南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

先稿の補足(文化という言葉の認識)

Nanjai2004-06-25
 昨日の結論がだいぶ燃えてしまって、どこが文化なんだ、という疑問を起こしたか知れないので、「文化」のイメージが読者と異なる恐れがあるということも含めて、補足をしておく。近頃は簡単に字数オーバーしがちなので、文意をよく確認せずに文字を削るということもあり、意味が通らない文章を提示しているようで、気をつけたい。
 文化といわれて、もっともイメージされやすいのは、“人々が自然とかかわることによって生み出された生活習慣、儀式”といった物だろう。ところが、たとえば中国で、大躍進政策とともに暗黒の時代といわれる、「プロレタリア文化大革命(1966−1976)」。ここでの文化は、先の意味とはかなり異なる。“国全体を統一する、あるいは象徴する理念、社会制度、国民意識、歴史観”そういうものをここで文化と称している。
 アメリカ文化とは、“アメリカという国の中で、自由神話を信じ、自由を求めて生活しようと「志す」ものは、その行動と市民権を認められ、信じぬ者・反抗する者は蹴落とし、教化所で屈辱を味わわせる”仕組みなのだ。だからキング牧師らの公民権運動も、最後には勝利を認められたわけだ。
 これは文化的優等生傲慢か。レーニン像や主席銅像のように自由の女神像を世界各国に建てる気か。個人崇拝ではないが、個「文化」崇拝の道を歩んでいく。
結:世界文化大革命(注:プロレタリアは不要)【2004/06/02/PM】