南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

追う国と追われる国の品格(思考したらいつのまにかとーくになってしまった文章)

というように何か微妙な締めくくりをした後、漠然と考えていたら、むしろ英訳をa dogにしたほうがよかったのではないかと思った。即ち、カーラは一匹のイヌ(ペットだけど)に過ぎないのであって、それよりも大事なのは家族のつながりなんだよ、ということを強調しないといけない。世代間ギャップみたいなのはあっても、互いにイヌに逃避しないできちんと向き合って、ときには対立しないといけないんだよ、ということを伝えないといけない。このテーマは日本にも良く通じるはずだ。というのは、葛優演ずるラオさん(リアンの父)は、3Kと思われる仕事にも真面目だし、人柄も良い。麻雀もやめて、コツコツと息子の学資も稼いで貯めているのだから、決して堕落した人間ではない。だからこそ、息子に対しては直接向き合わない代わりに「俺の背中を見ろ」みたいな付き合い方になるのだ。このスタイルはかつての日本でも通用していたのであり、1970〜80年代頃にそれが崩れ始めて、いまや親が子を理解できないような家庭があるのだ。資本主義社会の殺伐としたものが、家庭をも支配していくように、中国もなってきたことをこの映画は示している。リアンの通う学校でも、友人がカツアゲに遭うなど、子供社会もおかしくなっている。日本では自然に少子化したのだが、中国では人工的な一人っ子政策が、さらに甘やかされた自我の強すぎる子供の衝突につながっている。こういう中を生き抜いているからこそ、家に帰っても親が向き合わない状況は耐え難いのである。日本は、そういうのを先送りしたり黙認したりして見過ごしてきたから、親殺しが頻発するような現代になってしまった。これに今、中国が直面している。いまに、「非行」のような言葉が紙面に踊るようになる。それを日本は、背中を見せて、ただただ追随させるつもりか。中国は、ただ後を追うのか、日本の現実を踏まえて試行するのか。
何度も何度もいうようだけれど、日本は明治維新で西欧の近代的な制度や技術をアジアで真っ先に取り入れて、西欧基準でアジアをリードしてきた存在である。いまやオリエンタリズムのような批判的論調があるけれども、植民地化を通して各地に近代化を勧め、戦後の先進工業化につながる礎を造ってきた存在である。ところが日本というのは、その辺の歴史を評価するだけに留まっているから愚かなのだ。まぁその史実をさえ認めるか認めないか論じ合っている最中だけれども、民族感情とかいうものを排除してストレートに言ってしまえば、日本が先行して韓国、台湾、中国がその後追いである。だから日本は凄いんだ、誇るべきだ、じゃなくて、本当に後を追ってくれることが正しいのか、もっと中韓台には反芻して応用してもらったほうがいいのか、そういうところの議論を早く始めないと、この病的な日本を中韓がコピーすることになってしまう。そういうことをいつも危惧しているのだ。かつての大東亜戦争を不用意に肯定すれば、自分たちも戦争を起こしてよいのだと錯覚してくるかもしれない。これが安全保障の分野。内政干渉と切り捨てるのでなく、いつも見られている意識を持たないといけない。そして、今回上に取り上げたのが社会環境の分野。ほかにも外国人犯罪をみて、自国民犯罪の凶悪化を省みない辺りなんかいい例。日本人から犯罪を取得している恐れもないではない。
自分で自分の欠点を正してそれを貫くこと、それができないで隣国を攻撃するのが今の日本である。これはどこか、大東亜共栄圏の本来の理想を崩してまで戦っていく泥沼化したあの頃に似ていないでもない。やはり日本は戦後60年、けじめをつけられなかったのか。あー、また反省論だ。もうこれはいい。とにかく明治維新のスタートダッシュと、めざましい先進工業化を見せつけてしまった以上、日本は後に引けないリーダーなのであるということを、一刻も早く自覚しないと、隣国までをも殺伐とした社会にしてしまう恐れがあるし、それが国家全体に浸透すれば日本の首を絞めることにもなりかねない。中韓台をウォッチしながら、常に日本と対比してこの危惧を考えるようにしている。
映画のほうが先行してそのままテーマになってしまったけれど、本来は今週火曜辺りの夕刊記事を取り上げてもっていくつもりであった。成り行き上仕方ないし、読み返す機会がなく記憶が薄いので最後に軽く触れておく。この記事は、福島県で起きた男子高校生の母親殺害事件について、中国、韓国、そしてイタリアの各マスコミに属する人の書いたコラムである。それぞれの国の内情に即して、この事件についてコメントしている。イタリアはちょっと範囲外なので読まなかったが、中韓について目を通した。まず、韓国は伝統的に家族の絆が強く、これが親殺しなど起き得ないと述べている。しかし、過度な学歴偏重や成績競争の激化が子供に与える影響を危惧している。子供の間での熾烈な競争は、たとえ家庭内で普通な子であっても、突然矛先を親しい者に向ける恐れがある。中国については、インターネット世界の与える影響を懸念していた。日本ではほとんど制限がないが、中国は規制強化でこれを解決できると考えているのか。まだまだ思考が足りないと思った。ネットというのは日本では平成に入って半ばになってから普及してきたのであり、これ以前の段階で青少年の置かれた社会について注視してこなかったから、ネットが悪の方向に作用していったのである。あたまからネットを規制するより、もっと根本的に子供の置かれる環境(家庭のあり方、学校のあり方、地域社会のあり方)のほうを熟慮しないといけない。国が親となって統制する手法はもはやそう長くは使えないだろう。だから、民主化などで崩れる前に、健全な子供社会を維持するための何か一定の政策を講じておいたほうがいい。それが、短絡的な日本追随を回避するものならもっと素晴らしいと思うよ、わしは。