南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

長篠城&湯谷温泉

土日連続好天の貴重な休日、一日ぷらっと出かける。鉄道の日(10月14日)には一足早いけど、行ける日を使わな勿体ない。といっても綿密な計画ではなくて温泉ノンビリしにいくだけ。新城・本長篠往復きっぷの僅か2駅分エリア外となる湯谷温泉を、キセルにならないよう上手に乗り越すチャレンジ、ぐらいかな。天竜峡、岡谷方面への普通列車は本数がごく僅かで、エリア境界の本長篠停車時間は電車により長短あって往復きっぷからの切替が難しい。青空フリーパスを使えば何のことはないのだが、後述するように名古屋~豊橋間の新幹線カルテットが使えない。非常に悩ましい境目のせいで、もう何年湯谷温泉から足が遠のいていることか。

往路

市バスの運行時刻が合わなくて、上小田井まではチャリ。中部国際空港行き準急へ駆け込み気味に乗車、この息切れが新幹線乗継時まで響いて、往復きっぷと新幹線変更券購入に全然頭が回らなかった。本来在来線利用のみの往復きっぷに行きだけ新幹線変更券を加えるのは、豊川稲荷参りで一度経験し味をしめている。
jaike.hatenablog.jp
豊橋で09:08発の飯田線に乗り継ぐには在来線なら所要50分の特快?に乗り、しかも豊橋駅で3分程度の接続。これに対し新幹線なら所要僅かに19分、接続も18分と余裕あり、何より家を発つのを随分遅くできる。変更券400円のコスパはでかい。ひかり638号、豊橋を発すると新横浜まで停まらないから往復きっぷ対象みたいだな。滅多に乗らない新幹線のシートに座りながら、新幹線車両がこんなに傾いで駅停車するのは中国ではあり得ないなと思った。主要駅の在来線ホームに並列させると外側のホームは大きく湾曲しがち。まぁそんな新幹線駅も他に東京くらいかと。安城の田園を眺めていると正にあっという間だった。こんな超特急がちょうど58年前に開通したのだよ。
名古屋~豊橋を僅か19分に対し、豊橋長篠城を1時間17分かけるという何とアンバランスな行程。頻繁に(計3,4回か)行き違い待ちを繰り返した。いちど快速電車とすれ違い、「ハイキング企画列車か?」と訝るも、快速みすずとは別の常設種別なのらしい。下地・船町だけでなく、三河や伊那地方の小駅もいくつか通過する。そ・れ・よ・り・も驚いたのが、交通系ICカードで豊川より先を乗ってくる輩の多いこと、多いこと。豊橋出発時から乗務員が再三アナウンスしてるにもかかわらず、各駅停車時にICカード処理を持ち込む客が後を絶たない。おそらくICに降車記録が残らないので降車証明を乗務員が発行して、後日最寄りのJR駅にてその乗車記録を一旦消去してから運賃を現金払いするんだろうな。もちろん現金請求可能な場合はその場でも払えるけど、どのみちICデータは消去処理しに行かないといけない。ちなみに前の降車記録がなくても次のIC利用を可能な交通機関とそうでないのがある(らしい)。
jaike.hatenablog.jp
ともかく、豊川より先はICエリア外だと再三通告しているのに、ワンマン運転士に多大な手間をかけさせ運行を滞らせている有様には嘆息。(私自身も本長篠か新城まで簡易IC改札機設置が進んでいるものとは思い込んでたがな)

長篠城

幾度も素通りしてきた長篠城を、今日初めて降り立つ。駅前の旧街道っぽい長閑な道を辿ってゆくと、長篠城址。長篠城址史跡保存館で、初めて「長篠の合戦」について理解した。資料館の展示による合戦の経緯解説がすごく分かりやすくて、すんなりと学べた。
そもそも長篠の戦いとは、遠州三河へ侵攻してきた武田軍と、織田・徳川連合軍との戦い。武田騎馬軍団を織田・徳川勢の鉄砲隊が迎え撃つ様で知られる主戦場は少し西の設楽原(したらがはら)だが、戦の発端はこの長篠城で起こった。武田信玄の死後、武田勢から徳川勢へ寝返った長篠城の奥平氏に対し武田勝頼率いる軍勢が包囲。籠城する奥平氏を激しく兵糧攻めする。このとき、奥平貞昌の命を受けた鳥居強右衛門(とりい すねえもん)がこの包囲網を果敢に破り豊川を泳いで下るなどして織田・徳川勢へ籠城を伝え援軍を呼ぶ。鳥居強右衛門は長篠に戻る途中で武田軍に捕らわれ磔刑に処されるも、果たして織田・徳川連合軍は奥平氏を援け設楽原に武田軍を討つのだ。
今まで鳥居駅ってどこかのお宮さんかと思ってたけど、この強右衛門の名に因むんだな。長篠城の豊川対岸(鳥居駅方面)に強右衛門墓所や磔死ノ趾などが残る。

長篠城の土塁と堀跡

ここ長篠城も豊川と宇連川分岐が分岐する地の利を活かし、強固な土塁を築いて武田軍の猛攻を凌いだ。宇連川対岸に連なる山々には武田勢が多く布陣した。

武田勢が布陣したという山々

本長篠

もと来た道を戻り長篠城駅を通り過ぎて、次の本長篠駅まで歩く。この旧街道っぽい道は、じつは望月街道と呼ばれる。望月喜平治という人が明治初期に、長篠から川合に至るまでの車道(当時は荷車)が必要だ、と私財を投じて開いた道だそうな。岩を穿ったトンネルや狭隘な箇所もあるが、現在でも飯田線沿いに川合まで続いているらしい。
現在本長篠駅簡易委託駅となり、時間帯限定できっぷを販売している。ここで本長篠湯谷温泉の往復を求める。帰りは乗ったまま乗車券を切り替える策だ。たぶん車内検札はなかろうから、2駅分やり過ごせば払わずに新城・本長篠往復きっぷへ移行してしまえそうだが不正には違いない。本長篠駅へは余裕で歩き着き駅舎に入ったところ、即岡谷行き電車が来た。当駅17分停車だったんだな。妙に急かされた気になってスグ乗車してしまう。せっかくだから豊川鉄道田口線跡をチラ見したかったな。
この岡谷行きは車掌が乗務しており、乗ると即検札される。停車時間でも十分きっぷ買ってこれるけど車内でも否応なく検められるので乗り越しには有難い。また全てのドアが乗降可能なのもメリット。

湯谷温泉

湯谷温泉駅

冒頭にも書いたけど、湯谷温泉何年ぶりだろうか。旧駅舎がなくなってから一度も訪れてない気がする。蛇池に残る確かな記録は、なんと15年前。
jaike.hatenablog.jp*1
旧駅舎跡地含め、旅館向けの広大な砂利敷き駐車場しかなくなった寂しすぎる湯谷温泉駅前。それでも特急伊那路は停まる。温泉街(旅館街)はまだまだ健在でそこそこ盛況。旅館街外れの温浴施設、鳳来ゆ~ゆ~ありいな。ここでたっぷり4時間ノンビリと過ごす。

宇連川畔の鳳来ゆ~ゆ~ありいな
透き通った川底の鮮やかな宇連川

現在の入湯料は620円、ワンコイン500円の記憶しかない。建物の造りやロッカーなどに老朽化が滲んできている。昼飯前の入浴は内湯のみをゆっくり浸かり、空腹増進。
館内レストラン「レストゆ~ゆ~」を初めて利用した。良心的な入浴料に比して、定食メニューはやや割高に感じられる。豚生姜焼き定食と生中を所望。

湯谷温泉の生姜焼き定食

軽いウォーキングと温泉のあとの、真昼のビールは旨いね。かための肉も味噌ダレが旨いし、ごはんにのせる味噌も旨い。五平餅もこのタレかな。腹ごなしとほろ酔い冷ましの休息は、如何せん湯上りの休憩処が広くないのと通路に散在するソファが限られるのとであまり落ち着けない。また山あいで通信も殆ど圏外。ついに投げ出して、露天風呂で半身浴しながら1時間もくつろぐ。うっすら黄色くなりかけた山々が綺麗。露天風呂を上がると全く涼めないので、早めにありいなを離れ鳳来の風にあたりながら近辺を散策。

宇連川風景

つくん、と形のいい三角形が際立つのは宇連山。さすがに鋭角じゃないけど95°~100°ぐらいじゃないか?
存分湯に浸かったせいか、駅で電車を待つ頃には眠気でぐったり。

帰途

三河東郷から三河一宮まではしたなく爆睡。三河一宮駅で行き違い電車が3分ほど遅れ、乗ってる豊橋行きも4分遅れの発車となる。せっかく東海道線特快に余裕ある接続(6分)の電車を選んだのに、工夫台無しかよと苛立つも遅延短縮に尽力してくれて3分以内に抑えられた。新幹線には及ばずとも力強く走る特快で名古屋に帰着。ウォーキングと温泉の比率が普段と真逆の休養重視の鉄道旅だったが、長篠の戦いをきちんと学習できたのは収穫。設楽原も近いうちに訪れたい。

*1:これ、留学で开封行く1週間前じゃん