南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

中国第一”絹”

jaike.hatenablog.jp
(変面の発展に貢献したと思われる)絹の歴史について調べていたら、古代中国での絹の生成と絹織物の創出に関係する河南省の遺跡が2つ登場したので記しておく。河南はもともと黄河文明が起こり栄えた一帯なので、最古の絹が発見されやすい地域ではある。

絹の生産は紀元前3000年頃の中国で始まっていた。伝説によれば黄帝の后・西陵氏が絹と織物の製法を築いたとされる。絹が生産された記録としては、河南省賈湖の墓の遺体サンプルに絹由来と考えられるフィブロインの残留物が見つかったことから、少なくとも8500年前頃には存在していたと考えられる[1][2]。現物として出土した絹としては、河南省青台村から紀元前3630年頃の中国絹(紗)が見つかっている[3]。
絹 - Wikipedia

読んでたら、唐突にポンポンと河南の地名が出てきて驚く。いずれも知らなかった。

青台村

考古学家在1998年河南荥阳青台遗址的一次考古中,发现了距今约5500年的丝绸碎片。
丝绸 - 维基百科,自由的百科全书

1998年、河南省荥阳(滎陽)の青台遺跡で、今からおよそ5500年前の絹の破片が発見された。郑州市西部の荥阳(Xingyang)县级市。

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枯れ河(現在は唐岗水库という溜池)の畔にある、仰韶文化中後期の遺跡。1922年、スウェーデン人によって発見された。1960~70年代には河を埋めて耕作地となり遺跡も破壊されたが、81年以降本格的な発掘調査が進んでいる。ここに1998年の絹発見が記載されてないのは不思議だが、2015年「一帯一路」戦略の下、青台遗址が絹発祥の地として位置づけられ一層研究と考察が進められることになる。また、同じく2015年の発掘調査で、北斗九星(北斗七星プラス2点)の配列を成した陶罐が発見され、天文を用いた祭礼に関する遺構として注目された。
郑州市区に近いとはいえ荥阳市街から離れた广武镇のさらに郊外になる。考古学的に興味深いけど、とても行けたものではない(仰韶村行った人が弱気)。一応荥阳市街の南端付近に高速鉄道の郑州西站がある。こっから各乡镇へのバスがあると幾分助かるだろうな。

賈湖

贾湖(Jiahu)遗址は、紀元前7000年から同5000年ごろにあたる、新石器時代の遺跡。こちらは黄河流域とはやや離れた、漯河市舞阳(Wuyang)县に所在する。

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骨でつくられた笛や、稲作の痕跡、甲骨文字の起源を窺わせる記号(賈湖契刻文字)などが発見されている。

丝绸织品
科技考古学家在贾湖两处墓葬人的遗骸腹部土壤样品中,检测到了蚕丝蛋白的腐蚀残留物。科研人员通过分子生物学技术手段排除了外源分子污染的可能,再综合遗址中发现的骨针等编织工具,由此认定贾湖人已经开始使用蚕丝纤维,这将人类使用丝绸的历史提早到8500年前。[4] [5] [6]

墓の遺骸周辺から絹の腐食残留物が検出され、骨製の針などの工具も出土したことから蚕糸繊維の使用が始まっていたと結論付けられた。脚注の資料から、この発見と公表は2016年頃と思われ。
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舞阳县城よりさらに25km(漯河市区から35km)も離れた北舞渡镇の近郊にあり、青台村と同じく至極不便な土地にある。そんな片田舎ながらも、歴史上の重大発見があったからか、遺跡公園として整備に力を入れていることが窺える。行けるものなら、という想いはある。
ちなみに、贾湖遗址をふくめた河南省黄河流域の新石器時代のグループを総称して、裴李岗文化と呼ぶ。仰韶文化の直前の時代にあたる。この裴李岗も遺跡の名からとられており、郑州の新郑(Xinzheng)市北西部にある。

新郑 裴李岗遗址

このグループだけで70以上もの遺跡があるという。ちょうど新郑国际机场との位置関係を示せたけれど、こうした施設や都市開発に埋もれた遺跡もやはり相当数あるだろうなと。運よく発見された遺跡を大切にし、今後も研究が深まることを願う。