach航空でゆく1day 台北

jaike.hatenablog.jp
友人の帰郷に同行するつもりのフィリピンも、漠然と南部を目論んでいた台湾も、うだうだ先送りしているうちに年末年始のエアチケットはすっかり値上がりしてしまった。あぁあ、30代最後の海外渡航チャンスも潰えたか、と嘆息。そのとき、ふと閃いた。名古屋(中部)-台北(桃園)のPeach Aviation深夜・未明便を活用すれば、週末に日帰りできるんじゃね? 金曜深夜に台北へ飛んで(名古屋22:55-台北翌01:35)土曜一日遊び、日曜未明(台北02:45-名古屋06:35)のフライトで帰国する。疲れてもまだ日曜一日休める。夜行バスでTDRUSJ一日遊びに行くような感覚で台湾行けちゃうぞ。もともと週末2日間の海外旅行(たとえば釜山や上海)は一度やってみたいと思ってた。夜行フライトで1日滞在なら宿泊費も浮く。アイディア自体は自分で思いついたけど、Peachでも平日限定でキャンペーンをやっている。格安に加えて、燃料サーチャージカットは悔しいなぁ。
www.flypeach.com
コロナ禍で海外渡航に飢えてる。解禁を来年まで待てない。ちょっと国外の空気を吸うだけでも1日の価値はある。日本国内も楽しいけど、そろそろ緊張感のある旅行がしたい。今使ってるiPhone 6s、OSやバッテリーの寿命的に今冬を最期と考えてるけど、これまで使った携帯電話・スマホで唯一海外未経験。何とかチャンスを与えたい。また、日本の年末年始に台湾の旧正月と混雑期が迫り、過ぎれば瞬く間に春先となる。今この好機を逃せぬと、ウズウズ高揚を抑えきれず。11月で一番安い週末を見極め、仕事の土曜休を確信してから予約した*1。搭乗1週間前の直近確保は、前例あるだろうか。
さて、貴重な25時間をどう使うか。まずは一番行きたかった台南を新幹線で往来しよう、と意気込んだ。台北から片道1時間半と、決して不可能な条件ではない。ただ高速鉄道の台南駅と市街地は離れており、観光に至便とはいえない。また、せっかく南部へ行くなら嘉義や高雄を置き去りにはできない。南部はまた改めて、できれば高雄入国でやりたい。18年前は基隆・九份・淡水・平溪といった台北の北東部を粗方訪れたので、今回は桃園空港にも近い台北の西側を楽しもうかなと。なかなか時間も限られるけど、前回を懐かしめるところにも再訪したい。
実家に眠っていたガイドブックと、残金21NT$を回収してきた。使う日が来るとはね。現在のレートは概ね、1NT$=5円ほど。事前に分かる交通費や観光費を推計し、日本円1万余で2000NT$程度を両替してく。中国大陸ほど著しい物価変動はなさそうとみた。また大陸で普及しているキャッシュレス決済は、台湾では日本ほども進んでいないと伝わる。現金主義旅行者には幸い。
いろいろとブランクの開いた中で、超短期の海外旅行。一日という限られた時間を高テンション維持できるかも問われる。

(注:フライト時間等は前後の日を跨いでいますが、”一日”を強調したいので全行程を当記事に集約します)

出国(10日~)

21時の特急中部国際空港行きは常滑までで退勤客が殆ど降りてしまい、空港へはごく僅かという見慣れぬ光景。
jaike.hatenablog.jp
4年3カ月ぶりの日本出国、ついに解禁や!
搭乗ゲート前に集まる人々は日本人と台湾人が半々で、日本人には大学生くらいの若者が多い。台湾は渡航制限解除を昨年9月末より実施しており、とっくに従前へと回復しているようだ。短時間を十分に寝るため小腹を埋めておく。
両側3席のA320通路席、狭い機内はもう慣れたもの。背靠れが鼻先に迫るセブパシフィックよかマシ。隣席のご夫婦が、消灯後も読書灯つけて観光地談義していたのには閉口*2。到着後にホテルへレイトインされる方々は平気だろうけど、こっちの貴重な睡眠時間を妨げるな。

桃園國際機場

18年前は、中正(CKS)国際空港だった。蒋介石の名を外し、中国大陸に倣って立地する地名を冠する呼称に。台北都市圏の行政区画も変わり、台北市基隆市を除く台北縣は、「新しい台北」を意味する新北市に改編された。前回訪れた平溪や淡水も、新北市の区の一つになった。中国で县が区や县级市に昇格するような感覚か。
とうとうワクチン未接種の俺様が、異国の土を踏んだぞ!まさに解禁や!
近隣アジア諸国からのLCC便は深夜到着が多い。台湾入境審査場は、外国人の長蛇の列。日本人のほか、フィリピン人と韓国人の姿が目立った。長蛇の列は、速く捌くために審査が甘くなる、と内心ほくそ笑む。この待ち時間に、ソフトバンク海外あんしん定額1日分を開通(”中華電信”のキャリア表示に感動)。はじめ窓口一つで応対していたのが、なし崩しに一つ二つと増やし始める。今回は0泊予定のため、入国カードにホテル名を記入できない。以前上海で係員に指示された荒業の、自分の電話番号を書いて提出。さすがに指摘されたので、念のため(Eチケット代わりに)出力しておいたPeachの予約確認書を提示して事なきを得た。
銀行の両替窓口に列が見えたので、手荷物受取場に設置された自動両替機でNT$を入手。日本語音声にして手順に従えば、割と簡単。11,000円で2,248NT$。小銭確認と財布の入替は、トイレの個室で行うのが安全。これで準備万端。

桃園國際機場第一航廈バスターミナルにて

5時までのんびり探索すればいいバスターミナルは、地下1階に難なく見つかり、発着まで充電しながら時間つぶし。統聯客運の窓口には常時係員が券売しており、台北駅行きなのか深夜でも思ったより頻繁に発着がある。待合場には、東南アジア系外国人がベンチに眠るなどして陣取っている。同フロアのファミマを覗くと、おでんやチキンのセルフサービスが懐かしい匂いを漂わせている。若干パッケージは異なるが、内容の半分ほどは日本のコンビニと変わらない。レンチンするパスタやサンドイッチなどの商品があるのは、正直驚き。台湾特有の品を探すほうが難しい。キャッシュレス化は日本と同程度で、現金払いも五分はおる感じ。
ちなみに18年前の中正空港の記憶は全くない。当時は台北車站までバス以外に手段がなく、入境後すぐ國光客運バスに乗り台北へ向かったはず。現在は桃園機場捷運という、空港連絡鉄道が開業している。

新竹

2006年の台湾旅では、前年夏に北海道で出会い交流していた呉さんが兵役の春節休暇に台北を案内してくれ、不慣れな海外一人旅の中で2日間の安心感と心強さを味わった。その呉さんの郷里が、新竹だった。私が台湾東部(花蓮、宜蘭など)周遊から台北に戻った日、呉さんは兵役休暇に入るとすぐ新竹から車で駆けつけ再会するやいなや、台北の馴染みの夜市へと連れ出してくれたのだ。
jaike.hatenablog.jp
たった一日の滞在で台北からどれだけ離れられるか、も焦点の一つ。桃園機場から新竹へは、日豪客運というバス会社が所要1時間余で運行している。通常1,2時間間隔で24時間往来しているのだが、コロナ禍?で一日2往復にまで減便されていたのを先月通常ダイヤに戻したばかり(なぜか”増便”)。その増便期間を今月末まで延長すると公告されたため、いつ減便するか知れぬと決行を急いだ。
日豪汽車客運股份有限公司 - 路線及班次表
03:00発でも乗れたが所要時間を考えて見送り、05:00発を選ぶ。バスは10分ほど遅れてやってきた。乗車時に運賃150NT$(一律)を払い、運転手に降車地を聞かれる。轉運站の発音が危うかったので、「终点站」と言ってOKをもらった。第1ターミナルでの乗客は3名、第2で乗車はなく新竹轉運站までそのまま運行した。週末でこりゃ減便だな。桃園機場から新竹まで夜明けの高速道路をひた走る。前回は台北駅へのエアポートバスを除き、旅の移動を殆ど鉄道に依拠したので、台湾の高速バス網を利用するのはこれが初。競合が激しく、バスも豪華だと聞く。真っ暗な車中でいつしか眠りこけ、途中降車の有無を尋ねるアナウンスで醒めると新竹市中を走っていた。清華大学の指示板が見えた。遅発をものともせず、きっかり1時間で到着。

新竹轉運站

身の危険を感じる地下通路*3をくぐって、新竹駅前広場。

新竹火車

日本統治時代に建てられた、バロック建築ゴシック建築の織り交ぜられた洋風駅舎。台湾に現存する最古の駅舎で、国定古蹟に指定されている。内部も真っ白な壁面に装飾窓を残しつつ、自動改札機や券売機などが設置されている。
新竹はウォーミングアップ。久々な台湾の空気を吸いながら、街をぷらぷら足慣らし。新竹は、宜蘭と同じくらいの町規模と思った。斜めの道が多く、入念に地図見てもいざ歩くとスグ迷子になる。土曜の朝はまだ、ファミリーマートと朝飯屋がぽつぽつ開いている程度。ある店頭に肉圓を見つけ、呉さんたちと九份で食べたとき新竹名物だと教えてくれたっけ。ほかに新竹は、米粉が有名だそうだ。

竹塹城迎曦門

竹塹城は新竹の老城、その城門で唯一残る、迎曦門(東門)。日本統治時代の「市区改正」により城壁や城門の多くが撤去され、東門だけが免れた。堀(護城河)は親水公園に整備された。

船首石

景観工事の際に偶然発見されたという、城門前の堀に架かっていた橋の土台。清代、日本統治時代、民国時代と3つの時期のものが積み重なっているそうだ。

元亨宮

早朝の観光は日本も台湾も同じ、寺社(寺廟)巡り。台湾の寺廟は早朝4時・5時から開門し、敬虔な信者たちが線香を上げに訪れる。

新竹関帝廟

三国演義で有名な関羽様を祀る、關帝廟。シャッター音がたたないとはいえ、熱心な礼拝者の傍らで撮影に拘るのは憚りあり。肝心な黒髭の関羽像が奥に小さく写ったのは残念。

有名な赤兎馬と、文昌帝君
新竹武聖廟

町の中心部、屋台市場の懐に鎮座する、新竹城隍廟。朝飯の営業始める屋台の隙間を縫って参る。

城隍廟

廟内には、黒面の異形な像が目立つのは何故なのか。

彌勒佛(法蓮寺)

寺が並立しているとは気づかなかった。廟内に不気味な面相が多かったので、柔和な仏様にいくらか癒された。

新竹市政府庁舎

日本統治時代の新竹州庁舎を戦後に接収して使用している。赤レンガ造りは東京駅を見ているよう。やはり国定古蹟。

空腹が極まったので、道端で油条を買って食べたら元気になった。1条17元と思って2つ求めたら4本くれた。油条と豆浆は中華圏のベーシックの朝飯(この後コンビニで粟粒入り豆浆を買う)。
城隍廟広場に戻ってきて油条食べてたら、中山路のほうから伝統音楽とけたたましい爆竹音が響いてきて、猩々みたいな大人形を3体率いた行列がやってきた。関係者が俄かに交通制限して、行列は屋台街の中へ。城隍廟の祭事らしかった。道路上はぼんやり眺めているも、折角の機会だと慌てて廟へ。
www.youtube.com
爆竹音を伝えたかったのと、後から静止画を抽出すればいいと動画にした。新竹都城隍廟を調べても何の祭事か分からないが、思いがけず珍しいものを見られた。

予め區間電車の切符を買っておき、駅裏の竹蓮寺を探しに行く。ところが、先の轉運站ビル背後を鉄道線と勘違い(実際は右手)して方向感覚を誤り、南大路を右往左往して諦めた。代わりに、降車場進入直前に見かけた日本風家屋を確かめる。

下竹町-南大路日式警察宿舎

こちらはカフェを営む建物。100mほど西にも同じ造りのものがあり、文化紀念館となっているようだ。付近のバス停も「警察宿舎」。日本統治時代の1917〜21(大正6〜10)年ごろに建設された警察宿舎、新竹州警務部部長官舎だという。絢爛な極彩色の寺廟と、こうした日治時代の建造物を随所に見られるのが台湾の魅力。

もはや日本のJR駅と錯覚しそうな新竹站構内

乗車する區間1162次は、当駅折り返しの始発電車。車内も明るく快適な乗り心地。惜しむらくは窓が高めで、座るとやや見上げ気味になる。

區間電車車内

鶯歌

焼き物の町としてガイドブックに載ってるのを、ずっと覚えてた。レンガ造りの町並みが美しいという三峡も路線バスで行けるとセットにするも、新竹が1時間ほど押したので割愛。
朝方曇天だったのが次第に晴れて行楽日和。桃園駅で若者を中心にどっと乗り込み視界が遮られ、次の鶯歌で降りられるか心配に。桃園と鶯歌の間は大きくS字に弯曲する。地形的に、もともと”鶯谷”だったのでは?
日本でも急増中の橋上駅で、やはり日本そっくり。次の台北行き列車の切符を購入〔列車情報:莒光510次、鶯歌14:02発-台北14:30着、指定席37NT$〕。
鳥瞰風の案内板には新北捷運の鶯歌車站と鶯歌老街の各駅が描かれているが、未開業で目下建設中。惑わされないように。その連絡通路となるであろう農會捷運通廊(延長線には新北市美術館)の脇道に古窯が遺されている。

烘爐窯

荒廃して崩れかかっていた工房を何とか修復し、外壁だけでも整えたもの。焼成したと思われる瓦が束で埋め込まれている。たしか常滑にもこんな雰囲気の小路があったような。煙突はちょっと望めなかった。
駅南口前の文化路を下ってゆくと、レンガ造りのアーケード風な建物が目につく。

成發居と、汪洋居

いずれも日本統治時代に財を成した実業家の旧宅。文化路は鉄道駅と、水運の発達した大漢渓とを結ぶ目抜き通りだったと思われ。現在は狭い歩道のついた往来の激しい道路で、落ち着いて眺められない。

セラミックタイルでモザイク風に表現された鶯歌

丘の上の陶器専門店街、鶯歌陶瓷老街へ着くと歩行者優先道路にホッとする。石畳の沿道に陶器屋さんが犇めいている。ある店頭の手頃そうなのを手にとってみたら、百均で買えそうだったのでやめた。

陶瓷老街(尖山埔路)

逛街してるうちに昼が近づいてくるも、飲食店は殆どない。小豆餅など小吃の屋台がチラホラ、希少な排骨飯の店にオープン早々長蛇の列。

鶯歌老街(重慶街)

雨でも楽しめる老街陶館のショッピングフロアを縫ったあと、2階の鶯歌甕仔麺へ行ったら古早味排骨飯が199NT$もしておったまげ。

重慶街と陶瓷街の丁字路に屋台が密集している。一通り覗き見したあと、碳烤臭豆腐を買う。思いきり辛くしてもらったので全然臭みを感じない。香菜すらアクセントにもならない。一見2串に見えるけど、豆腐2枚の間に野菜が挟まった1本だと気づく。汁気たっぷりで旨かった。屋台から独特の強烈な臭いを放つ臭豆腐は、中国大陸にも臭干子などの呼称で存在するが、日本ではまず食べられない。呉さん馴染みの店で初めて食べたときから抵抗なく、大好き。台湾特有のもの食べると、お腹以上に来た甲斐感じて元気出る。
空中回廊のような跨線橋を渡ってゆくと、新北市立鶯歌陶瓷博物館。入館料80NT$、新北市民は優恵を受けられるようだ。
鶯歌の焼き物の歴史と特長、台湾の製陶の歴史と、産業化への3つの転機(清代、日本統治時代、戦後)、少数民族と焼き物、そして現代さまざまな分野で活用されるセラミック技術など、台湾の陶瓷を多様な視点から展示している。とくに日本統治時代、鶯歌とは別の産地で常滑の技術者が寄与した記述には親近感を覚えた。近代化において、従来の陶磁器よりも土管や煉瓦といった建築資材の需要が高まり、量産から経済発展へ繋がるのは理解できる。

特徴的な蛇窯(一部)と、瓦を大量焼成する炉内(いずれも再現)

あらためて見直す、鶯歌街角の陶瓷たち。

陶神、駅の装飾

莒光號では座席指定したのに、目の前でポンと女性に座られてしまった。強いて指摘はせず、板橋でどっと降車すると適当な空席へ。リクライニング快適。

台北車站

ようやく18年前を思い出せる場所にやってきた。ホームに降り立った途端、あぁこんな感じだったわ、と記憶が甦った。莒光で進行方向が同じなのも、花蓮へ向かった当時を思い出させる。改札口まではまぁ似た感じだったが、コンコースはだいぶ様変わりして人出も増した。四角の中央と記憶している切符売り場も趣き変わった。時節柄、一角には大きなクリスマスツリーがそびえる。台北に来ると、チラホラ日本人の姿も。

台北車站

うん、この光景は素直に懐かしい。ちょうど対面に位置するビルの台北ユースホステルに5連泊した、拠点。地球村(呉さんが日本語を学んでいた学校)も見える。長い年月を経てテナントも変わってると思うけど、新光三越は健在らしい。
コンコースの台鐵便當売店に、100NT$の排骨飯がたくさん残ってたので堪らず購入。メシには変な時間(15時)だけど、広場でがつがつ頬張る。

台鐵便當(排骨飯)

フタしたまま撮ったのはミス。排骨飯の特長、甘辛の骨付き肉が旨い。本旅で一番栄養価のある食事。

北投温泉

前回は10日間の滞在で温泉地を2ヵ所訪れた。今回も一日だけど温泉行こうと目をつけたのが、北投温泉。おそらく陽明山と同じ泉源だと思う。台北駅から地下鉄で約30分。排骨飯は入浴前の腹拵え。
台北捷運(MRT)も10数年のうちに路線延伸と同時に再編が進み、淡水線は淡水信義線と改称した。そして、運賃別使い回し磁気カードだった切符は、トークンに変わった。紫色のトークンは广州と同じか。中国大陸ふくめ南方はトークン採用しがち。
北投で乗り換える新北投支線の列車は、狭軌かのように車両が一回り小さく感じるのは気のせいか。温泉をモチーフにした内装が施されている。新北投までの1駅分を徐行(約4分)するのは、きついカーブが沿線住宅への騒音をもたらすからか。
北投温泉は、谷筋の両側に温泉旅館やホテルが建ち並ぶリゾート地。川は北投公園(親水公園)の中を密やかに流れている。地下鉄駅から右岸(中山路)を脇目もふらず一心に登っていく。まぁ、温泉拉麺だけはちょっと気になった。
今回は覗くヒマない温泉博物館を横目に左岸へ渡ると、日帰り入浴施設瀧乃湯浴室。日本の湯治場の趣を残す、新北投最古の共同浴場。台湾では数少ない裸入浴も選んだ理由の一つ。この浴場、午前・午後・夜の3部に分かれ、合間に1時間ずつ閉店する。午後の部は17時で一旦閉まり、16時が最終受付。そのギリギリ滑り込み。門前掲示に「已满」の文字を見つけギョッとなるも、それは貸切(個室)風呂の予約。全くの16時きっかりで今入れるか分からず受付で言葉に窮し、すっかり外国人扱いしてもらった(笑)。入浴料150NT$は約750円、ちょうどスーパー銭湯料金に匹敵。下駄箱から裸足、通路のように狭い脱衣所で木製ロッカーに南京錠をかけ、どうせ洗えないのでタオルも持たず浴場へ。
大きめの銭湯のような湯船がポカーンと設えてある。温度は45.6度と表示され、熱め。長くは浸かれないで半身浴したり、長辺に沿って設けられた長椅子で冷ましたりする。浸かりながら顔を上げると、高い天井に年季の入った梁が見える。洗い清めるでもなく、ただ湯浴みするだけでも身体がほぐれ随分癒される。

瀧乃湯と、北投公園


普段の癖で、風呂上りにはつい発泡酒がほしくなる。台湾のコンビニでも淡麗やスーパードライ、ほろよいさえ買える。でも、KIRINラベルのついたBar BEERだけは日本でも見たことない。その場で調べたら、台湾オリジナルブランドだそうだ。即購入(32NT$)し、北投公園の暗がりで嗜む。異国にいるのを暫し忘れそうになる。

精巧な天燈でつくられた"みきゃん"

ところで、台北捷運新北投支線に転換される以前、台湾鉄路管理局の新北投線が敷かれていた。もとは、日本統治時代に開発された北投温泉へ療治する負傷兵を運ぶ鉄道だったらしい。捷運駅の隣に、初代駅舎とプラットホーム、廃止前に運行していた客車が静態保存されている。

日本製客車と、新北投初代駅舎

駅舎内を見れなかったのは可惜。駅前の手湯も当時あったのかな。

士林夜市

折角だから、帰り際に士林夜市を冷かしてこう。すっかり年月が経ち、士林夜市の最寄り駅は士林でなく剣潭なのを失念してた。士林駅にも観光客の姿が目立つのは、故宮博物院へのバス乗換駅だからだ。また乗り直すのも煩わしく、1kmほど歩いて向かう。
士林の繁華街にさしかかった時、さほど人通りなく、台北最大級の夜市もついに寂れたか、と思った瞬間、人波に呑まれて一気に押し流された。

士林夜市

私はたまたま人波を撮りたかったのだけど、この場所はちょうど士林萌虎という名所で人々の視線は私の背後に向けられている。十字路の北東角に位置する建物のスクリーンに、カワイイ虎ちゃんのアニメーションが流れる。一応チラッとは見たものの、そんな名所だとは知らなかった。空港以外では士林が一番日本人だらけだった。欧米系や韓国人よりもずっと多く、殆どが大学生か留学生だろう。
今回の台湾旅では、葱油餅の店をよく見かける。チラと覗き見ればチヂミっぽい。また臭豆腐も随所に出て、臭気がそこらじゅうに立ち込める。逆に、前回気に入ったタコス巻きの潤餅が全然見当たらない。ヤシの実ジュースは季節柄諦めるけど、潤餅は結構楽しみにしてきたので残念。小吃にも流行り廃りがあるんだろうね。士林夜市は基本、狭い路地や歩道上に出ている店が多く、屋台に併設する飲食スペースは殆どない。立ち食い、歩き食いするか、近くの公園へ脱して屯して食べる。凉菜や炒菜を頼んで飲み食いするような开封の夜市とは違う。博多の屋台街みたく、カウンターをちょっとつけたラーメン屋はあるね。小1時間ほど、ぐるぐると一帯を歩き回って腹すいたので手工煎餃(15顆)を買って近くで食べる。たこ焼きサイズの一口餃子に甘めのタレが絡んで美味く、次々と平らげる。手軽に晩飯。

手工煎餃

帰国(~12日)

新光三越地下1階の銘品店で台湾土産の定番、鳳梨酥(パイナップルケーキ)を購入。前回これを買いそびれて以来ずっと悔やんでたんだ。ファミマでもスーパーでも売ってるけれど、1個の単価が高かったり包装が土産らしくなかったりする。5個入り250NT$を2箱買ったら、1個サービスにつけてくれた。前回この銘品店街では高山茶を買ったな。21時過ぎと遅いせいか、客の姿はほとんどない。
jaike.hatenablog.jp

さらば、台北車站

22時、桃園機場捷運直達車で空港へ。台北駅では直達車と普通車で改札ゲートが分かれているが、決して複々線でも運賃が異なるわけでもない。偶々直達車の発車時刻に合っただけ。適切な時間に無事空港へ戻ることができて、満足感と安堵感。台北西郊の夜景がきれいだ。
出発ロビーのベンチは満席で、居場所求めて一周すると到着ロビーと繋がって構造が分かり、結局未明に居たばかりのバスターミナル充電ポートに佇む。0時ごろチェックインカウンターに赴くと、既に受付開始で長蛇の列。今朝見た顔ぶれもあり、25時間滞在みんなやってんだな。台北での出国審査も日本と同じく自動化ゲートであっさり通過。搭乗ウィング末端の半円形の広々したホールで待機。士林の煎餃から小腹がすき、自販機でスナック菓子を買うと小銭をきれいに使い果たした。Peachスタッフの機内誘導アナウンスがイマイチ不案内で、置いてかれまいと適当に並んだ。眠気もあるせいか、ランプバス車中は寒かった。帰国便の飛行時間は大抵往路より短く、予定よりも早めに着く。多少揺れはあったが仮眠は摂れたほう。着陸降下時、皆が安静にしている中で添乗員の私語らしきボソボソ声が耳についた。現在の名古屋の気温は11℃?とアナウンスされ、薄着しか持っておらず唖然とした。
朝6時、中部国際空港着。かつて計4回の出入国スタンプはついに、台湾入国の1度きりしか押されなかった。ビザ取得しなけりゃ、パスポートの空白ページは今後無用となるだろう。早朝の外貨両替は難しく、トラベレックスは早くて7時にしか開かない。NT$紙幣両替済まさな帰れん、とファミマ脇の外貨両替機を使う。残金600NT$は2440円と算出された。06:51に乗車した特急新鵜沼行きは、本日開催される岐阜基地航空祭 2023のため三柿野まで延長運転、記念系統板を掲出していたと後で知る。西区内でなか卯朝定食やコメダのモーニングを摂ったのち、昼前に帰宅し翌朝まで殆どぶっ通しで爆睡。日曜一日余裕もって正解だった。
コロナ禍による海外渇望は、奇策でようやく叶えられた。夜行フライト往来はスタミナに障るけど、密の濃い一日を味わえるのでもう一二回やろうかなと。久しぶりに台湾見直したから、ちょくちょく通って馴染みの場所をつくるのも良い。

一日の旅程マップ(台北市中は省略)

*1:3日の時点では残り9席だったのに、4日になって僅か1席で価格も2000円上昇したのは癪

*2:前回まだ台北101が建設中だったとか話しているのを聞き、俺より昔じゃん、と。俺は完成したての台北101に登っているからね

*3:壁沿いにホームレスがずらりと横たわる。詳細は約18年ぶりの台湾 - 南蛇井総本氣参照