なんかタイトルに書いてみて気付いたんだけど、ずいいちという言葉がある。唯一とか、とにかく希少性を表す(気性が荒いとかじゃなくて)単語のように思える。ところが、これをタイピングしてみたところ、「ずい」だけが平仮名で放置され、「いち」が《位置》と出やがった。ズイの正しいほう(すなわち「随」)が分からなかった南蛇井教官は、直感で中国4千年の歴史に残る魏晋南北朝より後で唐の前に栄えた王朝(んなことは、はてなさんでリンクしてくださるかな?)隋の字を用いて、当代隋一の帝王と称したわけだが、ちょっと捻るならば、唐代隋一などとやると、唐なのか隋なのかわからなくて中々イケる。尤も初めは東大隋一というのが案だったんだけど、東大の帝王じゃスケールがみみっちい。昔俺の小学生時代に、卒業文集に「将来は東大の学長になる」とやら抜かしたのがあったが、学長になったところでソニーや東芝を買収できるわけでもないし、全学生を学徒動員して、対米牛肉防衛戦線を築けるわけでもないんだから、たいした権力でもなかろう。兎にも角にも、南蛇井国家主席はこの無知科学論をまくし立てるだけが能の輩とはいえ、こうした人間がこの世に掃いて捨てるほど居るとも思われんから、とりあえずオリジナリティーはNYの故WTCぐらい他を逸脱しているはずである。
それで少し真面目な話に入るけれども、先ず随一とは如何なる意味か?
(1)同類中での第一番。
「社内―の美食家」
(2)さきがけ。最初のもの。
「新恩の地大庄一所没収せらる。是れ又赤松が恨みを含む―也/太平記 39」
(出典:goo辞書)
なんと南蛇井閣下は、用法を誤った模様だ。それは当然だろう。無知科学論は、無知から始まって、一方的に論理を推し進めて強行突破を図って、最後に血と汗と涙と砂埃の結晶のような美しい結論を見出すためにあるのだから。斯くまで開き直らずとも、無知の形成する科学は偉大である。それは、単なる学問上の知識を応用するのではなく、見たまま感じたままを論理の中に構成するのであるから、如何にその人間が感受性豊かで既成事実に囚われず、一抹の法則性から広大な宇宙を出現させるかを問うものである。これは筆者の経験であるが、中学2年の頃、およそ3ヶ月くらいに渡ってたった数個のグラフを毎時間見せて、何か気付くことを述べよ、と問うた教員が居た。どんなわずかな些細な微妙な、学習塾狂や数学を嘗めてかかる数多の学生が敬遠し、見下し、あるいは時間の無駄だと訴えるような、そんな意見でも感心してメモする。俺はこの時間が非常に好きで、毎時間必ず一つの法則を見出して発言した。これこそが、今の俺の数々の研究(何一つ結末に至っていないのが悩み)の原点ともいえるべき事象であった。数学の試験はいつも焦って、5,6割しか正答できなかった南蛇井だが、この最も数学的で最も科学的な勉強が、将来の人生で最も活躍しておることは間違いない。そして、この無知科学論でも。
随というのは要するに、ただ一集団の中で飛びぬけているだけでなく、さらにその一集団を牽引するほどの逸品でなくてはならん。それが「唯一」などとの違いだ。南蛇井様は、この世で一匹しか居らんから、一集団にも属さない。従ってこの用法は適切ではない。しかしながら、この度は見てのとおり「隋一」なのだ。隋というのは、国としては魏晋南北朝の荒れた時代からふとして出現し、唐代の基礎的な領土を形成した。いわば、戦国の風雲児だったのかも知れぬ。尾張の織田信長は、部下である木下藤吉郎秀吉が築き上げる日本統一国家の足がかりとして、日本の腰元を纏め上げた。隋と信長は共通点があるように思える。尤も隋の創始者と唐の建国者に家系的つながりは無いと思われるが。当代の奇人を自称する南蛇井として、隋(信長)の字を配することは納得していただけると思う。以上。