南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

再考してヒネリを入れる

Nanjai2004-06-25
 昨日の記事を書いて1時間ほどで、かなり後悔したので、もう少し書いておく。
 31年ぶりに国葬となった元大統領レーガン。その功績は、アメリカのあるべき道を描いたのだと、先稿で評した。ところがその彼の棺は、映像によれば、アメリカ国旗で包まれている。これを見たとき、筆者は違和感を覚えた。
 今、治安の回復と新安定政府の樹立が急がれるイラクで、戦闘や治安維持活動によって亡くなった米軍兵士は、すべて米国旗に包まれた棺で帰国した。相手国の兵士が何人死んだかではなく、自国の兵士死亡数を何人に留めたかを重視する米国の戦争。希少な死亡兵は英雄だ。自由と民主主義のために、ブッシュの一味の手先となった英雄は、歴史的なアメリカの意味を持ち得ているだろうか。自由と民主主義をもち得ない民族は野蛮人、とインディアンやアボリジニーに対して西欧人がやったように、バッタバッタと切り倒す楽しみを味わいに行ったのではないか。
 もちろんアメリカの志願兵事情については、近現代史の講義で、「義務教育ではないが無料で行ける高校は出ており、大学に進学したいがお金がないため、軍に入る者が多い。兵務を終えると大学への奨学金が出るためであるが、なぜそこまでして大学に行くのかというと、そうしなければ就職できないからである。そして一般に白人よりも黒人が多い」と聞いている。グラフまで見たので信用していいと思う。
 しかしながら、ブッシュ現大統領をはじめとする一連の戦争参加連中と同様に、国旗包装で埋葬するのは、あまりにも彼の功績をアメリカの悪質文化と同一視しているようで、受け入れられるものではない。同じ共和党の人間であっても、敵対する相手をどう扱うか、どう認めるかをめぐっては、明らかに異なる。時期が時期であるだけに、棺の扱いを考慮していただきたい。
結:故レーガン米帝の一兵卒にあらず。【2004/06/09/PM】