南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

相対評価でよいのか?

Nanjai2004-10-20
 台湾論研究が着々とすすんでいる。いつまでも夏のメモリアルにこだわっているわけではない。昨日、『台湾人と日本人』謝雅梅/著を読破し、次に『街道をゆく 40(台湾紀行)』司馬遼太郎/著に取りかかるところである。この書は、1ヶ月ほど前に『台湾人と日本精神』蔡焜燦/著という書籍の中で紹介されていたものだ。
 台湾に居住する本省人の間で、戦前の日本精神が愛され、当時の教育を受けた人々は長年に渡ってその精神と文化を保持し続けている、という『新ゴーマニズム台湾論』で形成された前提から、蔡氏と謝氏の書籍を講読した。『台湾人と日本精神』では、著者自身の受けた皇民化政策の成果を大きく取り上げ、戦後大陸から逃れてきた国民党独裁政権に失望した様を著している。二等国民ではあったものの、日本の国土の一環のように開拓し、戦後の台湾経済の基盤を作り上げた。また台湾本土に居住する言語の異なった民族に対して、国語として日本語を教えたことで、台湾共通の言葉ができた。軍制度、警察制度なども整え、人々に規律ができ、犯罪や伝染病も激減させた。これらの功績は、まさに我々日本人の先祖が為したものであり、親日派は感謝している、といった内容である。これらの功績は、戦後1950年代から国民党の白色テロによって破壊されていったことが書かれている
 また、『台湾人と日本人』は、主に戦後国民党政治教育を受けて育った著者が、日本に留学して初めて知った祖国の真の歴史と日本人の本来の姿に、台湾と日本の気質・文化比較を加えた書である。台湾には、哈日族と呼ばれる、反日教育を受けながらも日本のマンガや製品、音楽に熱烈に憧れる世代がある。彼らのことも詳細に記されている。
 しかしながら、後の書には以下のような言葉が記されていて、ふと気にかかった。
「日本の植民地政策は正直厳しかったが、後に大陸人が独裁政治を始めたとき、そのひどさに落胆し日本統治時代を懐かしむようになった」。要するに、戦後政治があまりにもひどかったため、相対的に日本の方がまだましだったというのだ。これは、日本に対する真っ当な評価とはいえない。もし、日本精神を懐かしみ愛する台湾人の多くがその気運にあるとするならば、楽観的な調査は避けるべきであろう。
結:仮に台湾国家が即座に成立していたとしても日本の政策が評価されねば、決して絶対的評価とは言えない。【2004/10/20/AM】