豊橋往復きっぷ
新城・本長篠往復きっぷ
および新幹線変更券
二十年余お世話になりました!企画。
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感謝の意を込めて、今月どこかの週末で必ずやろうと思っていた。朝一と昼一のどちらが良いか迷ったが、土曜出勤がわりに早く引けたので昼一決行。どうせ締めくくりにするなら、名鉄のなごや特割2を引き続き使える豊橋往復よりも新城方面がよく、また今までで途中乗降の手薄な区間が好ましい。ということで、長篠・設楽原の合戦で激戦地となった設楽原古戦場の史跡めぐりへ。豊川~本長篠間のなかでも、ここ三河東郷は最も手薄だと感じる。青空フリーパスや青春18きっぷで訪れることは今後も可能だけれど、往復きっぷが故の手軽さや割安感では遠のく。

発売当初は近距離きっぷサイズ2枚組だった記憶がある。もともと、名古屋市内~豊橋(二川)・豊川間が先行登場して、本長篠までの拡大版は後出だった。なお昨年3月15日より、飯田線のTOICAエリアが豊川から本長篠まで拡大している。かなり長らく豊川限界が沁みついており、ICを提示して降車していく客に終始違和感。

勝楽寺(激戦地)
豊川に面し、最もひらけた場所。飯田線の線路や寺の境内でもまだ小高く、戦場を見渡したり陣頭指揮をとることができそう。


もと松楽寺だったのを織田・徳川連合軍の大勝を機に勝楽寺と改めたそう。


野山に春の匂いが漂う。


信玄台地
武田勢が本陣を築いた台地。信玄塚は、長篠の戦いの戦死者を埋葬した塚とされる。塚は2つ築かれ、その上には松を植えて、武田軍を弔った方を大塚、徳川・連合軍側の死者を弔った方が小塚と呼ばれたとも伝承される。


また、この塚から大量発生した蜂を武田勢の御魂と考え、供養したのが起源とされる火おんどりは、県の指定無形民俗文化財となっている。
幕末に活躍した岩瀬忠震像のたつ、設楽原歴史資料館。さきに訪れた、長篠城址史跡保存館との共通観覧券もある。
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あらためて、設楽原の合戦について、一般には織田信長・徳川家康連合軍が火縄銃を用いて、武田勝頼の騎馬部隊を撃破した戦い、と認識されている。信玄の死後武田家を継いだ勝頼率いる1万5千の兵力が長篠城を包囲、攻防を凌ぐ奥平家は鳥居強右衛門の脱出により織田・徳川軍へ援軍要請。連合軍は武田軍を設楽原におびき出し、大量の火縄銃や巧妙な馬防柵の布陣で迎え撃った。三河地方は京への交通の要衝であり、武田氏は駿河、遠江から三河へ侵攻している。信長と同盟関係にあった家康は遠州や三河の諸城で、武田軍との攻防で敗走している(三方原の戦い等)。実質、形勢転換は信玄の死と信長直々の進出だな。馬防柵に用いる木材や縄は岐阜を出発する際、兵に持参させたという。合戦では奇襲攻撃により、台地に布陣した武田軍は設楽原への進軍を余儀なくされ、火縄銃の猛火で怯んだところを柵より出た連合軍に打たれたとされる。
ポルトガルから伝来し、砂鉄の多く採れる種子島で製造が進んだという火縄銃。根来(ねごろ)や堺、のちには近江国でも盛んにつくられるようになった。これは戦国史ゲームの鉄砲調達フェーズでもよく反映されている。弾は出土数が少なく、戦のあとに回収されて再利用したとの説がある。
岩瀬忠震は三河の設楽氏に生まれ、1840年岩瀬忠正の婿養子となる。日米修好通商条約をはじめ、蘭露英仏の修好通商条約の五カ国すべてに立会い調印したただ一人の幕臣。扇子に英語を書きつけて覚えるという巧みなエピソードや、人を食ったような態度の外国人との妥協しない交渉の話もある。しかし安政の大獄で左遷されて生涯をとじている。
資料館で一番印象に残ったのは、展示場中央部に掲げられた設楽原合戦図で、新城市立東郷東小学校平成6年度卒業生制作とある。自分より2つ上くらいの同世代だけれども、とても小学生の筆致とは思えないほど、戦う将兵の表情まで細かに描かれている。館内撮影は禁じられていいないが、敢えて撮らなかった。最後に、復元された馬防柵を屋上より望む。

馬防柵
連吾川右岸の連合軍陣地に史料に基づき復元されている。まっすぐ柵へは向かわず、武田軍のつもりで土手から遠目に見てみる。




信長陣と家康陣それぞれの馬防柵で、開口部に違いがみられる。


家康陣はトイレの目隠しのように二枚の隙間を一枚で塞ぐ形なのに対し、信長陣のは二枚の食い違いだけで開口部を形成している。たしか家康陣は3段階ぐらいの馬防柵を武田軍に一部突破されて攻め込まれていたので、この工夫は仇であったかもしれない。連合軍だから帳消しになったようなもんで、天下人としての家康は評価されるけど実戦での戦術や戦略では信長に劣る面も見えなくもない。
17時に切り上げて夕暮れの飯田線。野田城駅で一時行き違いを待つも対向列車が遅れており、「次の東上での行き違いになると思います」とアナウンスして出発してしまう。え、正面衝突とか重大事故にならないの?信号等で制御されてるとは思うけど、こんな臨機判断で運行して良いんだ、と正直驚く。
せっかくラストなので新幹線変更券買ってひかり号で帰る。最近は東海道線特別快速や新快速と飯田線との接続が、3分程度に設定されていて体力的にちと不安。ホーム移動や席奪取のために急かされるのも辟易。行きも10分程度余裕のある、共和や幸田に停車する快速を利用してきた。自由席といえどもリクライニングシートで、充電コンセントがあって、在来線特快よりも30分早く帰りつける新幹線をたった400円で選べるなんて、ホント惜しいものが来月から失われる。
仕事あがってから身支度もそこそこに出発し、15分程度刻みの乗継で設楽原へ移動してしまい、昼からほとんどカロリー摂れていない。ガツッと食べようと、本郷亭名駅店で白湯ラーメンを啜る。

本郷亭といえば千種店と本郷店はしばしば行くが、名駅は初めて。2階の客席へは、出来上がったラーメンは店内昇降機で送られる。それこそ本郷亭も20年くらい食べているけど、随分と値上がりし量も少なくなったように感じる。けれど、この白くて濃厚なスープのように、冒頭のきっぷのおかげで飯田線豊川市および新城市沿線は濃密な降り鉄を楽しむことができました。ありがとうございました。
終



